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ヴィロンの森 第八章(前編) 舞踏会にて

ラルフの国に行ってから、少女はしばしばラルフと踊った事を思い出しながら日々を過ごしていました。

ある日、ダンスのレッスンに励(はげ)んで、部屋に戻ってくつろいでいると、
「姫様、王妃様が参られました」
と侍女が声をかけてきました。
「お義母様が?」
少女がそう言うなり、入口が静かに開き、義母のクリスティーヌが顏を出しました。
その顔は少しばかりやつれているようでした。
「お義母様」
少女は駆け寄り、そばに行くとゆっくりとお辞儀をしました。
「ごきげんよう、アリ」
「ごきげんよう。調子はどう?」
義母は、ここ一週間程体調を崩していて、ようやく良くなったところでした。
「もう大丈夫よ。心配かけてしまって……」
「ううん、でも、まだ顔色がよくないように見えるわ。少し横になった方が良いのではないかしら」
「本当? 実は少し、頭痛がするの。そうね、少し横になろうかしら」
「それなら横になって」
「ありがとう、少し横にならせて。あぁ、ソファーでいいわ」
侍女達が急いで、ソファーを寝やすいように準備します。
「枕は私のを使って」
アリアンヌは自分の枕をベッドから持ってきました。
「運ばせてしまって申し訳ありません!」
侍女が謝ります。
「いいえ、いいのよ。それより義母様にお水をついであげて」
「はい! すぐに!」
侍女が急いで部屋を出て行きました。

「アリ、こっちに来てちょうだい。お話しましょう」
義母は横になりながらそう言いました。
「えぇ、お義母様」
アリアンヌはソファーの横にあった椅子に座りました。
「もうあと1週間で、舞踏会デビューね」
「えぇ、やっとよ。今からとても楽しみだわ」
丁度、侍女が水を持ってきたので、クリスティーヌはその水を受け取り、ゆっくり飲みました。
そして、水を持ってきた侍女を見て、
「冷たくて美味しいわ。井戸からわざわざく汲(く)んできてくれたのね、ありがとう」
そう言うと、侍女はとても嬉しそうな顔をしました。
「あの、お義母様は妖精の存在を信じる?」
ふと、アリアンヌが尋ねます。
「妖精?」
「えぇ」
「そうね......いたら素敵だなぁって思うけれど......。見た事がないから……」
「見た事がないの?」
「えぇ、ないわ」
「そう」
アリアンヌは少し迷いましたが、自分の、ここ最近の出来事を話してみました。
義母は突然の話に驚いたようでしたが、話の腰を折らず、ひととおり話を聞いていました。
「信じられない話でしょうけど本当よ」
最後に少女がそう付け加えると、義母は少し体を起こしました。
そして、少女に向き合うと、
「いいえ、信じるわ」
と言いました。
「本当?」
アリアンヌは驚いた顔をして、聞き返します。
「えぇ。実はね、昔、お姉さまも同じような事をおっしゃっていたわ。それを今、聞いていて思い出したの」
「お母様が?」
「えぇ。ちょうどあなたと同じく、舞踏会デビューの前の、何か月か前、故郷の森で……だったと思うわ」
「本当に!?」
「ただ、お姉さまが出会ったのは、背の小さなお髭(ひげ)を生やした妖精だったと思うけど」
「背の小さなお髭を生やした妖精?」
「確か……ドワーフ? という名前だったと思うけど……」
「ドワーフという名前は聞いた事があるわ」
「私はあまり、お外に出ることができなかったから、会えず仕舞(しま)いだったけれど。何かの用事で森の近くを通りかかった時、彼らの歌う声を聞いた事があるの」
「そうなの?」
「あれは、お世辞にもうまいとは言えなかったわ」
義母はふふ、と笑いました。
「でも、とても楽しそうだったわ。大きな声で陽気に歌うの。お姉様が笑って『あれはドワーフ達が歌っているのよ』と教えてくれたわ。もっと体が丈夫になって、お姉様と森に行けたら、彼らに直接会いたいと思っていたけれど、それから一年経たない内に、お姉様のお輿(こし)入れが決まってしまって。
それ以来、行けず仕舞いになってしまったの。でも、あなたのお父様に再婚相手として求婚された際に、森に行ってみたのよ。でも、何も聞こえないし、何も見えなかったわ。きっと大人になると見えないし、会うこともできないのでしょうね」
そう、子どもにしか見れないって、ラルフが言っていたわ......とアリアンヌは言いかけましたが、義母の寂しそうな顔を見たら、口にするのがはばかれました。
「だから彼らの存在を信じるし、そして、あなたには彼らとの出会いを大事にしてほしいと思うわ」
「えぇ、大事にするわ、本当に」
その言葉に義母は笑顔を見せ、
「本当にあなたは素直でいい心持ちだこと。そのまま真っすぐでいてほしいわ」
「真っすぐ?」
「えぇ、真っすぐ。今はどういう事かわからないだろうけど、いつか大人になったら分かるわ、この『真っすぐ』という言葉の意味を」
「そうなの? よく分からないけれど……でも、ラルフ達との出会いを大切にするわ」
アリアンヌがそう言うと、クリスティーヌは再び微笑みました。 

