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無駄な時間なんてない

15歳の冬、私は急に学校へ行きたくないと思った。

それは本当に突然で、自分ですら理由が分からず困惑した。イジメにあっていた訳でも、勉強が嫌だったわけでもない。ただ、ただ行きたくないという感情が大きくなり、それでも行こうとすると腹痛がおこり動きたくない、となるのだ。

中3の冬なんて、高校受験に向けての一番大事な時期。親も、ただ驚くばかりで、なぜ今?と。でも有難いことに親は私を責めることもなく冷静に対応してくれた。学校に行ける日は行けばいい、辛くなったら帰ってくればいい。学校に行きたくない日は家でちゃんと勉強すればいいよ、と。私はその通りにさせてもらった。

ほぼ不登校。でも今まで真面目に学校へ通い、成績も悪くないほうだったので推薦という形で私立の女子校に入学することができた。 とても可愛い制服の学校で嬉しかったし、高校からは心機一転頑張ろうと決めた。

けれど原因の分からない倦怠感は、そう簡単におさまる訳もなく、高校に行っても数日登校して数日休む、ということが続いた。単位が足りなくなり、もう一度学年をやり直すか、退学するか… 私はどん底に落とされた気分だった。 そうなる事は予想できたのに、まさかというか、とにかく考えが甘かったのだ。

親の転勤の都合もあり、その女子校は退学する事にした。次の春、通信制の高校に再入学した。

その通信制高校は平日はラジオ機器から放送される授業を受け、日曜日に学校へ通うというシステムだった。私のようにあまり学校へ通いたくないという若者から、昔高校を卒業できなかった、高校に行けなかった年配の人まで様々な年齢層の生徒がいた。

みんな目的はただひとつ。高校卒業の資格が欲しいということ。私もそこでは問題なく単位を取ることができ、無事に卒業した。

いつの間にか、私の謎の倦怠感はなくなり、平日はアルバイト、日曜日は学校という生活が当たり前になっていた。今考えてみても何故それがおこったのか全く分からない。

ただ今だから言えるのは、人生はやり直しがきくっていうこと。一年無駄にしたかもしれない。でも大人になった今、その一年のブランクが支障をきたすことなんて全然ない。むしろ自分と向き合い考えることが出来た貴重な一年だったかもしれない。そして親の寛大さを知れた、良い経験だったとも思う。 もし私が普通に何事もないまま成長して子供をもち、子供に困難が起きた場合、私はどんな対応ができただろうか。 私が普通ではない困難にあった時、親がしてくれたことを私は絶対忘れることはないし、それをこれからの育児に活かさなければと思う。

人生に無駄だった時間なんて1日もない。遠回りでもない。きっと行くべき道に進んだだけなのだと思う。



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