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独り言多めの読書感想文(村山由佳さん『ありふれた祈り』)


村山由佳さん『ありふれた祈り』を読書感想文してみる。


まず、これは読む側の問題であることを断っておく。というのも、前提としてこの作家さんの小説は全て読んでいるからだ。ついでに作品の一つ『ありふれた愛じゃない』の最後の一文が好きすぎて、新婚旅行にタヒチを希望した位だからだ(旅行代の一部をこの作品の売上に回して欲しい)

察しのいいあなたは、この段階で既に反語待ち。「だからおこがましくともゆるして」そう、これこそ真なる前置きである。

同シリーズのファンである私は「ぜひ読んで欲しい」と学生時代、親友にすすめた事がある。その時返された言葉が「キレイすぎて合わない」だった。彼女はムックや椎名林檎、シドをこなよく愛する人種だった。江戸川乱歩が好きだった。もちろんだからという訳ではないが、

言われた私はただただショックだった。それでもそれも個人の価値観と割り切った、あれから10年。なるほど、7年越しの最新刊、表題の作品に感じた思いこそ、まさにそれだった。

「当時を振り返り、前を向こうとすること」「大切な人に言葉を尽くすこと」その全てが何というか、なじまない。このシリーズをきっかけに作家読みになる程の影響力があったはずなのに、全く。

物語後半、主人公の居住がオーストラリアに移るが、年月をまたいだ分「誰が誰で」「何があったか」全部確認する必要があったり、ともすれば出てくる女性のほとんどが「大きな身体を揺らす肝っ玉母さん」に見えてきたり、読み返した割に大した満足を得られなかったりで、何だか悲しくなってしまった。純粋に期待値が高かったがために違いないが。

自分もなんちゃってに過ぎないが「書く」人間である。故にこのことは教訓として受け止める。「登場人物に対する思いが、読む側を上回ってはいけない」いや、語弊がある。「例え心の底から大事に思っていても、それを出しすぎてはいけない」

結局世の中はバランスで成り立っている。熱く来られると冷める。もっと知りたい、と思わせるだけの余韻を残す位が丁度いい。だからゆくゆくは私自身、あとがきを書かない作者になりたいと思っている(余談だが朝井リョウさんはそこんとこ上手いなぁと思う。作品は作品で完結させて、エッセイで自分を出す。しかも声出して笑うほど面白い。絶対電車で読まない方がいい)


そんな訳で好き放題書いてきたが、始めに断った通り、これは読む側の問題である。いつの間にか、この作品、シリーズになじまない年齢になってしまったのだ。時って残酷ね。しかしこのままでは名誉毀損の営業妨害になってしまうので、最後に同作家のおすすめ小説を紹介しようと思う。

『永遠』私にとっての一番はこれ。今でも地元の図書館に寄ると、毎度手にとってしまう。そして同じところで涙ぐむ。「言霊」という存在をイメージする時、いつだってここに立ち返る。一つ一つの言葉がしみる。名言が多い。シンプルで文章量は少ないのに、読了後の爽快感がハンパない(語彙力)

初心に戻れるというか、ただの日常が華やぐ。慈しもうと思える。文字って所詮記号、象徴に過ぎないのに、色付けるってのは本当にすごい事ね。


という訳でおこがましくもこの感動、一人で味わうには勿体なさすぎる。日本語は美しい。音読、リズム、文章構成。私の「書く」基板は全てこの人に教わった。(私の書くものが残念だった場合、非常に不本意な事故を起こすことになるが)そしてこのこと自体、決して自己防衛、フォローのための言い訳ではない。もっとずっとまばゆいものだ。だからあえて書き残す。


ここまで読んでいただいてありがとうございました😊うれしい。

あなたの読書ライフが、より実りあるものになりますように✨





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