コーヒーの歴史考察「ブラックコーヒーとは何か」
※これはcoffee loverの私がコーヒーについての知識や経験を蓄えるうちに至った一つの考察です。のしかしたらちゃんと資料があるのかも。。。
コーヒーの起源。じつは二つある事をご存じだろうか。
イスラム派生の歴史とカトリック派生の二つがある。あんまり詳しく書くとセンシティブな部分でもあるので書かないでおきますが、それじゃ間抜けなので補足として少しだけ書きます。
みなさんは"KALDI"ご存じでしょうか。ラテンの陽気な音楽が流れていて輸入食材やお酒の販売、コーヒー豆の量り売りなどをしているオシャンティ極まりないお店だ。しかも、店内に入るとコーヒーをくれる最高のお店。実は新橋の駅にはKALDIのコーヒースタンドがある。そこのカルディミルク珈琲はコーヒスタンドで飲める真のコーヒー牛乳だと思っている。
そう、そのカルディさん。コーヒーの歴史では最初にコーヒー豆を見つけた人だと言われている。みんな言ってる事違うかもしれないが、カルディさんは羊飼いだった。羊がある日、赤い実を食べていた。するとピョンピョンはねて興奮しだした。それを見たカルディさんはなんじゃこれはと見つけたのがコーヒーの木だった。カルディさんはエチオピアの人だ。
エチオピアはキリスト教も多いがイスラム教も広まっている。僧侶たちが眠気を覚ますためにコーヒーの実をかじっていたとからコーヒーの歴史は始まった。
そこからイタリアへ渡り、異教の黒い飲み物として広まるが美味しいのでコーヒー豆に”洗礼”をほどこし、神のものとしたっていう歴史もある。
そこから南アメリカに船でコーヒーの苗木を運ぶが、船の上で飲み水が減った時、枯らしてはいけないと船長が自分の貴重な飲み水を苗木に与えたなんてエピソードもある。
コーヒーの歴史って凄く面白いので是非調べてみて欲しい。あの有名なナポレオンも出てくる。コーヒーは色んな歴史や芸術家、革命家のそばにあった事を伝えたい。
さて表題の「ブラックコーヒーとは何か」について
この様なコーヒーの歴史の中に、「ボストン茶会事件」という事件がある。
当時、アメリカはイギリスの支配下にあり、イギリスから「紅茶の茶葉」を輸入していた。イギリスは茶葉の値段を上げていき、対にはアメリカ側が足元見やがってと怒ってしまった。船の積み荷の茶葉を海に蹴落としてしまったのだ。それがボストン茶会事件。
しかし、アメリカ国民はその”ブラックティー”に変わる飲み物を探していた。そのころには既にブラジルでコーヒーの栽培は行われていたので、その豆が北に上ってきたというわけだ。
なんとなく気づいたかもしれないが、この”ブラックティー”。その名残で”ブラックコーヒー”と呼ばれているのではないか、というのが私の意見である。
コーヒー文化とティー文化におけるお互いのコーヒーの在り方には差異がある。
かたや濃く淹れて酸味を嫌い、シュガーを入れて香りをたたせるコーヒー。
かたや薄く淹れて酸味も楽しみ、あまりシュガーを淹れない味のあるコーヒー。
前者のコーヒーには”ブラック”という概念がない。たまごご飯に醤油を入れることが当たり前の様な感覚だ。
「塩分控える為に醤油を減らすね」
そんな健康志向で、シュガーの量を変えている。
かたやティー文化のコーヒーは濃く淹れていないので、シュガーがあまりあわない。もちろん好みもあるが、シュガーを淹れると甘さが勝ってしまいくどい味になり後味が悪くなる。
この様に、歴史と文化の体系を紐解いていくと、ブラックティーの名残でブラックコーヒーと呼べれる様になったのではないかと思う様になったわけである。
又は、真実はもっと簡単で単に喫茶店のオーダー的にミルク淹れてないと黒いからブラックコーヒーなど、そういうシンプルな答えかもしれない。
こんなにアレコレ考えたのに、実は単純だった。そんな事だったらとても面白い。大人的な目線と子供的な目線は、それらの視線が同じく見えれば、世界はもっと楽しく見えるだろう。
ちなみに、コーヒ文化の特徴を全力で出しているのがイタリアのエスプレッソだ
その逆のティー文化におけるエスプレッソも存在している。
例えばスターバックスコーヒーだ。
この両者のちがいは「マシーンの置き方」でも見分けることができるがそれはまた別の機会に。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?