見出し画像

"基礎から始める"の呪縛を解く

「基礎から始める」。そんな考え方が私たちを遊び心から遠ざけているのかもしれません。「基礎」という言葉にひそむ、つまらなさに潜む落とし穴を見つめてみましょう。

「基礎」から始めるつまらなさ

Apexというゲームを例に出してみましょう。あなたがこのゲームを始めたとき、まず射撃訓練所で操作方法や銃の使い方を練習し、ルールをしっかり把握した上で初めてマッチに挑むでしょうか?おそらく多くの人が、ルールも操作方法もまだ完全に理解していないままマッチに飛び込みます。そして繰り返しプレイするうちに、自然とルールを理解し、操作も上達し、敵を倒せるようになる。

これは、「実践」が先にきて、「基礎」がその後に続く、という自然な学び方の一例です。

学校の教育と「基礎」

しかし、ゲームの世界から一歩外に出て、スキルや資格の獲得について考えると、私たちは一貫して「基礎」から学び始めます。この理由は、多くが学校教育の影響によるものです。算数は足し算、引き算から始め、新しい漢字はまず使わず、ひらがな、カタカナからスタートします。
そこからスタートしないと後に続く「応用」「実践」ができないと思われているからです。

そして、その「基礎」から始めるという流れは、どんなに興味深いテーマでも、一度つまらなさに見舞われると、モチベーションが低下し、最終的に学びを止めてしまうことがほとんどです。

特に英語学習などで「基礎」から始めなければならないという呪縛に縛られることがよくあります。
たしかに文法、単語、発音、全て大切ではあります。
ですが、外国人との会話を楽しむ実戦から始めるのは、英語を遊びながら学ぶ上でとても刺激的で学びを促すものになります。
「あのときああ言いたかったけどどう言えば良かったんだろう?」「外人の人って○○ってよくいうんだな。よし次から真似してみよ」といった興味が引き出されて、Apexの例で挙げたように、楽しみながら自然と学び、成長することができます。

学び方の改革

ほとんどの人は、これらのことを理解しているはずです。しかし、「基礎」から始めるという学び方をやめられない。その大きな理由は、学校での学習法が深く根付いているからです。

だからこそ、私たちは新たな学び方を模索し始めるべきです。「やりたいことを本気で遊ぶ」ために、「基礎から学び始める」ことをやめてみませんか?これが、私たちが「遊び心」を取り戻す、新たな一歩となるでしょう。


良かったらサポートお願いします!あなたの応援が励みになります。