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【小説】極秘任務の裏側 第2話

 一ノ瀬の頭をかき乱すだけかき乱してケイが去っていき、大通りにひとり取り残された彼は途方に暮れていた。
 目の前の歩道橋をぼんやり眺め、はは、日差しつえー……とか独り言を呟いてみたが、自分がなにをするべきなのかもう全然わからなかった。ケイは先程この歩道橋に何かを見つけて焦っていた。しかし、一ノ瀬がどう見ても平和な日常しか見当たらない。試しに階段を少し上り、歩道橋の上を行き交う人々を見渡してみる。駅からこちらへ向かってくる中年男性がふたり、老人がひとり。駅の方角へ向かう女性がひとり、男女のペアが一組、食べ歩きしている子供がひとり。すごいなあの子供、タピオカとチュロスを両手に持って。ここは夢の国じゃねぇぞ、つってな。いや、夢の国にタピオカあるのか知らないけど。そういえば随分長いこと行ってないなぁ。うわ、カラスでか。はぁ……平和だなぁ。
 任務? ってなんだっけ。組織がどうとか言ってたっけ。わかんないや。でも説明不足なハラダさんも悪いよな。同じ任務についているはずの自分とケイが情報をまったく共有できていなかった。まあ、ケイが気になって任務どころじゃなかった自分も悪いが。ケイはどこに行ったんだろうなぁ。ていうか、どこから来たんだろうなぁ……。

 いやいや! あっぶねー、現実逃避している場合じゃない。
一ノ瀬は我に返った。放心状態は思ったより早めに解けた。情報過多なのか不足なのか、一瞬一ノ瀬はパンクしたが、意外と責任感の強い男。仕事を放棄したりはしない。その割にはいろいろ抜けているが、それは仕方ない。能力と心意気は別物なのだ。
 とはいえ……どうしたものか。小型ロボL38を奪還するのが今回の任務。そのために一ノ瀬とケイはターゲットを追っていた。ターゲット……。あれ? 男? 女? 年齢は? 何者? 冷静に考えてみたら一ノ瀬は何を追うのか理解していなかった。漠然と「ターゲット」と頭にイメージしているものはあったが、具体的なものは何も知らないじゃないか。ケイはたしかに何かを知っていた。だからなんとなくついていったけれど、ケイがいなくなった今、一ノ瀬は目的を完全に見失っているのだ。
こんなことってあるか? ノーヒントで任務なんて。ありえない。一ノ瀬は憤ったが、実に今更な話である。ありえないのは何も知らない一ノ瀬の方であり、むしろ気づかなかった一ノ瀬の方に問題があると言っても過言ではない。実際、ケイとの会話もノリだけで、中身は全然なかったのに、そのことにも一ノ瀬は気づいていなかった。
 ハラダさんに連絡してみるか? 今更だけど。この数十分間何をしていたのかって感じだけれど、今確認しなければ事態は更に悪化する。一ノ瀬は慌ててスマホを取り出した。連絡先は知っている。ハラダ……ハラダ……と。