それから舞踏会当日。
その日は皆、朝早くから大忙しでした。
少女も朝早くからドレスを着せられていました。
「髪型は、巷(ちまた)で流行っている髪型にしてちょうだい。メイクは先日言ったとおりで」
「承知いたしました」
叔母の指示どおりに、てきぱきと侍女たちが仕事をこなしていきます。
「姫様、ついに舞踏会の日が来ましたね」
髪をとかしながら侍女が楽しそうに言いました。
「えぇ、やっとよ、本当に長かったわ」
少女が瞳を輝かせて答えます。
「大分、待ち望まれていましたものね。今日はうんと楽しんでくださいませ」
「ありがとう」
「ヘッドドレスをお持ちいたしました」
他の侍女二人が、木の箱を大事そうに抱え、運んできました。
「どれ、見せてちょうだい」
叔母は二人にそう言うと箱を開けさせました。

「とても可愛らしいですわ!」
箱の近くにいた侍女が、中を見るなりそう言いました。
「アリ、見てごらん」
叔母が少女に声をかけます。
「ちょっと待って。まだ髪を結ってもらっている途中なの」
少女が答えます。
「申し訳ありません。今そちらにお持ちいたしますわ!」
慌ててそう言うと、侍女の二人は、箱を少女の元に持っていき、中身を見せました。
少女は髪を結わえられながら、箱の中をのぞき込むと、中には、花と大きなリボンで構成されたヘッドドレスがありました。
瑠璃(るり)色の小花とブルーの薔薇、そして、赤いリボンがセンスよくあしらえてあります。
「とてもかわいい!」
「実はこれ、お前のお義母様がこの日のために用意したのよ」
「お義母様が!? 何て事でしょう、とっても嬉しいわ! 早くつけたいわ」
「すぐ結い上げますわ。今しばらくお待ちくださいませ」
侍女はそう言うと、髪を結う手を早めました。

用意ができると、少女はすぐ国王の元へ行きました。
王の部屋に入ると、王はクリスティーヌとともにソファーに座りくつろいでいましたが、アリアンヌを見るやいなや、二人ともすぐ立ち上がりました。
そして、あまりにも愛らしい姿だったので、二人は嬉しそうに声をあげて、少女の元に駆け寄ります。
「これは何て美しいのだろう! なぁ、クリスティーヌ」
「本当に! まるで天使の様だわ!」
目を細めながら義母が答えます。少女は嬉しさのあまり、顔を赤くしました。
「お義母様、ヘッドドレスをどうもありがとう、とっても気に入ったわ」
「いいえ、よく似合っているわ。喜んでもらえて良かった」
「お父様、いよいよ今日だわ。とっても楽しみよ」
「そうかそうか。今日は公務で舞踏会に出られないが、上手くいくことを願っているよ」
「ありがとう。では、叔母様のところに行くわ」

