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早生まれ塾無し不登校なのに京大現役合格できた理由を親目線で考えてみた

なんかうさんくさいタイトルになったけど。

子どもを産んでから、モンテに知育に英語に、教育について本当にいろんな情報が目に入るようになった。
たしかに子供の将来に、幼児教育や親の関わり方って大事だよな…と危機感を覚える反面、自分で自分にツッコミを入れてしまう。


でも私、京大入れたやん。

私は、私のような人間が育った理由が不思議でならない。本来私は、京大に現役合格するような条件を満たしていないのだ。


まずは早生まれ。3月31日という超ギリギリに生まれた私。今、0歳児を育てていて痛感するが、幼いときほど月齢の差は大きいし、それだけハンデ。事実、身長はずっと小さかったし、小学生の頃は割り算の筆算でつまづいた記憶がある。周りはいつもずっと先に進んでいて、落ちこぼれの感覚がずっとあった。

次に育った環境。田舎すぎて、塾に通う選択肢もない。もちろん、保育所から始まり、高校まですべて公立。英才教育なんて何一つ受けていない。ちなみに遺伝子的には、父は国立大学卒だが、母は高卒。ただ、遠い親戚筋に医者がいるらしいし、地頭はたぶんよかったとは思う。

そして何より、不登校。ちょっと盛りぎみだけど。高2で起立性低血圧と診断されて、週に1日は休んだり遅刻したりしていた。学校にいても保健室ばかり。ちなみに、体育は休みすぎて赤点になっていた。

そんな私が、今から11年前、京都大学に現役合格した。私自身も浪人覚悟だったからびっくりしたし、高校の先生からはめちゃくちゃ驚かれた。親もなんでウチの子が?と驚きまくっていた。

当時は自分が努力したからだと思っていたし、今もそう思っている。ただ、環境や親の関わり、早期教育によるところも少なからずある。

自分にも子どもが生まれて、育てる立場になって、あらためて気になって。帰省のついでに、なんで京大に現役合格できたのか、親の意見を聞いてみた。



今回は、子ども時代の家族の関わりという側面から、自分がなぜ京大に現役合格できたのか、親の意見も参考にしながら、考えてみようと思う。



勉強しろといわない親と宿題しろと叱る祖母

まず前提として。両親は共働きで、ほとんど家にいなかった。かわりに祖父母がずっと家にいて、私はじじばばっ子だった。

で、本題だが。私は自分の親に、勉強しろ、と言われた記憶がない。小中学生時代、夜は大体両親の部屋でテレビを見て過ごしていたが、なにもいわれなかった。テストの結果を見ても、頑張ったね、くらいしか言わなかった。怒られたことは一度もない。

一方、祖母は口うるさい人で。長い間遊んでいたら、「宿題終わったんか!」とよく怒られた。夏休みは特にうるさかった。

たぶんよかったのは。親が勉強しろと言わないでいてくれたこと。私の子どもの頃の印象として、ばあちゃんは怖くて、ママとパパとじいちゃんは優しかった。口うるさいばあちゃんだけだとストレスが溜まっていたし、反抗したくなっていたかもしれない。親が勉強に不干渉だったのが、私にとって心地よいバランスで、机に向かう意欲が適度に養われたのだと思う。


信じて見守る

私は、頑固な人間だった。保育園のお遊戯では、かたくなに踊ろうとせず、固まっていたらしい。

そんな私を見て親は、なにもいわなかったし、気にしなかった。私がやりたがっていないのをわかっていたから、とのこと。

ほかにも、積み木を与えてもやろうとしなかったり、夜の絵本はかたくなに同じ話を聞きたがったり、めちゃくちゃ頑固だった模様。いまおもうと、その頃からアスペルガー症候群だった。

そんな私に対し、なにか強制させるでもなく、過度に心配するでもなく、見守っていた。私を、信じてくれていたんだと思う。私自身、親からやりたくないことをやらされた記憶もないし、無意味に叱られた記憶もない。

母曰く、二人目だし仕事もあって余裕もなかったから放置していたとのことだけど。

信じて見守るって、実は労力いるよね。口出しするほうが楽なことも多い。その点、うちの親はすごい。

まあ後々、アスペルガー症候群で生きづらさを感じたので、早期発見してくれよとも思うけども。うん。


勉強する姿を見せる

母はよく、勉強していた。簿記や漢字、ペン習字、DSの英語漬け、脳トレなど、なにかしら勉強していた。試験やばいよ〜と小言をこぼしつつ、いつも頑張っていた。ちなみに私が大学生のとき、放送大学に入学し、今年卒業したので、正確には大卒だった。

母が勉強する様子をみて、漢検を受けたり、英語の勉強をしたり、ママと遊ぶように学んでいた。特にDSは、絶対ママよりいい成績を取りたくて、めちゃくちゃ頑張った。

また、両親ともによく本を読む人だった。図書館で借りることが多かったから、家に立派な本棚があるような家ではないが、それなりに多い方だったと思う。

そんな両親のもとで育ったから、私にとって読書や勉強はあたりまえで、楽しいものだった。


茶化す親

ここまで、あまりにも私の親が聖人君子みたいな感じなので、マイナスな面も。

小学校高学年の頃、授業で書いた俳句で、割と大きな賞をもらった。

ちなみにその句。

蝉の声 今生きてると 言っている

まあ子どもらしいかわいい句。親も可愛かったのだろう。
私の詠んだ俳句を、いかにも小学生が音読するかのように読んで、茶化した。何度も。蝉の声がするたびに。

私は、「オトナに評価されるように考えただけだし」と誤魔化した。
そのうち創作をすることが苦手になった。絵も描くことが好きだったはずなのに、いつのまにか周りを伺って、浮かないように書くようになった。ヲタク気質なので、よく脳内で二次創作をしているし、小説を書きたいと思ったこともある。だが書き始めると、筆が止まってしまう。

なぜ嫌がる私に何度も言い続けたんだと疑問に思うが、当の本人は私が今でも根に持っているなんて思ってもないだろう。

まあ、勉学に繋げると。結果的に私は、高校生のとき、小説を書くという趣味に行き着かなかった。脳内では妄想を繰り広げていたが、それをアウトプットしなかった。それが結果的に、勉強時間の確保につながったといえる。



まあ、親の関わりだけがすべてではないよね

親の関わりで人生が変わるなんて、これっぽっちも思わない。
子どもの頃から神経衰弱は得意で負け無しだった。それに入試は、運も大きい。模試ではずっとE判定だったし。

そして何より、大学に合格することが、子どもの成功ではない。これほんままじで。

ただ、同じ親として、真似したいこともある。子どもに勉強しろとはいわず、勉強する姿を見せる。そして親が焦りすぎず、見守る。

2月生まれで早産で、周りの子たちと比べて、ネットで検索しまくっている私も、見習わないとね。





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