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幸せについて僕が考えること

6月15日 世界一周56日目

今日、トルコ地震の震源地であり甚大な被害を受けたトルコの「HATAY」という所に今日行ってきました。

被害は甚大でした。街のほとんどの建物がダメになり、ヒビが入っていたり崩壊していたり、地震から4ヶ月経った今でも人々はテントを張り毎日瓦礫を片付けては復興活動に励んでいます。ハタイから出て別の街で暮らすことを決めた人も少なくありませんでした。

生活は大きく変わってしまい、亡くなった方々、無くしたものも沢山あります。でも、変わらないものもありました。子供たちは希望です。見るに耐えない街の様子とは裏腹に、強く逞しく笑う子供たちが、ハタイにはいました。

スリランカに行って日常の中にある"当たり前の違い"を知った時からずっと幸せについて考えていました。

東日本大地震、阪神淡路大震災、僕はどちらとも経験していませんが、僕の住む神戸は地震による被害を受けています。最寄りの駅、毎日歩いていた道が崩壊している写真、火事であちこちから煙が上がっている動画、いつも通りの時間に会社のオフィスにいると急に揺れ始め照明やタンスが倒れてくる映像。

動画を見ただけでもとても怖かったです。

「もし自分があの場にいたら...」

そう考えるだけでゾッとします。

ハタイの街を案内してくれた方のお父さんは、地震による恐怖で目が開かなくなってしまったと言っていました。

世界一周という非日常に飛び出している今だからこそ毎日人や当たり前に感謝をする日々ですが、日本にいるときは良い意味で平和ボケしてしまっていて、毎日生活の中で何かに感謝することはほとんどありませんでした。

今回地震の違いにあった子供たちと触れ合うことができて、そのことについてとても考えさせられました。

子供たちは正直なので、楽しくないと全く笑ってくれないんです。トルコ語しか話せないので少し会話も成り立たないですし、僕が誰で何をしにきたのかも分からず、最初はすごく距離を取られました。

その時の子供たちの不安そうに怯えている顔がすごく分かりやすい僕に対する最初の印象で、怖がっているのがよく分かりました。タイやカンボジアに行った時はみんな最初から人懐っこくてすぐに打ち解けることができたのですが、トルコではそうではそうはいきませんでした。もう4ヶ月経っているとはいえ、まだ心の傷は癒えていないんだと思います。

ゆっくりで良いので心を開いてもらえるように話しかけたりジェスチャーをしてみたり、沢山笑顔を見せるようにしました。1人の子が僕のことを「ブロー(兄弟)」と呼ぶようになって、打ち解けてくれたのをきっかけに、徐々に他の子も心を開いてくれるようになりました。

僕と似て髪の毛がクルクルの男の子は「Japan」というあだ名を付けられ、みんながそれについて笑っている様子を見て「この子たちはまだこんなに笑えるんだ」と強く感動しました。

中学生の頃、職業体験で一週間保育園の先生をしたことがあるのですが、ハタイの子もその時の園児たちと何も変わらないごくごく普通の可愛い子供たちでした。失ったものの大きさを勝手に想像してネガティブなイメージを持ってしまっていただけでした。

人が笑う時が幸せな瞬間だと僕は思います。

この子たちが僕を見て笑ってくれたのは、周りに友達がいたからでした。誰かの笑い声が伝染して輪になって大きくなりました。

しあわせの価値観は人によって違っています。それは生まれた環境や今までの生活ぶりで変わってきたりするものですが、本能的な
しあわせの価値観はきっと同じです。

お金があって毎日保育園に来れている子も、地震の被害にあって心に傷を負った子も、裸足でサッカーをする子も、そして僕自身も。

これまでの体験や世界一周で色んなものを見た中で、僕が思う幸せを感じるために必要なことは

「未来」と「人」です。

安心して生活できる"明日"が想像できること。そして自分と似た人や友達が近くにいること。これが子供たちが笑顔になるために必要な条件ではないのかなと思います。

そしてそれらが揃っているのが、

「学校」


だということに気がつきました。

明日死ぬと思いながら学校に行く人は居ないと思います。タイのスラムに行ったときも、カンボジアの地方に行った時も、ラオスの小さな村に行ったときも、僕は何らかの学校やチームにコンタクトを取りボールを渡すようにしました。そこは貧しさや不便さはあれど生活はでき、子供たちもたくさんいました。

サッカーボールをあげて喜んでくれたのはただサッカーが好きなのもあると思いますが、このボールがあれば「明日から友達と遊べる」と思ったから、明日から友達とサッカーをしてる楽しい未来を想像して、それが嬉しかったんだと思います。

自分が助けられた分、子供たちを助けられるようになりたい。

そう言って世界一周へ飛び出したものの、どうやったら子供たちが夢を持ってくれるのか、自分がやりたいことは何なのかが分からずにいましたが。

今日少しわかった気がします。

僕はみんな平等に不平等なこの世の中でも、みんなが幸せを感じられるような、笑顔になれる仕組みを作りたい。

つまり、

「学校を建てたい」


これが僕のやりたいことの執着点です。

もちろんまだぼんやりとしていることだらけ、思いつきで言ってる部分もあります。実現のために何が必要かもわかっていないです。これが終着点かもわかりません。

でも学校を建てたいという気持ちに嘘はないと思います。

高校生3年生の時、合宿のミーティングで思わぬ形から自分の将来の夢をみんなの前で発表する機会がありました。後輩もコーチたちもみんないる前でその時僕が言ったことが、「貧しい子供たちのための学校を建てたい」でした。

当時はそんなこと考えたこともなかったし、なぜそんなことを言ったのかも分かりませんでした。子供たちを助けたいとは思っていましたが、何の具体案もなくとにかく今はサッカーを頑張ろうという時期。

でも自然と、言葉が詰まることもなく、僕はそう言っていました。

だから僕が世界一周をして被災地に来て、この答えに行き着いたのも妙に導かれている気がするというか、なるべくしてなったのではないかなと思っています。
この感覚がわかるのはきっと世界で僕だけだと思います(笑)

やりたいことは見つかりました。が、今後もまだ旅は続きますし日々新しい発見は増えると思います。学校を建てること以外にもやりたいことは沢山あるし、今後もまだまだ増えていくと思います。

こうやって今当たり前に明日を想像できている僕も、応援してくれて手を差し伸べてくれる人がいるからこそなりたっています。

どんな人と出会って、どんな経験をして、今後どのような人生を贈るとしても、感謝の気持ちはどこに行っても持ち続けます。


幸せについて僕が思うことは、
世界で1番人に感謝できる人が、世界で1番幸せな人。

僕は今とても幸せです。

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