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健康になる事は通過点でしかないのかも

ずっと心と身体の不調を治したくて、健康になりたくて、調べたり、試したりしてきて、もはやそれが人生の目的のようにすら感じてもいた。けれど、そうではないのかも……? と思った話をする。

結論から言うとある検査をしてきたのだけれど、それを通して色々な事に気付いた。

健康になりたいと思ったきっかけ

まず、「心と身体の不調をどうにかしたい」と思ったことの発端に触れる。この辺りの話は散々書いているので知ってる人は読み飛ばしてくれて構わない。

一番大きなきっかけは、精神疾患の悪化により会社をやめざるを得なくなくなった事。新卒から5年間働いた地元の企業を離れ、東京のベンチャー企業に転職して半年ほど経った頃だった。

会社員時代の自分は、長年続けた精神科通院をやめて、精神疾患から来る不定愁訴を性格・体質と割り切り、騙し騙し働いていた。

今思えば、勤務中に眠気に抗えずに寝てしまったり、周囲との会話が上手く出来ずすべて背負い込んでしまったり、通勤電車で必ずお腹を下すなど、お世辞にも健康とは言えない状態だった。それでも無理をすればなんとかなる、と思っていた。実際、地元の会社にいた頃はそれでなんとかなっていたし。けれどなんとかならなかった。

当時の記憶がほとんどないのだけど、メモ書きを読んだときにおぼろげに思い出すのは、愛想笑いのための表情筋は動くけど、会話に感情は伴わないこと。指示の意味もちゃんと理解できないし、話しかけられると思考が停止してしまって心配されたこと。毎日勤務中や勤務後にトイレで泣いていたこと。

また、当時はデザイナーとして働いていたけど、デザインは決断の連続を求められる仕事で、鬱状態の人間にはものすごく辛いのだけど、デザインを定められない事で、ものすごく自分を責めていた記憶がある。

同じ部署の先輩は信頼できなかったし、誰にも相談できなかった。でも、何かがきっかけで限界を迎えて、もう縋るような気持ちで総務部の人にメールをしたのを覚えている。そこからはとんとん拍子に休職が決まった。

総務部の人も、直属の上司も、とても優しく心配してくれて、それに応えられない自分があまりにも不甲斐なかった。たった数ヶ月で何かできる気もしなくて、それでも良くなるかもしれないという幻想に縋りながら、家で一人毎日をやり過ごした。休職はちょうどGW前で、本当なら働いているであろう真っ昼間に、カーテン越しに降り注ぐ初夏の爽やかな日差しを、虚ろな気持ちで眺めていた事を覚えている。

でもやっぱり幻想は幻想で、回復などするわけもなく、勤続半年だった私は、3ヶ月目の8月1日に退職勧告を受けた。

この時の事が、私にはとても強烈なトラウマになった。

小学生の頃に早々に不登校になって、高校に入っても、最終的には通信制に通う事になって、結局まっとうに学校は行けなかった私は、「社会のレールから外れる」という事に、とても強いコンプレックスを抱いていた。

もし「学校に行けなくてもいいよ」と親が言ってくれていたら、そうはならなかったかもしれないけど、実際は「いつになったら行けるようになるんだ」とずっと言われ続けていたから。

そんな中で、アルバイトはがんばれたし、就職のためだからと専門学校には通えたから、働ける事は、親の求めるところであり、同時に自分の存在価値とも混同してしまっていたんだと思う。

だから、退職勧告は、存在価値の否定と同義だった。心の底から自分は生きている価値がないと思った。

けれど、親は私をなじるどころか心配してくれたし、夫も変わらず接してくれたし、カウンセラーもあたたかかった。誰も、私に死ねと言わなかった。でも逆に、当時の私にはそれがつらかったとも言える。「死ぬしかない」と思っているのは私だけだったから。

