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東京のベンチャーから、コロナを機に長野県の人口1.1万人の街に移住してみた

hayashoと申します。これまで東京で外資コンサル企業を経て、スタートアップ支援 / 新規事業開発の仕事をしていたのですが、コロナを機に長野県で面積が最も小さい自治体である小布施町で街づくりに携わるために移住しました。

小布施町では「総合政策推進専門官」という役職を拝命し、環境面・財政面の持続可能性の両立に取り組む予定です。小さな自治体ならではの機動力を生かしながら、地域資源やICT技術を有効活用した持続可能な街づくりに挑戦します。(ちなみに東京での仕事も一部はオンラインで続けているので、パラレルワークです)

このnoteでは、東京にいた私が小布施町に出会い、少しずつこの町の魅力に惹かれ、最終的に移住を決意するまでの経緯を、自分の節目として書き残しておこうと思います。

0. 私のバックグラウンド

私は元々、大学院でイノベーション政策を研究し、技術やアイディアが社会に実装されるプロセスに強い関心を持っていました。いわゆる「スタートアップ」のような大きな事業収益を生み出すものでなくても、着実に社会をよりよくする技術やアイディアは沢山あります。そうした「種」が社会の中で芽吹き、育つ仕組みを整えることで、【人や社会のポテンシャルを最大化したい】という思いを今に至るまで持っています。

とはいえ、「イノベーション」が社会に与えるインパクトを測る分かりやすい指標の一つは、ビジネスとしての成功であるという側面もまた事実。事業として成立しなければ、どんなに素晴らしい構想も絵に描いた餅である、との考えから、大学院修了後は外資コンサルティング企業に就職をしました。

その後、渋谷の中心地にあるビルを一棟丸ごと拠点にして、スタートアップ支援や新規事業創出を行う「EDGEof」という会社の創業期に声をかけてもらい転職。直近2年ほどは海外ベンチャーの日本進出などに取り組んでいました。

一方で、「人や社会のポテンシャルを最大化する」という目標に向けて、業務外の時間を使って、学生時代に自身が設立したNPO法人Bizjapanや、世界経済フォーラム(ダボス会議)傘下の若者組織であるGlobal Shapersハーバードビジネススクールの日本での集中講義でのTeaching Fellowといった活動を通して、イノベーター教育 / ワークショップ運営の取り組みを続けてきました。

1. きっかけは友人の誘いで参加した「若者会議」

そんな私が小布施町に関わるようになったきっかけは、2018年2月の「小布施若者会議」。Global Shapersの仲間でもある友人が小布施町に移住して地域活性化に取り組んでおり、彼の誘いで週末に遊びに行く程度の感覚で街を訪れたのでした。

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この「若者会議」はなかなかユニークな取り組みで、町の「外」に住んでいる若者が小布施に集い、町長をはじめとする町の方にアイディアを提案する、というイベントです。

「環境」というテーマを与えられた私は、町の名産品である栗の皮でバイオ燃料を作るのはどうか、というアイディアを発表しました。かつて小布施ではリンゴの剪定枝を使ってバイオ燃料を作ろうとしたことがあったそうなのですが、個別の農家さんから枝を集めるプロセスが非効率で断念した経緯がありました。

しかし、栗が有名な小布施町では数軒ある栗菓子屋さんから数百トンの栗の皮が廃棄物として処分されています。ここに目を付けた私は、工場で廃棄される栗の皮をリサイクルすれば環境に優しい仕組みが作れるのではないだろうかと提案。

すると「是非やりましょう」との町長や地元企業の方の力強いお言葉が。(このノリの良さが小布施を小布施たらしめる所以なのだと、徐々に気づいていきます。。。)結果的に、その後も毎月1-2回小布施に通い続け、地元企業の協力を借りてプロトタイプを作成しました。

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↑「燃焼実験」と称して開催したBBQ大会(笑)

地元企業と協働しデータと向き合う中で、年間19億円もの税金が冬の暖房など化石燃料の購入のため町外に流出していることが分かりました。寒さも厳しい小布施では行政でも多くの灯油を購入しています。もし栗の皮でバイオ燃料を開発し、エネルギーを自給自足したら、環境に優しく、町の財政にも優しいと考えました。

