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しょうもなくないかもしれない日常~@しょーもない stand.fm~
昨日今日とスタエフざんまいだった。
これがアルコールなら二日酔い確定なカンジ。
コトの発端はこちら↓
ちゃぼはちさんがnoteの親しい仲間への思いを発信。
私は息子が不登校初期には、とても辛く、悩むことや泣くことが多かった。そんな時癒されたのは、やっぱり笑いだった。noteで仲良くなった方達とお昼にお喋りするスタエフで元気になることができたのだ。
私は、なかなか眠れない夜には、しょーもない話を聴く。人と人とがふつーに会話して、たまに笑い声が聞こえてきたりする…あの感じだ。人が道端や、電話で話してるような雰囲気の会話がたまらなく落ち着くのだ。
私はしょうもない話やくだらない話を大事にしている。本当に心底癒されるし元気になれる力があるのを私は知っている。
しょうもない話は、しょうもなくなんかない!と私は思っている。人を元気にする力があるのだ。
それを受けた二人目のこちら↓
普段の生活でのリアルな関係性の中では、いくら仲の良い相手の優しい励ましでも、余計に、自分が周りと比較してしまい、しんどくなってしまうことがある。
普段の生活とは関係のない、他愛のない話ができる場所があれば自分を保ちやすいことだってある。
そこには価値のある内容の話よりもリラックスして聴くことができるしょーもない内容の方があっている場合もあるようだ。
『@しょーもない』というネーミングで配信リレーが始まった。
当初、『しょーもない』というフレーズに、ひとり抵抗を示していたうりも氏。「私たちは『@しょーもない』で行くからうりもさんは自分の好きなネーミングでやったらいいじゃない」と言われ、どんなネーミングにするのかと思ったら、『@しょーもない』を真っ先に使うというスタンドプレー。
なんてしょーもない人だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1721544250089-hjlXOtqp5N.png)
全身砂まみれになって砂地に深い穴を掘り、波打ち際で汲んだ海水をその穴に延々注ぎ込んだ。
良い枝ぶりを見ると登らずにいられなくなり、夢中になって気づくと降りられない高さに気づいて泣いた。
より濃い紫色のれんげを採ろうと、あっちの田んぼ、こっちの田んぼとはしごをしてひたすら摘み続け、荒らして回って叱られた。
何のためかまったくわからないが、とにかく形のよい石ころを友達と競って探し回った挙句、迷子になった。
子どもの頃、我を忘れて夢中になっていたことを思い出してみると「何でそんなことに?」と首を傾げることばかり。
私はくだらないこと、取るに足りないことにあえて執着して、四の五の言ってみたり、やってみたりするのが楽しいらしい。
今さらながらだけれど、これまでの私の記事のテーマはほとんどはこれだと気づいた。
そして、昨日今日とスタエフライブざんまいだった。コメント参加でひたすらコメントを打ちまくったり、ただただ思いつくままに喋っているだけだが、気づけば汗だく。
私は汗水たらして何をやっているんだろう。
ふと我に返る瞬間が愉快だ。
一人カフェや車内にいるとき、病院の待合室にいるとき、ふいに聞こえ漏れて来る、見知らぬ誰かの他愛もない会話になぜか聞き入ってしまうことがある。
特にメリットのある話でもなんでもない、自分とはまったく無関係の知らない人たちの世間話だったりするけれど、なんだかんだ聞いてるうちに時間を潰してしまっていた、みたいな。
頭の中が仕事とか、日常の雑多なことにいっぱいで、疲れやストレスを感じていたりするとき、誰かの他愛ない日常をちょっとのぞいている間、自分自身の心の換気になっていることってある。
しょーもないからこその効能、なのかな?
ちゃぼはちさんが「しょーもない話でええねん!」と連呼するのを笑いながら聞いていたらこうなった。
↓
本当に、本当にしょーもないので聞いて下さいとは書かないでおきます。
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