3年ほど前に、後輩がミュージックビデオを自主制作すると言い出し、それに出演してくれないかと言われ、断り続けたが「すぐ終わるから」と言われ渋々出演したことがある。

駅のホームで仕事に疲れてぐったりしているというシーンだったと思うけど、本当に難しすぎて逃げ出したくなった。

いつもカメラの裏側で芝居を付ける側の自分がいざカメラの前に立つと何もできず、結局そのミュージックビデオがこの世に出ることは無かった。

とある映画関係者が集まるパーティの帰りに「すみません、俳優の方ですよね?僕の映画に出演してもらえませんか?」と声をかけられた。「申し訳ありません、僕は俳優では無く、創る側なんですよ」と言うと「監督さんでも構いません。あなたしかいないんです。次回作で童貞役をできるのは!」と熱望されたことがあった。

ツッコミどころ満載のエピソードだが、そのとき「もし出演してたらどうなってたかなー」と今でも思い返すことがある。
その作品は某映画祭でグランプリに輝いた。

俳優という仕事、自分は本当に向いてない仕事だなと思う。

僕は映画制作の際、脚本も担当する。その際たしかに自分でキャラクターを生み出しているのだが、そのキャラクターのことを全て理解してるか?と問われると分からない。

生み出した僕ですら分からない人物を、俳優は生き抜く。毎回驚かされる。とんでもないことをしてるなこの人たちは、と。

そんな俳優はほとんどが「オーディション」という形で選ばれるが、僕はあまり得意ではない。

というのも、オーディションって、募集した【制作チーム】側が選考の権利を持つのでなぜか強者となり、選考される【俳優】を弱者とする雰囲気がある。

この雰囲気が嫌いだ。そもそもなぜ監督が偉いことになってるんだ?と不思議でならない。(逆に俳優が偉いという雰囲気も変だが。)

なぜ、強者と弱者があるのか。それはその方が断然楽だからという理由だろうが、映画制作の現場というのは本来純粋で、映画を撮らないと死んでしまうのでは?というような人が集まっている気がする。

僕の新作『あしきた映画(タイトル未定)』でも多くの方が出演したい!とオーディション会場へやってきた。演技経験問わず、とにかく心から映画に出たいと思った人は全員来てくださいと伝えていた。

僕の予想では30人ほど集まるだろうなと思っていたが、結果的には70人ほどの方が集まり、当初予定していた「全員個別面談」は叶わずグループでの面談となった。

『あしきた映画』の1番の思い出は?と問われると、きっと僕はオーディションを挙げる。

本当に感激だった。

芦北町に何か恩返しがしたい。自分が生きた証を残したい。過去に俳優を目指したことがまだ諦めきれない。

故郷に、こんなにも熱い想いを持った方々がいる。僕はこのオーディションで多くの刺激をもらった。

しかし残酷で出逢った全員の方を出演させることは出来ないし、僕はオーディションを開催した以上、決断しなくてはいけない。毎回辛い思いをして決断している。だからなるべくオーディションはしたくない。

だけど、こんなに素敵な出逢いのチャンスはなかなか無い。今回オーディションから選ばれた方々は最後まで映画を輝かせてくれた。

きっとまた僕は懲りずに嫌だ嫌だと言いながらオーディションを開催するんだろうな。

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