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バレーボール人生 第2章

こんにちは、Nowaです。

私ごとではありますが今月から9人制のバレーボールクラブに所属し、週に1回バレーボールをする生活が始まったので「私とバレーボール」というテーマでnoteを書いてみたいと思います。




バレーボール人生 第1章

バレーボールとの出会い

バレーボールは私にとって最初は敵でした。
というのも両親と姉ふたり、私以外全員バレーボールが大好きでテレビで放映されているワールドカップに釘付けだったからです。

記憶は曖昧ですがおそらく私が幼稚園生から小学生になりたてくらいの時のことです。
祖父母と一緒に暮らしていた我が家ではリビングが分かれていて、私の両親と姉たちがバレーボール番組に見入っている姿を祖父母の部屋からのぞいていた記憶が今でも残っています。
まだ幼くうまく話せなかった私、バレーボールのことなんてこれっぽっちも知らない私はバレーボールを見ていても何も楽しくないし、家族みんなバレーボールを見ていてかまってくれないしで、結構バレーボールに嫌悪感を持っていた記憶があります。
「バレーボールなんて絶対やってやらんからな」というような反発心まで持っていたくらいでした。
それくらい憎かったのです。

そんな私がバレーボールをやるようになったのは小学2年生の夏。
そのとき始めた理由は暇つぶしでした。
当時の私はゲームっ子。
ニンテンドーDSが大好きでずーっとやっていました。
2番目の姉が当時小学6年生で地元のバレーボールクラブに所属していて、夏休みに練習合宿があり、私は両親と一緒に参加していました。

姉がバレーの練習をしている間は体育館の端っこでゲームをしていたのですが、次第に飽き、暇だからやってやらんこともない、みたいな気持ちで体験入部したのです。
今でも記憶に残っているのはボールを投げてもらってアンダーで返す、みたいな初歩の初歩の練習のみですが、やってみたら意外に楽しかったようで、
合宿から帰ってからもそのまま姉と同じバレーボールクラブに所属することになりました。

練習は火、水、金、日の週4日間。
姉も同じチームにいた私は、姉とチームの先輩に遊びに連れて行ってもらったりすることもあり、まだ小学2年生の私にとってバレーボールが生活と切り離せないものとなっていきました。

小学生時代

バレーボールを始めた年齢がチームの中では最年少だったので、プレイが人より劣っていても何も気にならないような状況で楽しくのびのびとやれていました。
しかし状況が変わったのは自分の2個上の先輩が卒業した後、残った人数はなんと3人。
1個上の代1人、同年代私1人、1個下の代1人。
そんなことある?というような感じですが本当に3人しかおらず、その頃は土曜日に近くの公園に行ってビラ配りをしたり、子供の自転車がある家のポストにビラを入れたり、今思うと営業のようなことをしていました。
そんなことをして最低限必要な6人は集まり、徐々にまたメンバーが揃い増えていきました。

自分の代になり私は自然とキャプテンになりました。
元々キャプテンかっこいいなぁとは思っていたけれど、今までそんなに怒られなかったのにチーム全体で何かあると代表として怒られているような感覚があり私にとっては辛かった覚えがあります。

一生懸命バレーボールの練習はしていましたがなかなか試合では勝てず…
まずまずな成績の小学生時代でした。
でも人間としての基礎である挨拶、整理整頓清潔、チームワークなど大事なことを学べた期間になりました。

中学生時代

中学校はバレーボール部に有名な顧問の先生がいると小学生時代によく練習試合をしていたチームのママさんから情報を仕入れ、越境して通っていました。
その中学校はバレーボール部ができてまだ2年目、私の代が2代目という出来立てのチームでした。

入学した頃からチームの裏エースとして試合に出させてもらい楽しくバレーボールを続けていました。
1個上の先輩が卒業したとき初めて泣いたり、大きく感情が育った時期でもありました。