叔母のところに戻ると、叔母もドレスを丁度着せられているところでした。
「叔母様、とても素敵よ」
叔母のドレス姿を見ながらそう言いました。
紫のローマ風のドレスは胸元がゆったりしているので、首から胸元にかけて白い肌をより引き立てていました。
「ありがとう。お前には負けるけども」
叔母は、長くて白い手袋を自分でつけながら、そう言いました。
「そんな事ないわ。私もいつか叔母様のようなドレスを着てみたいわ」
少女の言葉に叔母は微笑みました。そして、手袋をつけると少女に向き合い、
「今日は待ちに待った舞踏会だね、私はお前の兄達とともに後方に控えているけれども、長男のベルナールが始終、お前をエスコートしてくれるから、安心して舞踏会に臨(のぞ)みなさいね」
「分かったわ」
「では、もう行きなさい。オーギュストが二階で待っているわ」
「はい、叔母様。また後で」
少女は愛らしくお辞儀をすると部屋を出ました。

それから、城の東の二階にある部屋に入ると、正装をしたオーギュストがすでにいて、城のすぐ隣にあるダンスホールに向かう人々を窓から見ています。
「お兄様、来たわ」
そう声をかけると、兄は振り向き、少女を見て驚きました。
 「これはまた、よく似合っているね!」
兄がそう言うと、少女は嬉しそうにしました。
そして、オーギュストの隣に立ち、
「何を見ていたの?」
と尋ねました。
「招待された人達を見ていたんだ、見てごらん」
見ると、着飾った人々が、ダンスホールに入っていくのが見えました。
「今日のために、他の国からも人が来ているよ」
確かにこの国とは違う服装や、肌の色をした人々が次々とダンスホールに入っていくのが見えました。

兄妹が見ていると、ダンスホールに向かう道が段々と華やかさと、にぎやかさにあふれていきました。
『あともう少しで、私は、この人達の前に出るのだわ......』
アリアンヌはそう思うと、少し緊張してきました。

人々がある程度ダンスホールに入った頃、第一王子のベルナールが二人を呼びにきました。
そして、三人はお城からダンスホールに向かいます。
「大丈夫か?」
ダンスホールに向かう途中、ベルナールが少女に声をかけました。
「少し緊張するけど......でも大丈夫」
少女が笑顔で答えます。

ダンスホールに入ると、そこには華やかな光景が広がっていました。
先日、ヴィロンの国のお城で見かけた光景のように、シャンデリアの光に照らされ、着飾った人々がところどころで、優雅に談笑しているのが見えます。
誰かが、「アリアンヌ姫だ」と言ったため、人々が、一斉に入り口近くにいた、王子二人と少女を見ました。
そして、アリアンヌのかわいらしい姿に、感嘆の声をあげました。
少女は気恥ずかしい思いを覚えつつも、優雅にお辞儀をすると、なお感嘆の声があがりました。
そのままアリアンヌは、第一王子にエスコートされ、人々の間を通り抜け、奥の檀上に上がります。
「こんばんは、皆様。今日はお越しいただきましてありがとうございます」
しん、とし、人々が見つめる中、第一王子が凛とした声で切り出しました。
そして後ろにいたアリアンヌを自分の横に立たせ、
「こちらにおりますのが今日、舞踏会にデビューする妹、アリアンヌです。以後お見知りおきを」
と言うと、人々は歓声をあげながら拍手をしました。
少女が深々とお辞儀をすると、人々はなお、拍手をします。
少女は顔をあげると頬を少し赤くしながら、人々を見回しました。
「さて、さっそくですが、妹の舞踏会デビューの相手に我こそはと言う方はいらっしゃいますかな?」
第一王子の言葉に、辺りはしんとしましたが、
「私が立候補しても!?」
と、すぐに、中央にいたアラビア風の衣装を身にまとった青年が名乗り出ました。
ぱっと人々が青年に注目します。
「これは、アサド王子」
青年の前にいた人々が王子の行く道を開けたので、王子は優雅にベルナールとアリアンヌの元へ歩み寄ります。
浅黒い顔立ちと長身の体はどこかエキゾチックな雰囲気を漂わせていました。
アリアンヌの前に来ると、
「どうか、宜しければ最初のお相手に」
と右手を差し出しました。
「いや、僕が」
その横から、また青年が名乗り出ました。
「これは、レオ王子」
レオと呼ばれた青年もアサド王子の横に並び、その手を差し出します。
「いや、僕こそ」
また別の青年が名乗り出ました。
「これは、ハンス王子」
ハンス王子も少女の元に歩み寄り、手を差し出します。
「どうする、アリ?」
第一王子が妹を顧(かえり)みました。
「私は……」
少女に注目しながら、人々はアリアンヌの言葉を待っています。目の前にいる青年達も、少女が自分の名を口にするのを待っていました。
しかし、少女の心の中ではすでに、もう舞踏会での最初の相手が決まっていました。