周りが死ねと言わないから、私は生きなければいけないと思った。だとすれば、無価値な私が生きていく資格があるとすれば、この精神疾患を根本的に治して、社会復帰する事だと思った。

もちろん疾患を受け入れて、うまく調整して働く道もあったと思う。けれど私は、「治す」という方に意識が向いた。過去の経験から精神医療には懐疑的だったし、悪化したときに愛着の問題に気付いたからだ。

この経験が「心と身体の不調を治したい」のそもそもの発端。ただし、この頃はまだ「心の問題」しか考えていなかった。

身体について考えるようになったきっかけはそれから2年ほど経った頃だったか。トラウマに切り込むようにカウンセリングを続けて、自分を見つめ直す中で、一年間だけダイエットに挑戦した時があった。この時、食事を大幅に見直して、15kgの減量に成功した。

このときの経験で得た気付きは、「食事は心理状態に影響する」という事。そして、比較的緩やかな減量だったものの、皮膚炎で顔の皮膚がボロボロになった事から「健康になれる栄養バランスは人によって違うのではないか?」という疑問。

ここから「心の病を治療するのは、身体へのアプローチも必要なんだ」というところにシフトしていく。

栄養療法に巡り会うも、行き詰まる

何が本当の事なんだろう、と色々調べる中で、偶然、糖質制限や高タンパク食、栄養療法などに出会う。栄養について学ぶ中で、アレルギーや精神疾患などのあらゆる身体症状が、密接に結びついている事を知れたのは本当に良かったと思う。

本に書かれているような効果を期待して色々試してみたりしたが、結局どれも上手く行かなかった。上手くいかないのはやり方が悪いからというのもあるだろうが、概ね私の体の問題だった。

鉄不足でも身体は鉄をブロックするし、糖質を減らして動物性タンパク質をたくさん摂ると逆に調子が悪くなる。けれど食べ物や糖質制限などの方法そのものを批判する人達の意見にはなんだか恣意的なものが感じられたので、やはり身体の問題の方を疑い続けた。

その視点は間違ってなかったと今となっては思うけれど、それは諸刃の剣でもあって、辛くなってくると、自分の生活、ひいては人生の何もかも悪いようにも思えてしまっていた。

それでも何か出来ることはないかと、自己流で試してもいた。けれどそれも、上手くいかなくて。腸内環境を整えようとして逆に悪化したり、自炊を頑張ろうとしてストレスで精神状態が悪化したり、自己抑制の反動で暴飲暴食に走ったり。この1〜2年、健康に関しては、やることなす事逆効果で、とにかく、とにかく混乱していた。

けれど、私は自分が健康になる事がどこか使命のようにも感じていた。
「私が健康になる過程を、こういった場で発信すれば、同じような悩みの人の力になれるかもしれない」そう思ってもいた。

精神疾患の治療の現状として、医療機関で具体的な治療効果を得る事が難しいという問題がある(精神疾患に限らないけど)。そして私が興味を持つ方法は代替医療と呼ばれるものがほとんどで、そういった情報は、あまり表に出てこない。だからこそ、なんでもない一般人の私がシェアする事で、広める事が出来たら、と。

効果的な方法を見つけられたら、いっそ私が治療者になるのもいいだろう、とすら思っていた。ホロスコープ的にも、適正はあるといえばある。

けれどそれは、不安から、義務的に思っていた事だと思う。

その証拠に、調子が良い時は「治療者になりたい」とか「私が健康問題をシェアしなければ」みたいな気持ちがほとんど出てこないからだ。調子が良くなるのは治療効果というよりは、季節の変化による体調の変化だと思うのだけれど、反対に不安な時ほど「健康にならなきゃ」「私が発信しなきゃ」「治療者になるには勉強を……」みたいな事ばかり考えてしまう。

