見出し画像

本気で読書感想文(京極夏彦さん『巷説百物語』2)



 本はその人の外見以上にその人を表す。だからコミットし得ると感じた相手の部屋で、まず目が行くのはいつだって本棚だ。
 いつだって刺激は言葉の中にある。それは私にとって『全ての悩みは人間関係の中にある』と同じくらい変わらない前提で、本来言葉とは文字であり、文字とはただの記号に過ぎない。けれども象徴を通じて人は認識し、心を動かし涙する。抽象化されたものを我が事として捉え、背筋を伸ばすことができる。何かにつけて「思う」のも「推測する」のも「確認する」のも全て言葉ありき。言語が違っても感情の共有はできる。けれど、きちんと泣くためにはやはり言葉が必要だ。

 さて、じゃあ言葉と一言で言っても、日本人同士で会話しても通じるばかりではない。マジもんの方言を始め、若者の流行り言葉、業界の専門用語。そんな一つのジャンル、今回は表題作の「少し時代をずらした世界の言葉」の話をしたいと思う。
「美しい日本語」という表現があるが、同じ「感覚的なもの」ではあるものの、この度のピックアップの根拠とは風味が異なる。例えるなら縦に、もっと深く感嘆するものだ。紹介しよう。


・霊(みたま)
・可惜(あたら)親しき間柄
・轣轆(れきろく)
・一寸子細(ちょいとわけ)を聴いたんだ
・獣肉(ももんじい)
・腥(なまぐさ)
・然然(そうそう)
・逆様(はんたい)
・将また(はたまた)
・未通女(おぼこ)
・塵芥(ごみ)


 上記以外にも、懐かしいかな「偏に」や「畢竟」という言い回しもすらっと出てくる。漢文以来の再会であるにも関わらず、それはすれ違うようにあっけない。ここで安心してほしいのは「その辺も記憶の彼方な私に近しい人」にもやさしく、ちゃんとふりがながふられてること。読み方から始める程ヒマじゃないからね! 入口で詰んじゃうからね!
 あまりの知らなさにハンター×ハンターの技ばりに、その場に応じた造語かとも思ったが、ググったらほぼあった。

 獣肉は「じゅうにく」としかないものの、関連で「ももんじい」はちゃんとあったし、「ちょいと」は方言、子細で「わけ」は文脈から分かる。この辺は正式な書物に当たれば絶対出てくる。
 その他「腥」の「つくり」は「ちかちか光る星、刺激があることを表す」要は刺激臭。「くっさ!」であることや、「然然」は「そうそう食わねえ」の他、思い出した時の感嘆詞として「そうそう、そうだった」にも使用されていること、芥川賞が今更「ゴミ川賞……」など、勝手にトリビアが増えていくから面白い。
 余談だが、以前同じ言い回しでその漢字を当てる使用率をパーセンテージで表したものの、70%、27%、3%の3%を見つけた時、思わず「マジかよ」と呟いた。どこでその激レアアイテム入手するんだよ。いや、昔はメインだったものが、時代の流れと共に変遷したのか? メダカ的な。
 いずれにしても同じものを語られても、受け取る側が思ってもみない方面から刺激を受ける。当たり前ではない当たり前。同じ日本語でありながら同じではない。それでも何となく意味は分かるからついていける。無自覚で沼にハマっていく。

 元々私自身、飯間浩明さんのような言葉ハンターに憧れがある。言葉に引っかかるとずっと反芻してしまう癖があって、けれども澤田瞳子さんのようにすぐ様文献に当たるまでの身軽さは持ち合わせていない。そんな一般人の域は出ないものの、それでも学生の時、授業のついでに立ち寄る図書館は、私にとって未知との出会いの宝庫だった。いや、もしかしたら「ついで」は授業の方だったかもしれない。
 この作品を読んで、その時の新鮮な感性が息を吹き返すのを感じた。知らない。それは純粋な伸びしろ。まだまだ知りたいと思える。そこから生まれる貪欲さは、生きることを能動に切り替えてくれる。
 何かをしたいと思えることは、それだけで幸せだと思い出す。



 考えてみればふりがななしにこの作品のタイトルさえ読めなかった、
 そんな今回は言葉の話。






この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?