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kanam
自分以外は、見えていることが全てなんだ
先日、とある3人組YouTuberが解散発表をしていた。特に興味はなかったけれど、何やら炎上していたので覗いてみることにした。3人のうち2人の態度が酷い、とコメント欄は荒れていた。私は「何か事情があるのかも」と思ったけれど、「3人の間で何かあったのかもしれないけれど、それはこちらは知り得ないこと。見えている情報が全てなのだから、その態度にはがっかりだ」というコメントが目に付いた。ああ確かに。私たちはどうしたって、他人のことを、見えている部分でしか判断ができない。それは有名人であれ一般人であれ同じことなのだ。
結婚した友人。告白されて、付き合って、プロポーズされて、幸せな結婚生活。そこに破局の危機があったか、紆余曲折あったか、私たちは想像しない。
上京して芸能事務所に入った友人。美人で社交的で、人生の成功者。そこに努力や涙や葛藤があったことを、私たちは考えつけない。
私は今、周りからどう見えているんだろう。「独り身で寂しいアラサー女」に見えているのだとしたら、それは私の失敗だ。自分を寂しさで塗り固めてしまっているんだ。彼氏に振られたから、とか、今婚活のためにメイクを頑張っている、とか、そんなことは他人からしたらどうだっていいんだから。
2021年、どんな形でもいい。「あの人って幸せそうだな」そう思わせることができたら、私は自分のことを少しだけ愛せそうな気がする。
泣いたり笑ったりして喜びます。