見出し画像

ただ、思うままに綴る

ふと、悲しかったことをただ「悲しかった」と綴ってみたくて筆を執る。

心が途中でブレーキをかけるかもしれないけど。

わたしはかなり目が悪く眼鏡をかけている。一時期はコンタクトだったけど、小3〜6くらいまでの間は眼鏡をかけていた。

当時はいまほど眼鏡をかけている子というのは多くなくて、クラスに一人いるかいないかだった。わたしはクラスの男子から「メガネザル」なんてあだ名でからかわれていた。本当にそれが心底いやで、おまけに眼鏡をかけていた自分の顔もブスでいやだったし、早くコンタクトにしたかった。

けれどコンタクトを小学生でつけるのは親や先生に止められていて、コンタクトにしたのは中学に上がってからだった。

小6の頃。わたしはいつも一人で帰ることが多かったのだけど、その日はたまたまわたしをいつもからかってくる男子連中と鉢合わせて口論になった。なにを言い合ったかは覚えていない。向こうがからかってくるのに対してわたしが憤慨していたような気がする。

そのときわたしは、もうなにもかもがいやになって、眼鏡を地面に投げ捨てた。場所は草むらだったような、地面だったような。よく覚えていない。そして一目散に、近眼で周りがろくに見えない中、家に帰って、居間でひざを抱えて大きな声で泣いた。

うちは両親が共働きで、日中家にいるのは祖父母だけ。わたしの泣き声を聞いて何事かと祖父が居間にやってきた。

「どうした」

わたしは、心配そうな祖父に少しだけうれしくなった。

「眼鏡捨てた」

わたしはなにがあったか聞いてほしくて、そう答えた。けれど、祖父から返ってきた言葉はわたしが欲しかったものじゃなかった。

「何でそんなことしたんや!親が金出して買ったもんを捨てた?お前はそれをなんやと思っとるんや!!」

わたしは混乱した。

何故わたしが怒られなければいけないのか。悲しいのはわたしで、悪いのはわたしじゃなくて男子たちで。じいちゃんは、わたしの気持ちよりも、お金が大事なのか。

そのときわたしは、祖父になんと言ったか覚えていない。泣きわめいたような、怒鳴ったような、うまく思い出せない。

祖父は、幼い頃からわたしにとても優しかった。祖父にとっては最後に生まれた孫で、孫の中では唯一の女の子だからだと思う。好奇心旺盛なわたしに、就学前から文字や工作を教えてくれた。早くに家を出なければいけない両親に代わり、自転車で保育所に送迎してくれた。わたしの中では、母に次ぐ家の中での安全圏だった。

だったはずなのに。

祖父ならわたしの気持ちをわかってくれるとおもっていたのに。

その祖父からそんなふうに言われたことが、見捨てられたように感じられて、怒りと絶望でいっぱいになってしまったんだ。

たしかにわたしが捨てた眼鏡が親から買ってもらったものだったし、当時は眼鏡の量販店なんてなかったから子供用でも数万円するものだった。けれど祖父にとってわたしの心は眼鏡より軽かったんだろうか。そもそもお金を出したのは祖父ではないし、祖父にとっては、わたしが考えなしにそんな阿呆なことをすると思えるほど信頼度の低い子供だったというのか。

確かにわたしはお世辞にもいい子ではなかった。キレやすかったし、祖母は何かにつけて近所の人に「うちの孫は本当にきかん孫で」と愚痴っていたのを知っている。わたしはよく家で家族に刃向かったし、いつも喧嘩していたし、たしかにいい子ではなかった。きっとそうなのだ。

だからこそ頭ごなしに怒られた。

怒られてしまった。

普通に考えておかしくないか。

泣いている子供にどうしてそんなことが言えるのか。

わたしは理解できない。

いや、理解したくない。

別に誰に言われなくとも、冷静に、理解しようとすることはできる。たとえばわたしの言葉が足りなかったのかもしれない。悪意を持って眼鏡を捨ててきたという風に受け取られたのかもしれない。ともすれば、祖父だって何か嫌なことがあって、帰ってきていきなり泣く孫を煩わしく思ったのかもしれない。

けれどそんな理解はもう、数え切れないほどやった。数え切れないほどやったんだ。わたしが自己理解と自己分析に長けているのは、家族の誰もわたしを理解してくれなくて、自分で理解するしかなかったからだ。

もうずっと、親の気持ち、祖父母の気持ち、兄の気持ち、俯瞰して分析して、ひとつずつ噛み砕いた。心の動き、身体の仕組み、とにかく学んだ。そして、本当は余白なんかない心に無理やり詰め込んで、空虚な「わかる」という言葉を、何度口にしたかわからない。

家族の誰も、わたしの気持ちを、わたしの本当の気持ちを理解してくれなかったけど、わたしだけが家族を、理解しようとした。わたしが理解すれば、わたしが愛されなかった理由がわかるはずだと信じて。

わたしはすごくすごく辛くて、心底嫌で嫌で苦しくて仕方なかったはずだけど、そのことに気付けなくなるくらい、自分を押し込めて、誰よりも家族と自分を理解しようとしてきた。

だれも、わたしの気持ちを、理解してくれなかったけど。

だれも、わたしの気持ちになんて、興味はなかったけど。

気持ちを隠すのがうまかったわたしが悪いのか?