しかし、灯油と比べると単純な価格競争では負けてしまうので、実際に施設に導入をするインセンティブがない。行政の調達基準に環境価値の概念を入れるなど、バイオ燃料の生産だけではなく、街全体の仕組みを変える必要があると考えるようになりました。

2. 経済産業省「未来の教室」に採択、街を学び舎に

プロジェクトのために小布施町に通っていると、「小布施の地域課題」を題材にした企業向け人材育成プログラムの企画・運営のお誘いを受けました。(こういう企画がどんどん出てくるところがもう一つの小布施の「魔力」です・・・)

これまでライフワークとして起業家教育に取り組んできた私にとっては、願ってもないドンピシャな機会だったので、二つ返事で協力させていただくことに。また、有難いことに、このプログラムは経済産業省の「未来の教室」に採択されました。

「まちづくり」に取り組むには、複雑に絡み合う課題の整理や、先進事例からの学びの抽出、関係者の調整など、多面的なスキルが必要とされます。私は東京でスタートアップ支援をする中で、こうしたスキルセットは新規事業を作る人に必要な能力にも共通する部分があると実感していました。

街全体を学び舎に見立てて、実際に課題解決に取り組む仕組みを作ることが出来れば、街にとっても新たな刺激をもらえるし、大企業で働く人にとっても成長の機会になるのではないか。

そうした思いを胸に、「行政の効率化」というテーマを用いて、都市部の大企業で働くの若手社員が主な参加者となり、自分軸・他者軸・課題軸の3つの切り口から能力開発に取り組んでいきました。実施レポートは以下をご参照ください。

3.「総合計画」を通して「私たちの未来」を考える

行政の効率化に対して向き合った「未来の教室」事業を終えて見えてきたのは、行政組織の中で新たな取り組みに目を向けていく難しさでした。

私はそれまで若者会議やOBU-SEEKを通して「こんな小布施があったらいいな」という議論を積み重ねてきました。しかし、現実に目を向けてみると、予算も限られた地方自治体では職員の数にも限りがあり、日々の行政の仕事でとにかく忙しい。どんな未来を作りたいかというビジョンを持つ以前に、現状を回すところで精一杯になってしまう

そこで、少しでも行政の職員の方にもワクワク感を共有し、一丸となって取り組んでいけないか。そう考えたOBU-SEEK参加者の有志メンバーと一緒に、少しずつ町役場の若手の職員の方と交流する機会を作りながら、その後の動きを模索しはじめました。

そんな折、2019年に町の「総合計画」を見直す機会がやってきました。Wikipediaによれば

総合計画は地方自治体の全ての計画の基本となり、地域づくりの最上位に位置づけられる計画である。長期展望をもつ計画的、効率的な行政運営の指針が盛り込まれる。

とのことで、今後の町の在り方を考える上ではこの上ないチャンスです。もし、住民の方も行政職員の方も一緒になって議論し、みんなが「こんな小布施を作りたい!」と思うことができれば、前向きに、主体的に、現状をよりよくするべく勢いが生まれてくるのではないか。

そして有難いことに、私も「総合計画戦略コーディネーター」として関わらせていただく機会をいただき、2019年の秋から冬にかけて商工会議所、住民、町役場の人たちなどを集めて、「専門部会」と呼ばれるワークショップを開催し、私は環境・持続可能性をテーマに3回のセッションでビジョンを政策に落とし込んでいきました。

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私たちの環境部会では、エネルギー/ゴミ/防災/教育・普及の4つが論点となりました。特に小布施は2019年の台風の浸水被害も受けていたため、防災に関係した議論が活発だったのが印象に残っています。持続可能なまちづくりに向けて、再生可能エネルギーの促進や、ゼロウェイストに向けてマイボトルやエコバックへの意識づけ、台風19号での浸水被害を受けた防災対策、環境に優しいまちにしていきたいと思う教育の必要性について話し合いました。

そうして、様々な方の思いを昇華させながら、2020年の1月に総合計画として公表することができました。(地方の小さな町の政策とは思えないスタイリッシュさよ...!!)

