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ポートフォリオが無いので、自分で自分に取材してみた③ルポ

いよいよラスト。羞恥心も最高潮。

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フリーライターになると決めたにはいいものの、困ったことがある。ポートフォリオが、ない。いや、読んでもらいたい作品はある。約3年間、専業でライターをしてきたんだから、作品数でいえばもう数えきれないくらいある。しかし残念ながら、守秘義務で一切出せない。悲しいことに。

ということで、自分で自分のインタビュー記事を書くしかないなと思いまして。なんか黒歴史になりそうな気もするけど、編集・執筆・インタビュイー林春花でお送りします。

一応ちゃんと設定も立ててみました。

媒体:WEBメディア

ターゲット:フリーライター、もしくはフリーライターになりたいと考えている人、フリーライターを探している編集者。

目的:①フリーライターのキャリアや仕事観に迫ることで、自らのキャリアの形成に生かす②フリーライターの人となりや実績を編集者に知ってもらうことで、インタビュイーのキャリアの幅を広げる助けとする。

テーマ:私の仕事観

1人称、Q&A、ルポの3パターンを公開します。ちょっぴり脚色しているのはご愛敬。

第3回は、ルポ。

タイトルは、

最高のクオリティを追求し、新たな道を切り拓く

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プロフィール

林春花(はやしはるか)
1995年、富山県生まれ。京都大学卒業後、地元企業に就職するも東京配属に。1年ももたずに退職し、クラウドソーシングでライティングをはじめる。2018年より、社内広報の制作会社にライターとして勤務。大手企業の社内報や採用HP、統合報告者などの制作に携わる。2021年1月に会社を退職し、地元富山でフリーライターに転身。

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「もう、だれもが好きな場所で働くことができる時代です。だからといって、地方移住に対する世間の目はまだ冷ややかだし、教育や娯楽などは格差も大きい。私はそんな地域間の不公平を無くしていきたいんです。言葉の力で」。

そう夢を語るのは、約3年勤めた制作会社を退職し、地元富山でフリーライターを志す、林春花さんだ。今やライター一本で生きていくことを決めた彼女だが、数年前は全く予想もしていなかった人生を歩んでいるという。

新卒1年目の挫折

今から4年前、林さんの就職活動の軸は「地元企業」であることだった。仕事内容に、特に大きなこだわりはなかった。

「大学のゼミで地方創生を学ぶうちに、地元でキャリアを築きたいと思うようになりました。影響力が大きそうな、地元の大企業を選んだんです。でもこれが誤算でした」。

林さんが配属されたのは、まさかの東京。地元企業に勤めたはずが、大都会東京勤務となった。しかも職場は、社員寮から片道1時間半。都心で暮らすのがはじめての林さんにとって、耐えられるものではなかった。

「やる気とは裏腹に、心身ともにどんどん弱っていきました。出社時間を遅らせたり、いろいろと試したんですが、フルタイムで働くような体力はなくて。1年ももたずに退職して、実家に帰ることになりました。こんなはずじゃなかったのに、と情けない気持ちでいっぱいでした」。

実家に戻っての療養生活。新たなストレスも感じた。「収入がないこと」だ。22歳にもなって、親に金銭的にお世話になっていることが恥ずかしかったという。とはいえ、体調的にフルタイムで出勤する生活は不可能。林さんは、在宅で稼げる仕事を探した。そこで出会ったのが、ライターである。

「学生時代に国語は得意だったし、書くことくらいならなんとかなるだろうって選んだんです(笑)。いまから思うと、本当に舐めていますよね。でも、ライターをはじめたきっかけは、本当にその程度でした」。

はじめて担当したのは、WEBのSEO対策記事だった。

「決して単価が高い仕事ではなかったですし、ルールにがちがちに固められていて、物足りなさは感じましたね。でも、与えられたルールを守り、クオリティを担保すれば、必ず評価してもらえるのは、努力の方向が分かり切っていて、やりやすかったです。それに、少ない給料であっても、社会の一員として間違いなく貢献できている。働ける喜びをかみしめていました」。

ライティングの面白さに引き込まれて

3カ月ほどクラウドソーシングで仕事を続けていくうちに、体調も少しずつ回復し、当初感じた「物足りなさ」は、どんどん膨らんでいった。もっとクリエイティブな仕事がしたい。それに安定した給料をもらって、家族を安心させたい。そう思った林さんが求人サイトを漁っている中で出会ったのが、約3年間勤めることになった制作会社だった。

その会社は、業界問わず大手企業を中心に、社内報や採用HP、統合報告書などを手掛ける制作会社。はじめて与えられた仕事は、ある企業の社員インタビューを書き起こしから執筆することだった。

