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好きな事をただ一筋に


#忘れられない先生

中学生になって初めての音楽の授業には大変驚いた。担当の先生は割合小柄な女性だった。立ったままバーンと起立の合図を弾くと、「はいっ、みなさん起立!」とよく通る声で号令をかける。思わず弾かれたように立ち上がった。

「足を肩幅より少し広く開いて。出っ尻、鳩胸!顔は正面より少し上に向けて!顎はあげすぎない!」そしていきなり発声練習。「声は喉から出しません!高い声は頭のてっぺんから!低い声は胸から!」え?声って喉から出すんじゃ?頭から声?なにそれ?全く訳が分からず、目を丸くしたまま、先生のなすがままであった。

授業が本格的に始まっても、教科書はほぼ開いた事はなかった。とにかく歌、歌、歌。先生のパワーに押されてか、結構やんちゃな生徒も音楽の授業だけは真面目に参加していた。というか、先生がやんちゃとか教科書を忘れたとか全く問題にしないのである。ヤンキーだろうが誰だろうが、熱心に指導する。少しでも改善点があると手をたたいて喜ぶ。歌う喜びをわかってもらえた、という高揚した思いがビシビシ伝わってくる。「教育的配慮による褒め」では全くないので、褒められるとヤンキーも苦笑していた。歌う事への先生の愛が先生の全身から溢れていて、圧倒された。

卒業式は「タンホイザー」や「銀色の道」「ふるさと」など、普通歌わないような曲ばかりだった。勿論全員暗譜である。きちんとパートが割り当てられ、混成4部合唱で練習した。音楽の授業はこの曲ばかり歌っていたように思う。お陰で、「ふるさと」のアルトのパートは40年近く経った未だに歌える。卒業式では歌が終わると、来賓席や父兄席で涙を拭う人を何人もみた。

卒業直前の授業で、先生は私達生徒に珍しく餞(はなむけ)の言葉を送って下さった。詳しくは忘れてしまったが、声楽家を目指して音大に進んだこと、実力が足りないと感じ、プロを諦めて先生になったこと、歌以外のことは人より劣っていた(結婚も出産も遅かった)こと、などを話して下さったと思う。

先生は心から歌が好きで、歌う喜びを沢山の人に伝えたかったのだなあ、としみじみ思う。とっくに退職されているはずだ、と思っていたら、何年か前、母が地元紙で見たと言って記事を見せてくれた。地元のママさんコーラスを率いて全国大会で金賞を受賞されたそうだ。やっぱりまだ歌ってらした。もうかれこれ70すぎでらっしゃると思うが、まだまだお元気そうだった。好きな事をただ一筋にやっておられる方は、年齢を感じないなあ、とインタビュー記事の笑顔の写真を見ながら思った。

他の人が何と言おうが、自分の好きな事をやり通す。そこに自分の生きる道がある。卒業以来お目にかかっていないが、先生の生き方は私の良きお手本であると思っている。

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