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4. そしてコロナがやってきた

1月に総合計画が発表され、2020年からは施策を実行していくフェーズとなりました。そんな中、私は自分自身の小布施への関わり方を決めかねていました

ここまでは、東京に住みながら定期的に小布施に通い、ヒアリングしたり議論の整理をするだけで来ることができたものの、政策は実行されなければ「絵に描いた餅」のままです。でも、それを実行するとなると、東京から偶にやってくる若造が偉そうに「こうしましょう!」と言っても、うまくいくとは思えない。

また、町の職員の方や住民の方と一緒になって議論して作り上げた総合計画は、気づけば、私にとっても「自分ごと」になっていました。それを無責任に町の人に任せてしまって、私は果たして良いのだろうか。大学院で「技術の社会実装」を考えていた人間として、実装部分に携わることが必要なのではないか。

一方で、ここまで悩んでおきながら、実際には自分の今後のキャリアを考えたときに、地方に移住することは選択肢としては現実的なものだとはどうしても思えませんでした。(長期的には海外でも仕事をしていきたいなと考えていたこともあり)

そんな中、コロナがやってきました。

全ての仕事がオンラインになり、3ヶ月間の自粛生活で、家を出るのはほぼスーパーの買い物か、たまにランニングに行く程度。メインの仕事であったEDGEofは物理拠点を撤退し、完全にデジタルでの事業にシフトしたこともあり、「本当に東京にいる必要性があるのか?」と改めてゼロベースで考え始める契機になりました。

そして、このタイミングで、私が小布施に関わるきっかけになった友人の一人でもある大宮透さんが、異例の人事で小布施町の総務課長に就任。「何か小布施で出来ることはあるだろうか?」というメッセージを送ったのが4月の中旬のこと。

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↑当時私が送ったメッセージ。
この時点では全く踏ん切りがついていないことが良くわかる(笑)

そこから、大宮さんより「予算は恐らく問題ないところまで調整できました」というお返事をもらったのが5月の中旬。さらには「本当は今年度からやりたかったことの素案も共有します」と、総合計画をさらに一段進めたビジョンも合わせて共有してくれました。

この驚異のスピード感と、難局でもワクワクしてしまうビジョン。そしてそのプロセスに、たまたま自分が関わることができてきたという縁

また、大宮さん以外にも、他の地域から小布施に移り住んで活躍している同世代の仲間が大勢いる、という安心感。(これは、大宮さんをはじめ多くの方が長年にわたって町の関係人口創出のために地道に活動を続けてこられた結果です)

気づけば、小布施に移住して、「自分ごと」になった町の未来を、自分も一部となって実現していくことが、自分にとって自然な選択肢になっていました。

5. 実際に移住してみて~

そこからは、急ピッチで仕事の整理(幸い多くの仕事は既にオンラインだったのでスムーズだった)と、自らの会社の移転やら転居やらで慌ただしく6月を駆け抜け、ついに小布施に移住が完了したのが6月末。

窓からの景色に感動したり、

人生で初めて町内会に入ってみたり

東京では考えられないほど毎日が美しく、そして人の温かさに触れながら暮らしています。継続している以前からの仕事も全く支障がなく、むしろ家が広くなったことにより生産性が上がった気がします。

街づくりの仕事に関しては、まだまだこれからなのですが、大きなビジョンを胸に秘めつつ、小さな自治体でできることを着実に積み重ねていくことの重要さを日々噛みしめています。

また、自身が「若者会議」や「OBU-SEEK」に関わった経験もあり、少し落ち着いてきたら、改めて街づくりを題材とした教育にも取り組んでいきたいと考えています。

街づくりは誰かすごい人がプランを考えるのではなく、あらゆる人が当事者となれる素晴らしい学びのプラットフォームです。町にとっても、こうして関係人口を増やすことで、新たな刺激や関係人口を得ることができ、地方においても、都市部においても、イノベーションを加速させていく。長期的には、そのようなモデルを作っていけると良いなと考えています。

もし、小布施での取り組みに興味を持ってくださった方がいらっしゃれば、お気軽にご連絡いただければ幸いです。(Twitter / Facebook

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