叶わない事だとは思うけれども、でも、もしも叶うなら……
そう、もし、ここに彼が来てくれるならば……
先日踊ったみたいに、また彼と……

『彼と踊りたい』
そう、はっきり思ったその時でした。
不意に鐘のような音が鳴り響きました。
あまりに聞き慣れない音色だったので、人々が不思議そうに辺りを見回していると、大広間の扉が静かに開きました。
すると、不思議な事に大人たちが急にぺたっ、と地に倒れました。
貴族の子女(しじょ)らはそれを見て、叫び声をあげましたが、アリアンヌは驚きよりも期待で胸が高鳴るのを感じました。

辺りがまばゆい光に包まれたかと思うと、少ししてから美しい淡いブルーの衣装を身にまとった人々が三十人あまり、入ってくるのが見えました。
その人々は、大人が数名と子どもが二十人くらいいて、皆、銀髪で美しい容姿をし、また薄くて青いベールのような美しい布を頭にかぶっていました。
「女王様!」
入り口近くにいた、オーギュストの声に少女は、はっとしました。見ると、ヴィロンの女王が、ラルフに手を取られ入ってくるのが見えます。二人とも白い正装姿で、王妃の首元では金のペルルがまばゆい輝きを放っていました。
二人のすぐ後ろには、ロワールがいます。
「ラルフ! 女王様!」
少女が駆け寄ると、女王と少年は立ち止まり、ゆっくりお辞儀をしました。
「お招きありがとう」
「本当に来てくれるなんて! 女王様まで……! ありがとうございます」
「舞踏会に招かれるなんて本当に久しぶり。こちらこそ嬉しくてよ」
女王が美しく微笑みました。
ふと、後ろで様子を見ていたオーギュストは思いついた体で、女王の前に出ました。そして、お辞儀をし、来てくれた事に対してお礼を述べると、
「アリが、舞踏会デビューの相手を丁度探していたのです。もしよろしければ、そちらのラルフをアリの最初のお相手にしていただく事はできませんか? アリもその方がいいだろう?」
兄の提案に驚きましたが、少女はすぐ、頬を紅く染めながら、大きくうなずきました。
「私が許可を出すまでもない、ラルフ、お前の答えを聞かせておやり」
そう言いながら、女王が少年に目をやりました。
「アリアンヌさえよければ、喜んで」
少年は少し顔を赤くしながらそう言うと、少女に手を差し出しました。
その言葉に喜びを感じるとともに、少年の姿を改めて見て、アリアンヌは、ラルフが白いタキシードのような服装をしているせいか、いつもより、少年がりりしく見えるように思いました。
「もちろん……!」
はにかみながら、アリアンヌはその手を取りました。
            (第八章 後編に続く)

【注 釈】
励む: 熱心に物事を行う
つぐ: 容器などに飲みものをそそぎいれること
汲む: 水などを器などにすくい入れること
腰を折る: 途中で邪魔をして、続ける気をなくさせること
ドワーフ: 童話などに登場する小人
仕舞い: ~しないで終わってしまったことを表す
輿入れ: お嫁にいくこと
はばかれる: 相手を思って気をつかう。ためらう。遠慮する
巷: 世の中。世間
心持ち: 心の持ち方。気立て
ヘッドドレス: 髪飾りのひとつ
瑠璃色:  紫色を帯びた濃い青色
あしらえる: うまく取り合わせる 
公務: 国の事務
エスコート: 付き添うこと
臨む: 出席する
お見知りおきください: あいさつで使う言葉の一つ
エキゾチック: 外国風
顧みる: 振り返って見る
子女: 子ども









             

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