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滋賀県「びわ湖大花火大会」でのオープンデータ×シビックハックの試みを通じて学んだこと

気付けばもう6年前の話になるのだけど、2014年〜2015年の「びわ湖大花火大会」で県内有志と仕掛けたオープンデータ化&シビックハックに関する試みを振り返る。今にして思えばあれは滋賀県内におけるオープンデータやシビックハック(シビックテック)の最初の火付け役になった出来事だったし、それらを進めるうえで大切なことを学ばせてくれた、とても貴重な機会だった。

データとサービスの提供者を切り分けることで役割を整理し、改善への仕掛け(ハック)を誘発する

オープンデータのことは2010年頃から知っていて、何かと滋賀でひとり勝手に試みは行っていたのだけど(その辺の経緯は追々)、当時自分がオープンデータに可能性を見出していたのは、データとサービスの提供者とその役割を明確に切り分けられる点にあった。

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行政が提供するサイトやアプリは、その元となるデータの第三者利活用を想定せずに作られていることが多い。だから「もっとこうしたら便利になるのに」とサービスを利用する当事者が感じていても、意見を投稿する以外に勝手にその改善を仕掛ける(ハックする)ことが難しい。

地域のデータを整備する役割、そのデータを活用してサービスを作る役割、それらを切り分けられれば、地元の何かを便利にしたいと誰かが仕掛ける改善(ハック)を公共的に共有できるようになるのではないか、オープンデータはそんなシビックハックの土台になりうると考えていた。

そういうオープンデータに対する理解と知見を共有しあい、実践するコミュニティをつくりたいと思い、仲間を募ることにした。知り合いにこの種の取組みに乗っかってくれそうな人を紹介してもらったり、滋賀県内でオープンデータについてブログを書いてる人に声をかけたりした結果、3人のチームができた。たちまちは勉強会から始めたので、「滋賀オープンデータ勉強会」という名称からのスタートだった。

県の一大花火大会をハックせよ

そんな「滋賀オープンデータ勉強会」が実践のフィールドを探していたところ、毎年8月に開催される滋賀県の一大イベント「びわ湖大花火大会」で何かできないかと考えた。

このイベントに目をつけたのは自らの体験からだった。この花火大会当日は毎年35万人の観客が訪れ、多くの客で駅から会場までの道がごった返して事実上の一方通行になる。そんな会場まで歩く途中いろんな人からお店マップのパンフレットや交通規制のチラシ等が配られるのだけど、紙ばかり持っていたら食べ歩きもできないし、携帯も使えないしーー。結局もらったパンフレットやチラシはカバンの中に入れたままになるか、どこかに捨ててしまったりすることになる。それでは何の意味もないだろうと考えていた。

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一応びわ湖大花火大会の公式イベントページに行けば、交通規制や飲食店一覧のマップはPDFで公開されていたりするのだけど、小さな画面でそんなPDFを開こうなんて思わない。そういう情報はいっそのことオープンデータとして公開されていて、みんなで勝手&自由に花火大会を便利にするサービスを考え作れるようになったほうが面白かんべ、というので、オープンデータのコミュニティのなかで、そんな環境を実現させるプロジェクトを立ち上げようと考えたのだった。

そのためにやるべきことは2つ。「びわ湖大花火大会に関するあらゆる情報を、関係者の協力を得てオープンデータとして公開する」、そして「それらのデータを使って自由にサービスをつくろうと思ってくれる人を探して増やす」。大変なことだけどこれを2〜3ヶ月でやる必要があった。

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また、こういう取組みを進めていくのなら、全国で広がる Code for の冠を使えば、全国の色んな人たちとの接点が生まれるのではとチームの一人が提案し、「Code for Shiga / Biwako」という名称として活動を進めることになった。

Mission 1 「関係者の協力を得てデータを公開する」

そもそも我々はびわ湖大花火大会の主催者でもないので、勝手にデータを公開する権限などない。つまりびわ湖大花火大会に関するデータを持っている人たちの賛同を得て、データ化の作業と公開をお願いしないといけなかった。

また、びわ湖大花火大会に係る情報は何も大会実行委員会だけが持っているわけではない。実行委員会が持っている情報などたかが知れていて、会場周辺のグルメマップを作っている団体や会場周辺の公共施設(トイレなど)を管理する自治体など、必要とされる情報は大抵周辺の様々なステークホルダーが分散的に持っているものだ。それ故に実行委員会の理解を得るだけでなく、この街に関わる複数のキーマンにあたっていく必要があった。ましてや当時は「オープンデータって?」という時代だったので、一人でも「なんやようわからん」と言われた時点で試合終了である。

とりあえずびわ湖大花火大会実行委員会に関わる知り合い等に相談をもちかけることから始めてみた。するとその知り合いの紹介で、この実行委員会の「地域活性化部会」に関わっている大津商工会議所から、この部会の実証事業としてそのプロジェクトを実施しないかという話をいただいた。地域活性化部会のミッションは花火を見に来てくれた人たちに地元店舗の情報を届け、足を運んでもらって賑わいをつくることにあったのだけど、そのミッションと自分たちの問題意識が合致するという話になり、関わらせてもらえることになった。この縁をきっかけに様々なステークホルダーへとアプローチできるようになった。

