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アイディアと維持と熱量と。(できるver.)

先日のブログでは、平成23年3月、大震災が起きてからは
被災の地より遠く離れた場所で住むぼくも、
大災害のニュースを観ては心痛めて、また、
とてつもない無力さも感じていたこと、
そしてこのころ、ぼくが好きなWEBサイト
「ほぼ日刊イトイ新聞(通称:ほぼ日)」を読みながら
毎日、励まされていたことを申しました。

このときとくに励まされたことばとして、
のちに「ほぼ日」の震災に関するコンテンツが
書籍化されたときの本のタイトルにもなっている
『できることをしよう。』なのでした。

このことばというのは、たとえば、
「ふつう」のぼくらは
何かの特別なことはできなくとも、
それぞれが、それぞれの場所で
それぞれの「できること」をすること。
つまり、このことばは一種の
「あきらめ」とも考えられるけれど、
でも、誰しもが、必ずしも
「無力」な存在でもない、
というふうだと解釈しているのですが。
あらためて思えば、この
『できることをしよう。』ということばをね、
震災以後、及び、現在の日々においても
ぼく自身のお守りのように携えているようにも思う。

そしてまた、このブログを記した機に、書籍の
『できることをしよう。』を本棚より取り出してきて、
厚い本なので全て読むのは大変と思い、巻末の
糸井重里さんのロングインタビュー
(聞き手:新潮社『できることをしよう。』編集チーム)を
このたび読み返しておりました。

糸井さんのインタビューを読みながら、
当時のことを思い出したり、また、
あらためて考えるところもいろいろあったのですが。
とくに重要に感じたのは、大震災直後の3月14日、
ほぼ日の社内全体ミーティングでは、たとえば
「ぼくはいますぐこれをやった方がいいと思います!」
のようなアイディアを言い出す人は誰もいなくて、
ミーティングの場が、静かで、
その光景はすてきだった、と、糸井さんがおっしゃる場面です。

その後の箇所を引用申します。。。

編集部 あれだけ騒然としたタイミングで何かをやろうとしているのに、皆さんが静かというのは……すごいですね。
糸井
  たとえばぼくらは、パッと思いつくことよりも、それをきちんと実行して維持することのほうが重要で大変だっていうことを知っています。アイディアがあったら、メンテナンスも同時に考える。つまり、ぼくらは「ほぼ日」を十三年間(註:刊行当時)、毎日更新しているというだけで、維持することについてはある程度スペシャリストになってるんです。
編集部 作ることと維持することは全く別、と。
糸井  そうです。常に維持まで考えて作っています。でも、震災以降にたくさんの人から送られてきたアイディアは、申し訳ないですけど、維持の視点はほとんどありませんでした。サスティナブルの視点がないアイディアは、難しいですよね。だから、社内からは、そういうアイディアは絶対に出てこない。その意味でも「かっこいいアイディアは、ありません」ですし、「ぼくらは『たいしたことないもの』です」と。全部、一緒なんです。
編集部 一見、よさそうなアイディアに見えても、維持できるわけがない、と。
糸井  熱量を一気に上げると、後で下がるんですよね。人間だから、くたびれるんです。

糸井重里・ほぼ日刊イトイ新聞著『できることをしよう。』新潮文庫、474-475頁
(引用内の「註」はブログ筆者にて。)

ここで糸井さんの言われていることばについて、
ぼくなりに解釈するとすれば、
「アイディアを思いついて作る」と
「そのアイディアを実行して維持する」を
両方、同時に考える、みたいなことでしょうか。

たとえば、糸井さんの言われるような
「かっこいいアイディア」とは、
実行の伴われない場合もあり、かつ、
メンテナンスもむつかしい。言うならば、
そのようなアイディアは「できない」。
と、そういうふうに考えるともすれば、
糸井さんのおっしゃるこのことがね、つまり、
いわば「できることをしよう。」なのだろうなあ、
って思ったんだった。

この上の引用の中ではね、
「熱量」という語句も登場しているですが。
「熱量」は一気に上げず、平常運転のごとくの
「熱量」でアイディアを考えることができれば、
もしかしたら、どんなことも
「できない」ではなくって、
「できる」へと至れるやもしらない〜。

令和5年10月6日

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