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数値化から逃げていないか

「TOEICの点数が高くても話せなければ意味がない」

英語を勉強していると人に言うと
よくこのような言葉を耳にする。

英語は言葉なので、
人とのコミュニケーションが取れて
初めて意味があるという見方もあるが、
点数を取ることにそんなに意味がないのだろうか。

当然ながら高得点を目指すためには
それ相応の勉強量が必要である。

日常で見る頻度の少ない単語を
覚えなくてはならないし、
文章を早く読んで内容を理解する力も
必要になってくる。

一般的にこのようなテストの場合
点数が高ければ高いほど、
さらに点数を上げるために必要な
労力は大きくなるものである。

そう考えると高得点を目指すことは
学習度合いを見るための目安としては
非常に理にかなっているのだ。

ではなぜ冒頭のような言葉を言う人が
世の中には多いのだろうか。

それは数値化と向き合いたくないからである。

テストを受けるということは
自信の英語力を数値化すると言うことに他ならない。

数値化することが自分の強い部分や
反対に弱い部分が嫌でも浮き上がってくるが
これと向き合うことがイヤなのだ。

確かにTOEICの点が高くても
英語が話せない人はいるし、
その逆に点数は高くなくても
流ちょうに話す人もいるのは事実である。

しかし、会話のレベルを上げて
英語でビジネスをしようとするならば
当然それ相応の単語力は必要になる。

求めるものが単なる日常のコミュニケーションならば
確かに点数を取ることは必要ないかもしれないが、
会話のレベルを上げようとするならば
一定の勉強は必要になる。

そして、その勉強の成果を見るために
TOEICという数値化を活用することは
非常に素晴らしいことではないだろうか。

もちろんこれはTOEICに限った話ではなく
TOEFLでも英検でも同じである。

TOEICは一般的にL&Rと言って
Listening(聞き)とReading(読み)に
特化したテストのことを指すことが
多いので、テストに偏りがあることは
事実であるが、
それも自分の英語能力の一部を
数値化すると言う意味では十分に
価値があるのではないだろうか。

仕事においてもプライベートにおいても
私たちは数値化することを嫌いがちである。

体重計に乗るのが嫌というのも
まさにその一例であろう。

私たちが数値化を嫌うのは
数値化することで自分の弱さと
向き合わなくてはならないからである。

「数字はうそをつかない」と言われるように
数字には忖度などの感情は入らないので
ある意味で数字にはやさしさがない。

数値化することは
オブラートに包まずに非常に苦い薬を
飲まなくてはならないようなものである。

苦いとわかっていて自ら好んで
飲みたがる人は少ないが、
その先に健康が待っているならば
私たちはそれを我慢して飲み続けなくては
ならない。

まさに私たちが何かを伸ばしていくためには
数値化から逃げてはいけないのだ。

私は自分の英語力を伸ばしたいと
考えているのでTOEICにも目標点を設けている。

もちろん他の行動にも目標がちゃんと
存在しているし、それらを測る方法は
明確に定めている。

こうしないといつまで経っても
上のレベルに行けないことを知っているからである。

数値化してその数値が伸びずに
挫折することもあるだろう。

しかし、それは自分が本当になりたいと
思っていなかったという証である。

数値化して、その数値をみて
伸ばしたいと思えるかどうかは
あなたが本当に求めることの
バロメーターでもあるのだ。

あなたがもしも数値化から逃げていると
自覚しているものがあるならば
ぜひ逃げずに立ち向かってみて欲しい。

そして共に成長してやろうではないか。





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