「資料から情報をまとめるだけだったクラウドソーシングで感じていた『物足りなさ』は一切なくなりましたね。むしろ焦ったくらい(笑)。でも、やっていくうちになんて面白い仕事なんだろうって思いました。ライターは、インタビュイーの代弁者にすぎないけれど、私が紡ぐ言葉ひとつで、その人の見え方が別人になる。私の書いた文章が、だれかが読んで、その人の価値観や行動に多少なりとも影響を及ぼす。言葉の力ってなんて偉大なんだろう、そしてなんて恐ろしい仕事をしているんだろうと、武者震いにも似た感覚を覚えました」。

次第にライティングの世界に魅了されていった林さん。一方で、身体の弱さで退職した経験から、この仕事でなんとかモノにしなくてはと危機感を抱いていた。そんな林さんがしたことは、1つ1つの案件に真摯に向き合い、妥協せずに、最高のクオリティを追求し続けることだった。それを続けることが、社内やお客様の信頼につながると信じて。

その努力は次第に報われ、1年もたたずに取材を依頼されるようになった。キャリアが広がり始めた林さんだったが、すぐに別の課題に直面したという。

「どんどん取材を経験したかったんですけれども、私が北陸に住んでいるため、なかなか依頼が来なかったんです。交通費もかかるから当然の判断ですけれど、歯がゆかった。もっとキャリアを磨いていきたいのに、そのチャンスがなかったんです。就活をしていたときから、地元でキャリアを築きたいと考えていた私にとって、一種の敗北でした」。

しかし、悲観していても仕方ない。キャリアアップする機会は今しかないと考えた林さんは、大学時代も過ごした京都への移住を決めた。今から1年前のことである。

インプットに全力を注げ!

それからの林さんは、週1日は取材に赴くような、多忙な生活を送った。

「とにかく書き続けた日々でした。苦しかったですね。でも仕事のやりがいも、段違いでした。生の声を聞いて、表情を見て、それを言葉にする。そしてその執筆を、お客様から喜んでもらえる。こんなありがたい話ないですよね。とはいえ、責任も重くなります。大手企業の社員に取材して、その言葉を代弁するわけですから。私、もともと話すのも聞くのも得意じゃないんですよ。いつも取材後は、あれも聞くべきだった、もっとうまい返しをすべきだったと落ち込んでばかりでした」。

ここで嘆いて終わる林さんではなかった。自らの取材力をカバーするには何ができるかを考えた。答えは一つだった。万全のインプットだ。

取材前にその企業のことを調べつくし、質問に対する想定問答を考え、誌面の完成形をイメージした。さらには、インタビュイーとの話が弾まなかったときの聞き方や時間が足りなくなった時に何をを優先するかまで、どんな事態が起きても大丈夫なように準備をした。すべては、最高のクオリティを追求するために。

「寝るときすら取材のことを考えていましたね。それでも予想外のことは起きるし、その道のプロであるインタビュイーと肩を並べて話すようなレベルには立てないですが、安心して話せるレベルくらいには到達できていたんじゃないかなって思います」。

どこにいたって、働ける

取材に慣れていくうちに、社会は大きな変化を迎えた。新型コロナウイルスの感染拡大である。取材はどんどんオンラインに。林さんにとっては、人生を揺るがす大きな変化だった。

「取材がオンラインになる中で、思ったんです。私が京都に居る意味は、もうないんじゃないかって。キャリアとしてはまだまだだけど、地元でも伸ばしていくことはできる。もう、どこに住んでいたって仕事ができる時代になっているのですから」。

そして林さんは、約3年勤めた制作会社を退職し、フリーライターに転身することに決めた。

言葉の力で、地域間の不公平を無くす

最後に、林さんに今後の夢を聞いてみた。

「私の地元富山は、お世辞にも栄えているとはいえません。私自身、地元に帰る決断をして、何人もの人から、『富山に帰って仕事はあるのか。ちゃんとキャリアを築けるのか』と聞かれました。生まれ育った場所で社会人として生活することが、人から心配されるって、すごく悔しいんです。私はどこに住んでも、自分らしく働くのが当たり前の社会にしたい。言葉の力で、地域間の不公平を無くしたいんです。そのためには私自身が、全国規模の案件と、北陸の案件、両立し、地方でも都会と同じような仕事ができるロールモデルを目指します。正直不安ですけれど、最高のクオリティを追求し続ける姿勢を持ち続ければ、きっとなんとかなるって思います」。

まだなんの予定も決まっていないんですよ、と照れたような笑う林さん。地域とともに生きることを決めた林さんが、これからどんなキャリアを築いていくのか。その活躍にエールを送りたい。


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編集後記

自分で自分にエールを送ったっていいじゃない。

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