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自転車練習とフラフープ

土曜日の昼過ぎのこと。

娘がとつぜん「自転車の練習がしたい」と
言い出した。

娘は一時、自転車の練習をしており
ほぼ乗れる状態にまでなったのだが、
完璧に乗れるという状態に至る前に
練習をやめてしまっていた。

実に2か月ぶりぐらいの練習になるが
娘が自らやろうと言い出すのは珍しい。

ちょうど私も勉強を止めて休みたいと思っていたので
家の前の道で娘の自転車の練習に
付き合うことにした。

久々に自転車にまたがった娘であるが、
どうにもこぎ出すことができない。

こげば進むという当たり前のことは
頭では分かっているのだが、
こぎだせば足を地面から離さなくてはならないので
それが怖いらしいのだ。

そこで、私がスタートの時だけ背中を押してやると
その勢いをつかってこぎ始めて
難なく乗ることができた。

だが、自転車を乗れるという言葉の定義は
自らこぎはじめられることが前提である。

「私こぎ始められへんから、誰か押してくれへん?」
などと言いながら自転車に乗っている人は
間違いなくいないだろう。

そこで、数回背中を押した後、
私は背中を押すのを止めた。

その代わり、どのようにこぎ始めればいいのか
コツを教えることにしたのである。

ペダルを最初にどの位置に調整すべきか、
左右どちらの足の方でこぎ始めるべきか、
色々なことを教えながらトライしてみると
少しずつ自らこぎ始められるようになった。

しかし、その成功率は50%程度からなかなか上がらない。

ふと気になって娘の顔を見てみると
自ら練習したいと言い出したはずなのに
何だか苦行をしているような表情であった。

自分なりに考えてやってはみるものの
上手くいかないことが歯がゆいのであろう。

そこで、一度自転車から降りて
気分転換のために娘が得意なフラフープをさせることにした。

数か月前にフラフープを買って以来
娘は黙々と練習を積み重ね、
今では走りながら、ダンスしながら、
そして自分が回りながらもフラフープを
回すことができるようになった。

いつもは家の中でしているが、
たまには屋外でするのも悪くないだろう。
そんな軽い気持ちでフラフープを娘に渡すと
娘自身も嬉しそうにそれを回し始めた。

娘の表情も、先ほどとは打って変わって
とても嬉しそうなものに変わっている。

今日はこのまま自転車の練習は終わりでいいかと
自転車をかたづけようとしたところ、
娘が「パパ、まだ乗るから置いといて」と言った。

内心、
「せっかく気分よくなったんだから
そのまま終わればいいのに」
と思いながらも、娘の意思を尊重することにした。

そうして自転車に再びまたがりこぎだすと、
驚いたことに、自分でほぼ100%こぎだすことが
できるようになっていたのである。

つい先ほどまで50%ほどだったので、
何か技術を身に付けたというわけではない。

やったことは自転車と全く関係のない
フラフープだけである。

では一体娘の何が変わったのであろうか。

それは自分はできるという自身ではないだろうか。

自転車は自分が乗れると信じてこぎださない限り
決して前には進まない。

そして、前に進まないと車輪は回らないので
バランスが安定することはない。

つまり、自分は乗れると信じることが
何よりも大切な乗り物なのである。

娘は何度も失敗してスタートをすることに
自信を無くしていたのだが、
フラフープをすることでその自信を取り戻し
その結果乗れるようになったのである。

フラフープも最初は失敗ばかりで、
YouTubeの動画を見たりしながら
練習を繰り返していた。

そして、あるときに自らコツをつかみ
自由自在に回せるようになった。

それは彼女にとって大きな成功体験の一つであり、
それを自転車練習中に思い出すことで
自信を取り戻すことができたのであろう。

この様子を見ていて、私は自分が同じような
状態に陥っていないかと考えた。

本当はもっと上達したり、上のレベルに行きたいけれど
どうもうまくいかないことが私にはいくつかある。

内心、それはもう私には無理なのではないかと
考えたりしたこともあるのだが、
それももしかすると「自分はできる」と信じられて
いないだけなのかもしれない。

大人になって色んな成功体験は経験してきたつもりだが、
今回の経験は今一度それらを思い出して、
改めてチャレンジしてみよという
天からのメッセージだったのではないだろうか。

なんだかそんなことを考えてしまった。

自ら自転車をこげるようになって
ほぼ自転車に乗れるようになった娘は
とても誇らしそうな顔をして練習を終えた。

私もこんな顔をして目標に到達したい。

そんな風に思う土曜日の昼下がりであった。

ちなみに娘が練習に使っていた自転車は
息子が同じぐらいの歳の頃に購入した
いわゆるおさがりである。

JEEPと書かれた自転車で、かなり重いので
正直練習用にはあまり向いていない気がする。

今回無事に自転車に乗れるようになった娘が
「私用のかわいい自転車がほしい」と
言い出すのも時間の問題であろう。

妻と娘が自転車選びを始めたならば
間違いなく私もそれに付き合わされて
かなりの時間を費やすのは間違いない。

子供の成長とは嬉しくもあり、
それと同時に少しの痛みもあるものなのだ。
これは親の成長痛なのかもしれない。

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