どうしようもなくしょうもない話
昨日noteの記事を読んでいる際に
書きのたねさんが書かれたこの記事に出会った。
今回は色んな方の記事や音声配信を紹介されながら、
「しょうもない話」が持つ効果について
書かれている話であった。
書きのたねさんの記事に漂う独特の空気感が
とても心地よく、
何だか深夜ラジオを聞いているような
そんな記事であった。
ぜひ未読の方はオリジナルの記事を見て欲しい。
だが、それと同時に私の心には
あることが引っかかってしまった。
「しょうもない」とはどういう意味であろう?
この言葉は子供の頃から当たり前に使ってきたが、
よく考えるととても不思議な言葉ではないだろうか。
まず最初に分解してみるとすれば、
「しょうも」と「ない」になるだろうが、
「ない」は言うまでもなく「無い」である。
では「しょうも」はどうかというと
「しょう」と「も」に分けられそうである。
しかし、ここで気になるのは
なぜわざわざ「も」としているのかと
いうことである。
「も」ということは
「しょう」以外にも無いものがあることになるが、
文脈的にはよくわからなくなってしまう。
なぜ一体「も」なのだろうか。
この言葉以外に「も」を使うものだと
「滅相もない」がある。
この滅相というのは仏教用語で
四相(生・住・異・滅)のうちの一つで
この世に生まれたものは全て無くなるという
ことを指す言葉らしい。
そんな滅相ほどもあり得ないことを
「滅相もない」というようになった。
つまり、この場合の「も」は
他に何かがあるという解釈ではなく
「~ほども」が省略されたと考えられる。
それと同じ用法で「しょうもない」の
「も」が使われていたとするならば、
「しょう」ほどもない状態が
「しょうもない」となるはずである。
だが、ここで一つの疑問が出てくる。
「しょうもない」に意味が似た響きの言葉に
「しょうがない」があるが、
この場合は「しょう」がないとなっている。
これらの違いは一体何なのだろうか。
「しょうがない」はどうしようもないような
シチュエーションであきらめる時に
使う言葉であり、
「しょうもない」とは意味合いが
全然異なるような気がする。
だが、この両者はとても響きが似ていて
決して関係のない言葉の様には思えない。
一体どういうことかと思い、
「しょうがない」について調べてみると
この言葉は「仕様がない」を発音しやすくしたもので
物事をどうこうする余地がない様、
まさに「仕様」がないことを表しているとの
ことであった。
なるほど、「しょう」が「仕様」を表すとすれば
「しょうもない」は「仕様もない」と
いうことになる。
そう考えた時に「しょうもない」にとても
類似した言葉があることに気が付いた。
それは「どうしようもない」である。
この言葉はまさに「しょうがない」と似たニュアンスで
なすすべ(仕様)がない状態を表している。
まさに「しょうもない」とは「どうしようもない」
手を付けられない状態ということなのだ。
どうにも手を付けられないというのは
ある意味で思考できないと換言できる。
しょうもない話というのは
自分にとってどうでもよすぎて
自分の頭で思考する余地のない話ということである。
このように書くととても悪いことのように思えるが、
私たちは日ごろ様々な情報に触れすぎて
脳が疲弊した状態になっている。
そんなときに自分の脳が処理しなくていい
「しょうもない」話というのは
とても癒しになるものである。
私は学生時代深夜ラジオを聞きながら
勉強をしていたが、
今そのラジオで放送されていた内容を
思い出せと言われればほとんど記憶に残っていない。
だが、ラジオから聞こえてくる
しょうもない話は近くで誰かがいるような安心感と
リラックスを間違いなく私に与えてくれた。
日ごろ忙しく動き回る人こそ
「しょうもない」情報にあえて触れるということも
大切なのであろう。
今回「しょうもない」という言葉を掘ってみて
改めてそう思わされた。
ちなみに「しょうもない」に似た意味の言葉に
「つまらない」というものがあるが、
これは「つまる=わかる」から
「つまらない=わからない」となった言葉らしい。
確かにわからないものを見続けるのは
つまらないものなので、
今の意味合いになったのであろう。
以前にようこさんが書かれた上記の記事で
娘さんに「それ、つまらなくない?」と聞かれると
「つまる!」と答えたという件があった。
この記事を読んだときは子供らしい面白い表現だなと
思ったが、意味を掘り下げてみると
この答はあながち間違いでもない気もする。
書き手としては今回の記事があなたにとって
「しょうもない」「つまらない」
ものでないことを祈るばかりである。
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