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GHRD-ジグソーパズル(1998-99)

GLP-II の前触れ(日本語版)ー香港赴任と台湾三菱でのビジネス開発

GLP-Iはその後も継続され、計6回の開催によりISとNCSはほぼ全員が参加した。よって、グローバルへの「意識改革」は端緒に就いたが、所詮は連結6万人の中での僅か数百名が参加しただけである。その当時は、本店の一部および米国三菱などの大オフィスではかなり盛り上がったが、物理学的に観れば、E=MC2 による変革エネルギーは小さ過ぎた。

個人的に振り返れば、連結ベースで僅か数百名(1%余り)の意識改革でグローバル全社6万人の意識改革に繋がると考えること次第が甘い考えであったと思う。社内TVのようなリアルタイムの広報手段もない時代であったから、「改革熱」の伝播は緩慢であったし、受けてに「種」が無ければ「行動」には繋がらない。
やはり、90年代のGEが社長の指揮下で不断に実施した、「セッションC」のような、特定された経営陣の一人一人とその施策体系を追及する中で、当該責任者のビジョンを吐き出させ、厳しい対話を通じアウトプットの限界まで突き詰めるようなプログラムが組織構成員の大多数に行き渡らない限り、「具体的行動」にまで至る「真の変革」は困難なのではないかと思われるようになった。更に、後にGLP-IIの時代に活用した社内TVは大分役に立ったと思う。これについては、2001年以降のGHRD施策に関連して後に詳述する。

では、元々の予定施策の中に盛り込まれていたGLP-II(「自己組織の強みを更にテコ入れする」:Leveraging Advntage)とは何なのかということであるが、1998年当時の自分には、専らビジネスの現場での経験知見の不足から、GLP-I とGLP-IIの関連についてはそれほど「深い思い」が及ばなかった。
そのような個人的な「プロ人財への道程」において誠に中途半端な状況の中で、突然香港の人事子会社への出向が任命された。経営およびコンサルスキルの両面において大変難しいミッションではあったが、後年振り返れば、この出向は、あらゆる意味で、自分自身の「グローバル人財」への方向性を決定付けた貴重な2年間となり、2023年現在の自己実現の欲求に直接発展した問題意識が芽生えた「様々な現場での実体験が毎日毎週のように続いた時期」であった。

この期間の「孤軍奮闘」は、2001年以降の本社GHRDオフィスでの施策体系に大きな影響があったので、一つ一つ詳述したい。

①台湾三菱の人事制度コンサルからの教訓-域内HRD夜明け(新規事業開発プログラムの企画実施ーそして実行)
②アジア+HRDマネジャーネットワーク新設と初のHRD会議@香港での試練
③欧米グローバル企業からの貴重なる学びと震撼すべき教訓
④在香港人事子会社の「経営」を通じた数々の教訓と組織開発への関心増大
⑤インド三菱との邂逅と初めての大規模HRHRDコンサル
⑥「契約的キャリアマネジメント」の試みー現在に続く大きなHR課題の第一フェーズ

4-2-2-①へ続く 日本語版

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