1個上の代では都大会出場、自分の代では都大会出場(その後勝ったか負けたかは覚えていません…)、ブロックで2位と小学生時代よりは良い成績を収めることができました。

部長は私かもう1人の子どちらか、話し合いで決めるようにと顧問の先生に言われ私は迷いもなく部長ではなく副部長を選びました。
もう1人の子がキャプテンをやりたいと言っていたのでちょうど良かったのですが、先生にはそういうところだぞ、みたいなことを言われました。
でもそんなの気にならないくらい部長をやるのが嫌でした。
小学生時代の教訓です。どうしてもチーム全体の責任を負うのが私には辛かったのです。

中学時代は最後の試合の1週間前に1個下の代の子が校則を破って練習中ボールを触らせてもらえず、ずっと筋トレした時期なんかもあって嫌になる時期もありましたがなんだかんだ楽しかったです。
自分がチームのエースとして戦い試合にも勝てたこと、自分と同じ志の仲間がいたこと、指導者がバレーボールに詳しくたくさんの練習をさせてもらえたこと、今でも良い思い出です。


高校時代

高校はもう軽くバレーボールができればいいやと思っていました。
そうはいっても適当な部活に入ると今までしっかり練習してきたため物足りなさがあるかもしれないという意見も聞き入れ、いろんな思いはありましたが、顧問の先生に相談してお薦めしてもらった高校を受験することにしました。
バレーボールはしたいけど試合に勝つことにこだわりすぎず、楽しくやれたらいいなくらいの気持ちで、最終的な高校の決め手は制服のスカートが短くできるという理由でした。

でも無事に入学が決まった後、なんでか入学前の春休みから練習に参加させてもらったりしていました。やっぱり今思うとバレーボールが大好きだったのかもしれません。

いざ入学してみると最初は雑巾掛けから始まり、ボール渡しボール拾い、パス練は先輩たちの邪魔にならないように端っこで、先輩がボールを弾いたら自分たちの使っていたボールを渡し、自分たちが先輩の飛ばしたボールを拾いそのボールでパスを再開する、みたいないわゆる完全に下っ端部員になりました。
部活中だけではなく登下校中も先輩がいたら走って近づき、大声でハキハキと「おはようございます!」と叫んで先輩の先を行き、先輩がスムーズに信号を渡れるようにボタンを押す、みたいな今思うとそこらへんの高校生がやることじゃないような…昭和の時代でもこんなことするのかわかりませんが、平成生まれの私は昭和かよ!と突っ込みたくなるような伝統重視のお堅い環境でした。

それで先輩たちがチャランポランならストレスが溜まりますが、2個上の先輩の代は公立校大会優勝、入学して2ヶ月の頃関東大会出場を果たしレベルの高いバレーを見させていただいて大尊敬する存在でした。
なので高校バレーというのはこういうちょっとお堅いものなんだなと思っていました。

1個上の代になり練習にも参加できるようになりました。
公立校大会で先輩がインフルエンザになってしまいその時初めて公式戦デビューをしました。
その時思っていたより活躍することができ、顧問の先生もおどろき喜んでくれていたのですが、先輩の代の最後の試合に向けた練習をしている時期、練習中の接触事故で右膝の後十字靭帯を切ってしまいそこから3ヶ月くらい練習に参加できず辛い思いをしました。
自分の代が始まってからも練習ができない状況が続き、練習ができるようになってからも右膝が痛み庇ってしまうこともあったり…
あの頃は今振り返っても辛かったなと思うくらい十分に練習ができませんでした。
一応レギュラーでエースポジションだけど後輩と交換しながらというような感じで高校時代のバレーボールは幕を閉じました。
東京でベスト20くらいの成績だったような気がします。

今思い返すと高校時代は中学の時あんなに嫌だった部長をやりました。
これは自分で望んだわけではなくありがたいことに先輩方からの推薦です。
しかし私が通っていた高校では、部長、キャプテン、副部長(兼副キャプテン)というように3役いたので、全ての責任を負うとかはなく助け合いながらやれたのでそこまで苦ではありませんでした。
さらに部長は組織として名前だけのトップのような感じで、練習や試合でのチームリーダーはキャプテンがやる役目だったので私は部活動するための居残り届を出す事務作業をしたり部長会に出席したりというようなことをしていました。

