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徒然日記2020.08.21

今日はしっかりと睡眠し遅く起きた。アイスコーヒーで目を覚まそうと努力する。朝からiPadで新聞を読む。すぐに昼になってしまい、上の子が幼稚園から帰ってきた。昼食は妻特製のカレーうどん、昨日のカレーのリメイクだ。天かすを入れたカレーうどんを美味しくいただいた。食後は、積み木遊びをしたり、トランプで神経衰弱をしたりして楽しんだ。午後3時には上の子のピアノ教室に送って付き添った。若い先生に楽しく教えてもらっていて、とても平和な時間が過ぎた。その後、車のガソリンを入れてから、久しぶりの洗車。

私は以前、車の仕事をしていたこともあって、洗車にはこだわりがある。洗車機にかけたあと、一通りボディーを拭いた後、扉を開けて足下なども汚れも含めて拭き上げる。その後は、車内の窓拭きとメーターやダッシュボード、ナビ周りを丁寧に拭き上げる。その後、全内窓を丁寧に拭く。それから掃除機、フロアカーパットを外して下も丁寧にかける。その後、タイヤホイールを拭きながら、自前のタイヤワックスをスポンジで塗り込む。こだわりの洗車だ。私は洗車をするときに、出光に必ず行く。理由は、ぞうきんの貸し出しがあり、①ボディーを拭くぞうきん×2枚②車内用ぞうきん③ホイール用ぞうきんとキチンと分けてある。素晴らしいシステムだ。

洗車後は大人しく待っていた上の子に、昨日からねだっていた図鑑を本屋で購入。小学館の図鑑シリーズで、鉱物など石の図鑑を買った。今日は妻の体調が悪く、夕飯を用意していないとのことだったので、いつもの100円寿司チェーンに家族で行った。私はいつも通りビールを飲ませてもらって、とても楽しい夕食タイムだった。夕食後は、近くの公園に遊びに行った。楽しく公園での時間を過ごす。帰宅後は怒濤の風呂タイム。その後は、今日はテンション高くて、図鑑の中に出てくる宝石を絵に描いたりしてとても楽しかったようだ。私の部屋のベッドで下の子とジャンプしながら家族団らんタイムを過ごす。その後、寝かしつけは私が担当し、30分ほどですぐに寝てしまった。妻は最近、私に触発されてかnoteにハマり、iPadで描いた絵や撮った写真をアップしている。私は、尊敬する河合隼雄先生の息子さんである、河合俊雄先生が出演されるNHKの100分で名著「モモ」をとても興味深く視聴した。テキスト本から興味深い点を引用する。

モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えをひきだすようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。(同前)モモを相手に話をしていると、自分の中に何らかの解決策が浮かんでくるというのですね。どうしてよいかわからずに思いまよっていた人は、きゅうにじぶんの意志がはっきりしてきます。ひっこみじあんの人には、きゅうに目のまえがひらけ、勇気が出てきます。不幸な人、なやみのある人には、希望とあかるさがわいてきます。(同前)ここでモモは、徹底して受動的です。自分からは何もいわない。しかしまさにそのことによって、相手の中に自分自身の考えが生まれてくるのです。モモの話の聞き方における大きな特徴です。受動に徹するモモのおかげで、人々の悩みはどんどん解決していきました。

NHK 100分 de 名著 ミヒャエル・エンデ『モモ』 2020年 8月 [雑誌] (Japanese Edition) (Kindle の位置No.201-210). Kindle 版.

モモの解説をしているのが、カウンセリングの巨匠河合隼雄先生の息子さんで同じく臨床心理学の権威である河合俊雄先生というのがとても興味深いです。モモはカウンセラーですね。カウンセリングで大切なのは、話を深いレベルで聴いてるだけで、相手を操作しようとしない。そうすると本人が解決策を見いだしていく。モモはカウンセリングの基本を習得した少女のようです。

子どもと話をするときに、親が答えを言わせようとすることってないですか?
たとえば、

父「今日は学校どうだった?」
子ども「・・・。」
父「どうした?楽しかったか?」
子ども「・・・。楽しかったよ。」

これで話を遮って、話は終わってしまう。よくこのようなことが会話の中である。大人が子どもに対して言わせようとする答えの道筋があり、それを強制するような言い回しをするのだ。そうすると子どもが本当は何かあったのかもしれない、でもそれを聞くタイミングを逃してしまう。

さっきの会話は、

父「今日は学校どうだった?」
子ども「・・・。」
父「・・・。(傾聴する態度)」
子ども「あのね・・・・。」
父「・・・。(傾聴する態度を崩さず)」
子ども「今日、○○ちゃんに嫌いって言われて、めっちゃショックだったの。」

このような展開をする可能性を秘めている。子どもが話し出すまで黙って待ってあげる。そのことによって、子どもは話そうというタイミングで話してくれる。それまで気長に待つ。この「待つ」が出来ない親がいかに多いことか。じっと待って聞こうとすることの大切さを改めて強調したい。自戒も込めて書いている。これを言っている私がまず出来ていない。操作しようとせず、ただ聞くだけに徹するということ、それも深いレベルで聞くだけというのは、訓練しないと出来ないだろう。だから訓練していきたい。

ちなみに子どもとの会話のその後でアドバイスする人も多いだろう。続きを書きたい。

子ども「今日、○○ちゃんに嫌いって言われて、めっちゃショックだったの。」
父「そうか、なんで○○ちゃんにそんなこと言われたの?なにか悪いことしたのか?」
子ども「いや、なにもしてないよ!。もういい!パパには話さない!!」

このように、原因と結果で考える癖が染みついた現代では、すぐに理由を探したがるし、アドバイスをしたがる。続きに関して、次のような親はどうだろう?

子ども「今日、○○ちゃんに嫌いって言われて、めっちゃショックだったの。」
父「そうか・・・。つらいな・・・・。」
子ども「なんであんなこと言われたのかなぁ・・・。」
父「なんでだろうなぁ・・・・。」
子ども「・・・・。!!。たぶん、あのことかなぁ。今度聞いてみる。」
父「そうか・・・!。いいと思うよ・・・。」

このように子どもから自発的に解決策が出るまで待ってあげる、このような自発的に解決が出てくるまで、一緒に悩んであげることの大切さを河合隼雄の本を何冊も読んでわかった大切なことだ。余裕がなくて、はじめの例のような、原因と結果で考える親になりがちだが、私は河合隼雄先生のような、子どものことをしっかりと聞いて、内発的な動機づけを大切にする親になっていきたい。子どもを原因と結果で操るのではなく、あくまでも一人の人間として解決策を自分で見つけられるように見守るのだ。これはミヒャエルエンデのモモの話とシンクロして面白い。

さて、今日も一日が終わろうとしている。この瞬間に永遠があるような、とても充実した一日を過ごせた。今日という日に感謝して日記をおわる。

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