でもそうさせたのは、おまえたちじゃないか。

向こうの都合なんてもう理解したくない。

だってわたしなら、自分の子供が泣いていたら、そんなこと言わない……。

だって、家族ですらない、担任の先生のほうが、わたしの気持ちをわかってくれていた。

捨てた眼鏡は、どういう理由だったか忘れたけれど、わたしから先生に連絡したんだったか、先生が一緒に捨てた場所まで取りに行ってくれた。壊れてはいなかった。

この先生は、少なくともわたしの人生の中で五指に入る恩人なのだけど、学校にいけなくなっても、わたしが自殺未遂をやらかしても、ずっとわたしの味方でいてくれた人だった。死ぬまでにもう一度会いたい。

本当に理解してほしかったのは家族のはずなのに、家族の誰もわたしを理解しなくって、ほんとうに理解してくれたのは家族じゃない人たちばっかりだった。それが事実だ。

ああ、わたしはずっと恨んでいたんだ。怒っていたんだ。

わたしの気持をわかってくれなかった、わたしの思いが通じない家族たちに。

わたしは、ずっと前から怒っていたんだ。けれど、大人ぶって、大人ぶるから周りも「この子は大丈夫」なんて勘違いして。全然大丈夫じゃなかった。

「お母さんはちゃんとあなたを愛しているよ」
「親を恨んでも何の解決にもならないよ」

そんな言葉を鵜呑みにして、自分の気持ちを封じ込めてきた。

そんな言葉いらなかった。

わたしはもっと、めいっぱい恨んで、めいっぱい甘えればよかったんだ。

でもだれもわたしを甘えさせる余裕なんてなかった。
どんなに辛いって言っても、だれもその本質をわかってくれなかった。

さいきん、「成長過程で獲得すべきものを、先に与えられてしまったから壊れてしまった」という言葉をもらった。

きっとそう。

甘えても、応えてもらえなかった。
求めても、与えられなかった。

たったそれだけのことでわたしのこころは粉々になった。

甘え方がわからないから悪事を働いて気を引いて、そのたび頭ごなしに怒られてばかりで、悪循環の日々だった。家の中で居場所もなくなるし、人の気持ちがわからないから友達にも嫌われて、ずっとずっとひとりぼっちだった。

ひとりがいやなのに、ひとりになるばかりだった。

ああ、些細なきっかけだったのに、結構根深い想いが顕在化してしまった。

解放を許すと、芋づる式にいろんな想いが出てきて、筆の置き時を見失う。

書いている最中に、嗚咽を漏らすほど泣いたけど、今はそれも止まっている。泣き止むのが早くて結構、そう、いつだってぼくは冷静だ。冷たいくらいに。

いつもなら、人の感情を揺さぶりそうな記事は、前置きをするんだけど、なんだか今日はいいや。そういうの。そういう配慮は本当は必要なのかも知れないけど、今のわたしがそれをやったら、思うままに筆を走らせた意味がなくなってしまう。

裏面マガジンに入れるから察してもらえるだろうか。

もし心の準備をせずにここまで読んでしまって、苦しくなった人がいたらごめんなさい。わたしにも、こういう日があるみたいです。

わたしは、おりこうなんかじゃないよ。

わたしは、大人なんかじゃないよ。

わたしは、優しくなんかないよ。

わたしは、出来た人間なんかじゃないよ。

わたしは、すごくなんかないよ。

一人ではお外に一歩も出られなくて、着替えるのも食べるのもできない怠惰な大きな子供だよ。

言葉遣いだって悪いし、下品なことだってたくさん言うし、言葉で相手の気持ちをコントロールしてしまうことだってある。

謙遜するのやめます、なんて言ったくせにこのざまだ。いや、でも多分これでいいんだよ。だって、自己卑下を飲み込んでも翳るばっかりだ。自己卑下をしてしまうわたしを許せない人なんて、いずれ離れていく。

気分が落ち込んでいる。生理後うつだか、栄養不足だか、疲れだか、理由はなんでもいい。とにかく落ち込んでいる。

自分で自分を育てるしかなかったことが、今はただただ悲しい。

家族以外にいい人に出会えたのだから、それでいいじゃないかと、今は少なくとも思えない。

ずーっといい子のフリをしてきたけれど、本当は社会全体を恨んでしまうような気分になることだってある。

わたしがこんなに苦しい想いをしたのに誰もわかってくれない。

自己理解に関して人より抜きん出ていることも、孤独に孤独に、ずっと先を目指してきたら、いつの間にか多くの人を置き去りにして本当に孤独になってしまっていた……そんな寂しさがある。

誰かわたしより頭のいいひとが、わたしの気持ちをわかって、包んでくれないだろうかと未だに夢に見る。

わたしが「甘えたい」と思う相手は、いつも親に似て、わたしのことを構う余裕がない人たちばっかりだ。今でもそう。そういう人ばかりに執着してしまう。きっとそれは、そういう人にこそ理解されれば報われるという幻想を抱いているからだ。

けれど現実では、そういう人の前では緊張して距離を見誤るし、そういう人にこそ嫌われる、避けられる。多分、その人はそんなふうに思われているなんて気付くべくもないんだろうけど。あ、ここ笑いどころね。笑えねーよ。

幻想を現実で打ち砕くには、現実を積み重ねるしかないんだろうか。

そんなのいやだよ。ずっと夢を見ていたい。

わたしのこころの恐怖は、まだまだ根深い。

誰かわたしを連れ出してほしい。

わたしに手を差し伸べてほしい。

受け止めて、ちゃんと叱って欲しい。

わたし、大人なんかじゃないんだよ。

もっと、甘えていたい。

最後までお読みくださりありがとうございます。この記事が気に入ったら♡を押してくださると嬉しいです🙂SNSでのシェア、サポート等もとても励みになります。