ただし実行委員会部会の一環で活動させてもらえても、オープンデータ自体のことや我々の問題意識を関係者と共有しえない限り、プロジェクトを進めることが難しいことも理解している。そこで、お願いする様々なステークホルダーが花火大会で重視していること(警備計画に影響を出さないようにするとか、店舗に一切の負担をかけないとか)やその優先順位を第一に聞きつつ、逆に我々が開くオープンデータの勉強会に来てもらったり都度打ち合わせを重ねる等して、こちらが大切にしていること(特に問題意識)もしっかり理解してもらい、一緒に実現できそうな妥協点をはかっていった。

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オープンデータと銘打つのなら、本当は公開する各団体のデータは各団体の責任で個々に管理しあうが理想なのだけど、あいにくそこまでの余裕がなかった。今回は初めての試みだし実証実験的にやろうというので、Code for Shiga / Biwako が各団体がもつデータを預かり、彼らのライセンスのもと、公開から運用までを請け負うことになった。

また、そもそもデータとして存在しないけど公表した方がよいと判断したもの(例:会場付近にある公衆トイレの設備情報)については、実際にフィールドワークを行なってそれをスプレッドシートに落とし込む作業までやった。

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最終的には会場近辺にあるトイレ・駐車駐輪場・仮設ゴミ箱の位置&設備情報、会場近くの飲食店・観光施設の営業時間等情報、打ち上げられる花火の各打上時間・座標・解説情報などが公開できることになった。

そしてデータづくり。これも誰かに丸投げするということはせず、Linked Open Data Initiative や ATR Creative (現 Stroly)の方々のサポートを得ながら、RDF や SPARQL などを学んで公開した。Code for を名乗る以上「コードがなければ自ら学んで書けばよい」という姿勢をとにかく大事にした。作業自体は大変だったし色々お叱りも受けたけど、ああいうのをプログラミング初心者が集まって学んでコードを書くという時間はとても貴重だったし、その姿勢故にいろんな人たちの協力を得られたのではないかと思っている。

またデジタルキューブの人たちの協力も得て SPARQL Endpoint まで公開させてもらえたほか、画像などの比較的重いデータへの集中アクセスでサーバーが落ちるリスクを回避するため、CDN まで調達した。

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こうした紆余曲折を経て、Code for Shiga / Biwako のサイトに、これらオープンデータの詳細情報を公開した(今アクセスできないというのはそもそもオープンデータとしてどうなんだという批判には甘んじて受けます。。)。

https://web.archive.org/web/20150210234854/http://opendata.shiga.jp/hanabi2014/

Mission 2 「みんなでアプリを作って公開しあう」

このプロジェクトはデータを公開して終わりではない。びわ湖大花火大会当日までに誰かが「面白がって」アプリを作ってくれるところも、きちんと責任もってデザインしていく必要がある。

当時はそもそもオープンデータの意味すらまだ知られていない状況だったので、周囲のクリエイターらにオープンデータのことを知ってもらい、企画に対して面白がってもらう必要があった。ビジネスとして企業が関わるには色々無理があるのはわかっていたので、どこかの会社や団体に声をかけるのではなく、近隣で個人的に活動しているクリエイターやエンジニアの人たちを見つけては、「◯◯してみる」の延長線で直接声をかけるなりした。

声をかけた記録は、相手方のウェブページに載せてもらっている。

あわせてコードを書いたことがないという人にもオープンデータの醍醐味をもっと知ってもらいたかったので、データとアイデアだけで簡単なアプリが作れることを体験してもらえるワークショップを開いた。前職の取引先だった人にお願いしてワークショップの講師をしてもらったのだけど、今思えばこういう裾野の広げ方が、このプロジェクトのインパクトに繋がったんだろうと思う。

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オープンデータを公開したのが7月15日で花火大会3週間前というタイミングだったのだけど、そんな短期間でも最終的に9つのウェブアプリが完成し、びわ湖大花火大会の公式ページで紹介してもらうことができた。また花火大会当日の各紙朝刊でも、花火大会開催の記事よりもアプリ開発の記事が大きく取り上げられた。

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当日は雨が降り、いろんな細かいトラブルがあったのだけど、それでも様々な人たちの協力を得て公開されたオープンデータは、かくしてアプリとして公開され、無事大会来場者に届けることができた。

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この当時のインパクトは大きなもので、県内メディアに取り上げられるだけでなく、県内の様々な自治体の議会でも取り上げられるなどして、その後県や一部の市でオープンデータが公開されるようにもなった。

Mission 3 「課題を出しあって次回に活かす」、が・・・

オープンデータ公開やアプリ開発は、実際に一度経験することによって色々な課題が見えるものである。花火大会が終了して数週間後、打ち上げも兼ねた反省会を開くことにした。

