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ひとり時間



〈ひとりでここまで運転して来られるようになったらね〉

片道450キロ。当然のように来てくれていたその距離と時間。自分ごととなれば山のごとく険しい。「そこにどれだけの想いと労力がかかったと思っている」そんなケチくさい話じゃない。

その人はただ知って欲しかった。ただ自分の通ってきた道を共有したかった。もはや避けられない別れに相対した時、それは私にとって成人式のごとく、大人になるための条件として目の前に提示された。



軽やかに、はずむように駆けてくる「君」はかわいい。外出から帰ると、ソファから飛び降りて、捕まえていたぬいぐるみを放棄して、壁の向こうから顔を覗かせて一目散にやってくる。足元で8の字を描くせいで、カーテンを閉めるにも一苦労。

「にゃあ」

かわいい。ユニクロ産の綿60%、ポリエステル40%のワンピースをハンモックに、ようやくのどを鳴らし始める。背景には空のごはん、汚れたままのトイレ。

そうだよな。寂しかったよな。

鳴らすのど。空白の時間を必死で埋めようとする。君はかわいい。あの時、


あの時、ペーパードライバーだった自分が実際に450キロ走ったのは、翌年の3月。まだ冷たい風の吹き荒ぶ中、山道から見下ろした先には一面菜の花が咲き誇っていた。あんなにまぶしい黄色、今まで見たことがなかった。

知っている道に入る。目的地に向かうため逆算をする。最短ルートを割り出す。ナビに頼るほど落ちぶれてない。一時でもここで生きていたんだ。そんなプライド。私は。

そんなことも気にせず、助手席で好き勝手しゃべっていたな。話を聞いてないと思えば簡単にヘソを曲げたな。


けぶった海面。橋と橋の間に浮かぶ工場。灰色の雲。つかの間見せた水色の空。差し込む光。主要道。一本ずつ選択して限っていく。道中流し続けた涙。3度通って枯れる頃には、必要なくなっていた。

「大人になる必要」じゃない。これこそ本当のさよならだった。


「にゃあ」

鳴き声で目を覚ます。存分に甘えた君は立ち上がって伸びをすると、スタスタと歩いてごはんの容器の前で座ってみせた。思わず笑ってしまう。待ってて。今用意するから。


人はひとりじゃ生きられない。人は寂しがり。それでも、

ひとり時間。静かで、冷たくて、心許ない歯抜けの自分と向き合う。どうしようもない自分は、それでもどうしたいのか。どうなりたいのか。その時見た景色は誰とも共有できない。ただ自分だけの宝物。

まぶたの裏に焼きついたまぶしい黄色。いつまで経ってもキラキラ輝く。まるで出来ないことを出来るようになった、そのためのご褒美であるかのように。


自覚しないだけでキレイな景色を眺めてるんだよ。いつだって。君にもきっと、分かる日が来る。


ねぇ、おかゆ。









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