”スーツが似合わない”ナゾ
日常にナゾはあふれている。
一見するとないように見えても、
”当たり前”という心のフィルターを外してみると
自分の目の前にもナゾがゴロゴロと
転がっていることに気付くもの。
私が日々書いているnoteの記事の多くは
このナゾを少しだけ掘ってみたものである。
800日近く私の毎日更新が続いているのは
まさに身の回りにナゾが多いからに他ならない。
と、前置きが非常に長くなったが
今日は”なぜかスーツが似合わない人”について
掘り下げてみようと思う。
「え?どういうこと?」
と思う方もいるだろうが、
最後までお付き合いいただきたい。
私がこのナゾに出会ったのは今から1週間ほど前。
通勤で乗るバスをバス停で待っている時であった。
私が通勤に使っているバスは実は乗客のほとんどが
私の会社の近くにある某大手企業の社員である。
実質その会社の通勤者用バスなのだが、
それを民間のバス会社に委託しているので
私のようにその会社の社員でなくても乗ることができる。
普通のバスと違って、停まらないバス停があるので
非常に重宝しているのだが、
毎年この時期になると困ったことが一つ起こる。
なぜかスーツを着た若者たちが1か月ほど
ぞろぞろとバスに乗るようになるのだ。
恐らく先ほど書いた某大手企業の若手社員が
1か月ほど研修をするために来るのであろう。
他の社員さんは皆私服の中、
彼らは毎日スーツを着てバスに乗り込んでくる。
彼らが来ると私が座席に座れない可能性が
出てくるので、
毎年この様子を私は苦々しい思いで見ていた。
そして先週の半ばから毎年恒例の
スーツ姿の若者たちがバス停にズラリと並び始めた。
この様子では今日は座れそうにない。
私は肩を落とし彼らの後ろに並んだのだが、
ふとあることに気が付いた。
何かというと、
皆驚くほどスーツが似合っていなかったのである。
よく”服に着られている”という表現をすることがあるが、
彼らの様子はまさにそれであるように見えた。
スーツは英語のSuitから来ているが
”適合する””合う”というような意味も持つ単語である。
まさに彼らの様子はスーツが彼ら自身にSuitしていない、
そんな皮肉な状態に見えたのだ。
そしてそれと同時に私の中に疑問が満ち始めた。
「なぜ彼らは全員こんなにもスーツが似合わないのだろう」
そこで私は3つの仮説を立てて、一つずつ検証してみる事にした。
①スーツ自体がダサい仮説
②髪型が合っていない仮説
③スーツが似合う要素が足りていない仮説
まず最初は①スーツ自体がダサい仮説。
私が新卒で採用された頃、スーツは3ツボタンが
流行りであった。
いわゆるVゾーンが狭い細身のスーツを着るのが
オシャレなように思えた時代であったが、
それも今となっては見なくなった。
そのようにスーツにも流行り廃りがあるので
彼らが来ているスーツ自体が廃れたデザインなら
いくら着こなそうとしても似合わなくなってしまう
可能性はある。
そこで、彼らのスーツを見回してみた。
だが、彼らスーツ自体は全く今の時代でも
おかしいものではなく、
とてもベーシックな黒のスーツである。
ちなみにシャツはどういうわけか皆が
真っ白である。
真っ白でベーシックな襟のシャツに
真っ黒なスーツ。
冠婚葬祭感は否めないが、
別にダサいというほどでもない。
実際私は顧客への訪問の際に
スーツを着る場合には、彼らと同じような
白シャツ、黒スーツというスタイルを
時々使っている。
この方がなんとなく重々しい感じがでて
相手に与える印象を強くすることが
できるからである。
このことから仮説①は少し違いそうである。
次に仮説②髪型が合っていない仮説だが、
結論的にはこれは一理あると考えられる。
なぜなら、面白いぐらい全員が
マッシュルームカットだったからである。
もちろん全員が全員というわけではないが、
8割強の人が同じ髪型というのも
逆に珍しいであろう。
会社の方針なのか何かはわからないが
彼らに限らず、ここの会社に勤める人は
比較的髪型が似通いがちだと以前から思っていた。
これはあくまで私の想像ではあるが、
その会社は大きな商品を取り扱っているので
工場ではほぼ間違いなく帽子、ヘルメットの
着用が義務付けられており、
それに似合う髪型にしようとすると
必然的に皆似通ってくるのではないだろうか。
今回スーツを着ている彼らも然りで
いわゆるマッシュルームカットが
その最適解なのであろう。
だが残念ながらマッシュルームカットは
スーツには似合わない髪型の一つである。
なるほど、これが原因か。
そうして思考を止めようとしたとき、
ふとあることに気が付いた。
今でこそ髪を分けてはいるが
私がかつてしていた髪型もまさに
マッシュルームカットであることに。
だが、私は昔からなぜかスーツが似合うと
よく言われた。
大学生の頃に就職活動でリクルートスーツを着ても
既に社会人感が出ていると同級生からは
からかわれたほどである。
このことはつまりマッシュルームカットと
スーツが似合わないということには
相関関係はあるものの、
絶対的な要素ではないということになる。
こうなると後は一体なにが原因なのだろうか。
そう考えたときに残る選択肢はひとつ、
③スーツが似合う要素が足りていない仮説である。
マッシュルームカットというマイナス要素はあれど、
彼らにはスーツが似合うために必要な要素が
何か足りていないとすれば
この事象は納得できる気がする。
では彼らに足りないのは一体何なのだろうか。
それはスーツを自分の武器にしようという
姿勢ではないだろうか。
正直スーツは決して着心地のいい服ではない。
夏は暑いし、冬はそれほど温かくもない。
さらに首元はネクタイで窮屈だし、
ジャケットに伸縮性がないので動きにくい。
そして革靴はムレて、滑りやすい。
どう考えても仕事をするのに向いている服では
ないような気がするのだが、
それでもスーツを着て仕事をするのは
スーツが自分の印象を変える武器になるからである。
相手への敬意、謝罪の気持ち、友好的な気持ちも
スーツの着方や小物の使い方で表すことができる。
ある意味スーツは相手にサインを示すための
服だと言えると私は思っている。
だが、バス停に並んでいた彼らには
それが全く感じられなかったので
どうにも似合わない感じがしてしまったのではないか。
サインボードを持ちながら
そこに何も書かずに持ち歩いているような
そんな違和感が出てしまったのであろう。
だが、これもスーツを着て仕事をしたり
私服が相手に与える印象を意識するようになると
嫌でも身についていくものである。
彼らもそのうち同じスーツを着たとしても
全く違和感がなくなる時がくるはずである。
スーツが似合わないことは若さの証のようなもの。
そう思うと、何だか彼らの見え方も少し
変わってくる気がした。