気がつけばこのプロジェクトに70名の人たちが関わっていた。反省会にはデータ公開やアプリ構築に関わった30名強もの人が来てくれて、互いに反省点を語り合った。

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当日言われていた反省点を参考までに記しておくと、こんなものがあった(当時のメモより)。これらは報告書としてまとめ、翌年以降の実施に生かしていくことを確認しあった。

花火大会の当日開催情報(決行の有無)や、JRなどの混み具合(交通情報・混雑情報)に関する情報が欲しかった。まず最初に「当日開催情報」が理解できて、初めてその他の観光施設や飲食店などの情報に関心が向くため。
トイレについて、公衆トイレの情報以外に、コンビニや一般店舗にあるトイレの情報も欲しかった(普通はあまり公衆トイレは使わないから)。またオムツ替えのできるトイレや車椅子でも利用できるトイレの情報もあるとよかった。
ウェブアプリへのアクセスのおよそ8割は「びわ湖大花火大会」公式サイトからによるものだったが、17:00 頃以降に「びわ湖大花火大会」公式サイトのサーバーが落ちたようで、それ以降のアクセスが途絶えたものが多かった。アプリの方ではCDNが用意されたものの、流入元がCDNに対応されずアクセスが途絶えてしまうのは意味がないので、次年度以降に活かしてほしい。

そして、その翌年の2015年も同様にびわ湖大花火大会のオープンデータを活用したアプリ開発のプロジェクトが立ち上がった。2014年はいわば勝手に我々がアプリを作っただけだったのだけど、2015年になると実行委員会側も我々のアクションを頼りにしてくれ、警備スタッフ向けの説明会でも「Code for Shiga / Biwako によって有志が作成するアプリを、参集者への情報伝達ツールに役立ててほしい」と説明してくれていた。

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だが、2015年の試みは根本的なところでうまくいかなかった。

すごく簡単にまとめると、我々の思い上がりで、相手との信頼関係を壊してしまった。2014年のプロジェクトを機に Code for Shiga / Biwako に関わってくれるメンバーが増えていくなかで、「様々なステークホルダーが重視していることやその優先順位への尊重」が疎かになった。そこから生まれた我々の振舞いが一部の実行委員会関係者から「自分たちが勝手にやりたいことだけをオープンデータと称して実行委員会に公開させようとしている」と不信感を抱かれてしまい、お互い大事にしていることを共有しあえていないことから一時喧嘩にすらなってしまった。

2015年も同じようにオープンデータは公開されて(2014年の反省点で共有された「当日開催情報のRSS配信」など、新たなデータも公開された)アプリも生まれはしたものの、オープンデータやシビックハックに対する根幹の理解が崩れてしまっている状態で今後も続けることは難しかろうという話になり、このプロジェクトは静かに幕を閉じたのだった。

オープンデータ×シビックハックの土台は、当事者らとの「相互理解と信頼関係」にある

こうして振り返ると、地域でオープンデータ化を促したりシビックハックを仕掛けていくには、データを持つ(或いはそのテーマに直接関わる)当事者らとの相互理解と信頼関係が何より第一だということに気づかされる。当たり前だと言われそうだけど、意外とこれができてない取組みって多いと感じている。

自分が初めてシビックハックという言葉を聞いたとき、「自分の得意分野を勝手に生かして地域の Pain を直しあう」ってポジティブだよなぁと、地域と接点をつくれない自分みたいな人間が自分の得意分野で繋がっていけるってワクワクするなぁとか思っていた。実際そういう気持ちで花火大会のプロジェクトに取り組んでいたのだけど、でも何かを変えていく・関わっていくには、そこに関わる様々な相手の気持ちを理解しないといけない。相手に信頼してもらえて、また相手を信頼して、そして相手と一緒に行動して、初めて物事は変わるものである。それを「面白そう」という動機だけで相手の家に土足で上がり込んで、相手の部屋を自分好き仕様にカスタマイズしてしまうのは、ただの独りよがりだ

オープンデータにしてもデータを持つ「当事者」が責任をもって公開し、当事者がその後の更新や改善を行えるようになってナンボだったりもする。それ故に、オープンデータを出してもらうこと、管理してもらうことに対する配慮や感謝の気持ちもしっかり共有しあわなければ、とりあえず誰かの支援(或いは勝手)によって公開したところでいずれそのデータは更新されなくなる。

2014年のプロジェクトが成功したのは、何より Code for Shiga / Biwako、大津商工会議所、びわ湖大花火大会実行委員会、大津百町まちなかバル運営委員会、大津市、それぞれの責任者がそれぞれの立場を尊重しあい、超えちゃいけないラインを理解しあって仕事を共有しあえていたからだと思う。その関係が2015年は築けなかった。だから失敗した。

2014年のプロジェクトがうまく行ったときは各地で講演に呼ばれたりもして、こんなスライドを作ったりもしたのだけど、何より大切なのは改善のプロセス以上に信頼関係の積み重ねだったんだなというのを、2015年の失敗を経て気付かされたのだった。

その後県庁に入庁してから試みたオープンデータ関係のあれこれを通じて、新たに学んだことがたくさんある。その話はいつかそのうち。。。