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【1、友として(独り言多めの読書感想文、村木嵐さん『まいまいつぶろ』)】


 前提として障害故、基本発語がままならない家重も、かつて母をもって意思疎通を図っていた。その母も、家重が3歳の頃死別してしまうのだが、だからこそ意思疎通がままならない、本当の自分が出て来られないというのは相当なストレスだったに違いない。

 次期将軍。加えて家重には立場がある。〈行事ごとに400畳の大広間でただ一人、上段之間に座る〉し、〈周囲の用意した問いに、然り、不然と首を振ることでしか生きられない、だというのに、誰からも侮られぬよう、この世に叶わぬことはないという顔をしていなければならない〉さらには〈誰もが長福丸(家重の幼名)様を己の立身の道具としか思うておらぬ〉そんな環境は、ただでさえ孤独な家重をさらなる孤独へ追いやった。
 しかしながらこれはあくまで家重個人に終始する問題だ。後にことを成し遂げるために個人の情を退ける場面が出てくる。

〈忠光様のお考えと同じでございます。将軍というものは政に関わるべきではないからでございます〉

 同じく家重の思いも或いは大勢のために切り捨てなければいけない問題だったのかもしれない。けれど家重には偶然にも言葉を介する者が現れた。時の権力者は運を味方につけられることも大事と言われるが、その点家重は強運だったと言える。

〈忠光が現れたゆえ、家重にも将軍を務める“目”が出たかの〉

 忠光がいることで、家重は再び人とコミュニケーションをとることが可能になった。実に11年。3歳から14歳に渡った孤独は、忠光の出現によって取り払われた。




 じゃあこの忠光、何者かというと、それまで全くやりとりのなかった親族である叔父が町奉行の役職についているというだけで、基本一般人。例えるなら〈いとやむごとなき際にはあらぬがすぐれて時めき給ふありけり〉だから〈はじめより我はと思ひ上がり給へる御方方〉が黙っているはずがない。
 表立って口にはできない分、忠光にだけ分かるように嫌がらせをする。ただ、このこと自体、根に家重を思う気持ちがある前提で成立する嫌がらせで、最低に違いないのだが、どこか微笑ましい。

 例えるなら仕事仲間をバカにされた時、兄弟をバカにされた時のようにはらわた煮えくり返るような思いをするか。ちなみに忠光はというと、しくしく泣いていた。本人に伝えれば傷つくし、けれど家臣の無礼を放っておいていいのか、迷った挙句己の胸の内に秘めた。後にそれは明るみに出るのだが、この嫌がらせ自体「相手を自分ごとのように思って」いなければ成立しない。もし仮に仕事として家重の声を周りに伝えるだけならば、忠光にとって家重が陰で何を言われようとどうでもいいことだった。

 けれども忠光は我慢ならなかった。家重にとって実の弟である小次郎丸が、家重が「若君」(次の将軍)の名を与えられた時、あからさまに不満そうなのを見て「そなたが(生まれが)先であれば良かったな」「小次郎丸。我らは兄弟ではないか」と口にするような人を、どうしても好きにならずにはいられなかった。


 人の性格を決めるのは元の気質、加えて育った環境。そう考えた時、16で家重の側につくようになった忠光は、叔父に言いつけられた「決して、長福丸(家重)様の目と耳になってはならぬ」を指針とし、自分がしくじれば当時大奥にいた上臈御年寄(滝乃井)と叔父の首が飛ぶことが分かった上で、役分を超えることなく真面目に仕えた。
 一方で、言葉を介する者として、訳す言葉があたたかいというのは、常日頃からやり取りする相手が思いやりに溢れる人というのは、役目として抱えるストレスをどれだけ和らげたか知れない。互いに換えが効かないというのは一種の縛りにもなる。上司が合わなくとも立場上関わらなければいけないというのは仕事でもある。そういう意味では相手が家重というのは忠光にとっても幸運だったと言える。


 そんな微笑ましい2人だからこそ、変えられたものがある。
 周りの目。次に語るのは後の妻となる比宮。






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