 ハラダとの出会いは、昨年、一ノ瀬が就職活動をしている時だった。もともとおもちゃ業界を志望していた一ノ瀬だが、就職活動は思うようにいかず、心も折れかけていた。MIX BLOCKは業界でもどちらかというとマニア向けで、いわゆる大手企業とはカラーが違う。もちろん一ノ瀬は会社名を知っていたし、採用情報を調べたりもしたが、そもそもMIX BLOCKは社員を募集していなかった。企業からのお祈りメールが続き、もうおもちゃ業界に拘るのを諦めようかと考え始めた頃、ハラダに声をかけられた。
 それは一ノ瀬が勇気を出して初めて行ってみたバーでの出来事。少し卑屈になっている自分に気づき、これではいけないと気分転換を試みた。バーとか、ひとりで行ってみたら大人な自分に酔えるかもしれない。そんな思いで、大学の近くにある青い看板の店に足を運んだ。いや、この言い方だと誤解されるかもしれない。「青い看板の店」というバーに足を運んだ。まあ、実際青い看板の店だから誤解というわけでもないけれど。とにかく、そのふざけた名前の店に入ると、中はカウンターと小さなテーブルがひとつあるだけ。今まで聞いたことのないような落ち着いた声の「いらっしゃいませ」に迎えられ、そろそろとカウンターに腰かけた。パーカーなんか着てきてしまって、場違いじゃないか? そんなことを今更不安になり周りを見回したが、バーにしては早い時間帯だったため、他の客は男性ひとりしかいなかった。ふたつ離れた席に座るその男は、小綺麗なスーツを着込み、ロックグラスでウイスキーかなんかを飲んでいて、いかにもバー慣れしている感じの、バーに行けば必ずひとりやふたり会えそうなタイプの大人の男だった。まあ、いいや。せっかく来たんだから楽しもう。パーカーだって、落ち着いた雰囲気を匂わせることもできるはず。一ノ瀬は、店に入る前から決めていた「ソルティードッグ」を注文した。どんなカクテルなのかよく知らなったけれど、たぶんかっこいい酒だ。2杯目はジンライムにしようかな。よく知らんけど。そんなノリでかっこよく酒を飲み始めた。大人……って感じを満喫していた。
 正直、一ノ瀬は酒癖があまりよくない。いや、かなりよくない。だから本当はひとりでバーなんかに行ったら、かなり迷惑な客だ。まあ、バーというものはガンガンとハイペースでお酒を飲むような店でもないし、学生たちが集まって「うぇーい!」とやるような酔い方は本来あまり見かけない。幸い、さすがの一ノ瀬も泥酔して騒いだりはしなかった。ただただ、地味に面倒な客になっていた。
「俺はねぇ! おもちゃなんすよ……。そう決めてんのに……なんでっすかね……」
「そうですねぇ」
 この話を聞くのは6回目くらいだが、マスターはこの手の客に慣れている。丁寧に優しい声で適当な返答を繰り返していた。数十分前にマスターが優しく励ましたのも、この男はもう覚えていないだろう。
「子供のころにね……ロボ……ったんすよぉ!」
「そうなんですね」
 グラスを磨きながら、優しく微笑むマスター。これがバーだ。この頃、店内に客は先程の大人男性と、テーブル席に若い男女が一組。このテーブル席の女性は、荒ぶる一ノ瀬の声に時々くすくすと笑っていた。
「ロボ……っのに……なぁ……」
「うーん」
 マスターは困った顔をして相槌を打ったけれど、それほど困ってもいない。このくらいならよくあることだ。
「失礼、ちょっといいですか」
 ついにカウンターの大人男性が一ノ瀬の横に立つ。近くで見ると、年齢は30代中盤くらいだろうか。お気づきの通り、この男がハラダである。やっと出番である。
「ああい?」
 顔を上げる一ノ瀬。笑顔で応える。酔いながらも、知らない人から声をかけられた! これぞバー! とガッツポーズをした。
「どうぞここ、ほら……」
 隣の席を勧める一ノ瀬と、「どうも」とスマートに隣に座る大人男性……ハラダ。
「私、こういう者でして」
 これまたスマートに名刺を差し出すハラダ。片手にグラスを持ったまま、片手で名刺を受け取る一ノ瀬。とろんとした目で名刺を眺める。
「ハラダ……さん……」
「はい」
「どうせ原田のくせに……カタカナにしたのはキャラづくりでしょぉぉぉ」
「その通りです」
「やっぱなぁぁぁ」
 ふひひひひひ……と心底楽しそうな笑い声が響いた。

 いや、ちょっと待て。長々とハラダとの出会いを振り返っていたら、すっかり一ノ瀬のキャラがクレイジーになってしまったが、普段はこんなやつではない。抜けたところは多々あるが、いつも一生懸命ななかなかいいやつなのだ。ただ、酒が問題なのだ。まあ、社会人にとって、こういう弱点は結構致命的ではあるが。

「先程あなたは、ロボ……ったとおっしゃっていましたが」
「……言ったっけ、マスター?」
「おっしゃってましたね」
「もし、ロボ……のなら、ぜひ我が社へスカウトさせていただきたいのです」
「我が社って……」
 呆けた顔で先程の名刺を見返す。
「ミクブロ!?」
「ええ、MIX BLOCKの社長秘書、ハラダと申します」
 すっかり酔いが醒めた一ノ瀬は勢いよく立ち上がる。
「お、おおおん社に入学させてください!」
 ……酔いは醒めてはいなかったが、こんな経緯があり、一ノ瀬はMIX BLOCKに入社することができたのだ。ちなみに翌日、一ノ瀬はあまり覚えていなかったため、ハラダから電話をもらい、驚きと喜びで20センチくらい飛び上がった。



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