平日の火曜日以外毎日練習で朝練も週に3回あり家族よりも部活メンバーと会っていることの方が多い高校生活でした。
今思い返すとバレーボールのことだけを考えられる楽しい時期でした。


大学時代

小学2年生から高校3年生という学生時代のほとんどをバレーボールに費やしてきた私は大学生こそバレーをやめて遊び倒して過ごそうと思っていました。

そうはいってもたまにはやりたくなる時があったため、オールラウンドサークルに顔を出してみたり、高校時代の先輩が立ち上げたインカレサークルに声をかけていただいたり、大学のバレーボールサークルの子に声をかけてもらったり、小学生時代の先輩が入っていた社会人男女混合6人制バレーに参加させていただいたりと、継続してチームに所属するのではなく声をかけてもらったところでたまにやる、くらいの感覚の優先度低めでバレーボールをしていました。

バレーボール人生 第2章

9人制バレーとの出会い

社会人になってから全くバレーボールをしなくなり、運動不足になってしまったのでジムに通い始めたのですが、引っ越しもあり3ヶ月しか続きませんでした。
引っ越し先では近所のバルに通っていて、そこで9人制バレーをしているという女性に出会い、その場のノリで助っ人として参加させていただくことになりました。
これが9人制バレーとの出会いです。
参加させてもらった先には他にも助っ人の方が来ており、そこでまた別の方に声をかけていただき、その方のチームにまた助っ人として練習に参加させてもらっていました。

9人制バレークラブへの所属

結婚を機にバレーボールをまた始めようかなと思い、最初6人制のバレーをしようとチームを紹介していただきました。
ただ、紹介していただいた方は9人制のチームに所属していてそのチームにも勧誘していただいたので6人制のバレーボールと9人制のバレーボールを一気に始めることになりました。

そもそもバレーボールは高校生以来2.3ヶ月から半年に1回やるかやらないか程度、コロナの時期は全くやっていませんでした。
ちゃんとチームに所属してやるのは6年ぶりくらいです。

ちょうど今月からクラブに所属し、まだ練習には1回しか参加していませんが自分の体のなまり具合に驚きました。
元々あるスパイクの被り癖が出てきてしまい、まともにスパイクが打てませんでした。YouTubeを見て研究して自分のプレイを修正している最中です。

また、9人制バレーのスピード感やテンポにまだ慣れられていません。
ブロックで1カウントで2本目でトスを上げるなんて誰が思いついたのだろう、とか、ネットに当てたらもう一回触ってOKみたいなルールも、どこまでOKでどこからアウトなのかまだ理解しきれていませんが、今までずっとやってきたバレーボールなのに6人制と9人制でルールが全然違うのでそこがまた面白いなと思います。

おわりに

新たな気持ちで始まった第2のバレーボール人生が今は楽しみで楽しみで仕方ありません。
プログラミング学習中心の生活ですが、息抜きでバレーボールをするという生活が始まりました。

昨日バレーボールをしていてふと、今までずっとやってきたのにここまで感覚が違うのかと思い、9人制のバレーボールの新鮮さを自分の言葉で書いてみようと思ったのですが、そもそも自分のバレーボール人生どんな感じだったかなと思い出しながら書いてみることにしました。
思い返してみるとやっぱり自分の人生の大半はバレーボールをしていたんだなと気がつきました。

チームワークを持って働きたいとか、人と関わりたいという根本の部分はバレーボールをしてきたからこそある感覚かもしれません。

前職では事務職で、部署に来た仕事を各人に振り分けられてあとは1人きりで書類作成を進める仕事だったので、そういう点が私にはあっていなかったんだなと今回改めて自分の人生の一部を振り返って感じました。

約5200字にもなってしまいましたが、もしここまで読んでくださった方がいらっしゃったら本当にありがとうございます。
素直に嬉しいです。
バレーボールをしている方とかだと共感してもらえる文章になったかなと思います。

また6人制バレー、9人制バレーそれぞれ大会に出場する予定があるのでその頃またnoteを書けたらなと思っています。
プログラミングの方も書きたいことがあるので自分のペースでゆっくり更新していきます。

また読んでくださったら嬉しいです。

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