実際、栄養療法の治療レポのようなものを毎月書こうとしていたけど、途中で葛藤が生まれて、結局2ヶ月しか続かなかった。

それに、内省していて出てきたのだ。「健康にならなければ、私には価値がない」とか「健康になる過程で得たものを誰かに還元しなければ、私の存在意義はない」みたいな言葉が。そういう動機でやる行為は、代償行為だ。いつまでも満たされない。

けれど、これは本当に強烈な強迫観念だった。そこまでわかっていながらも、精神的に不安定になり自分を見失うと、健康になる事があたかも人生の目的のように思えるほどに。

最近もまた、この想いに囚われていた。

実は、この2月の後半から体調を大幅に崩していた。正直なところ、鬱状態だった。

最近は、アクセスバーズのおかげで回復が早くなっていて、自分の状態を「鬱」とか「躁」とか病態で言い表さなくなっていた私が、今回ははっきりと「あ、この状態を言葉にするなら『鬱』だ」と思うほどに鬱だった。

会話がまともにできないし、身体も殆ど動かせない。やる気も出ない。今までの何もかもに嫌気が差す。ネガティブに囚われる。人との会話も上手く行かない。

いつもなら1週間くらいで調子が戻るのに、なかなか回復しなかったのも不安に拍車をかけた(今ようやく上向き始めたかな……というくらい)。

自分がこれまで積み上げてきたものが何もかも虚しくなって、ぶち壊したくなって、また「健康になれなきゃ私には価値がない」が出てきた。

それでも、健康になる事に全く希望がないわけではなくて、実は昨年、めぼしい治療法というか、「まずどの問題から着手すれば良いのか」という事がわかる検査方法を知った。それが冒頭に書いたもの。

その検査を行っている治療院も通える距離にあって、自分が悩んでいる体調不良の殆どに対応できるような感じだった。

ただ、前回栄養療法の病院をたった2ヶ月でやめてしまった事もあり、なかなか踏み出せずにいた。「ちょっと都合が良すぎない?」とか、「先生との相性が悪かったらどうしよう」とか、「治療法が思っていたのと違ったらどうしよう」とか。

占いも勉強しているので、自分にとって最適なタイミングで動きたいと思い、機を待ってもいた。

治療院は予約が取りにくいとの事だったので、占いで出した最適なタイミングの2ヶ月前に予約の電話をかけようと思っていた。

それがちょうど先日、春分をむかえた翌日。

その日が近づくにつれ「治りたくない自分」が出てきた。体調が顕著に悪くなるし、治療院で「ただの運動不足ですね」とか「異常はないです」と言われる夢を見るしで、どれだけ不安なのかと自分でも笑えてくるほど。

それでも自分を奮い立たせ、思い切って電話をかけたら、なんとその週に空いていると言われてしまった。「空いているのに2ヶ月後に予約っていうのもおかしな話だよな……」などと考えてしまい、言われるがままに数日後の予約を決めた。(このご時世なので、遠方の患者さんの予約が減ってしまっているらしい)

占いの結果とは全く異なるまさかの展開にかなり面食らってしまった。しかしカード的には今の時期に電話する事も見越しての日付だったのかもしれない。それはさておき、予想外に早かったが、いよいよ検査を受ける事になった。

自然療法の検査を受けて気付いたこと

今回受けた検査と治療は、以前受けようとした統合医療とアプローチは似ていて、生体機能を妨げている毒素を排出し、自然治癒力を高めていくというもの。いわゆる代替医療に分類されるもの。

「フィシオエナジェティック」という名前の治療メソッドで、ARテストと呼ばれる筋肉反射テストで身体の反応を見ていく。

前回受けたバイオロジカル検査と大きく違うのは、血液や糞尿の成分を調べるのではなく、身体のフィードバックを観察して原因を見つけるというもの。バイオロジカル検査はサンプルを海外に送るため1ヶ月かかるが、ARテストは結果がその場でわかる。

検査を受け、概要や結果を説明される中で気付いた事や思った事が色々あった。

まず検査結果。自分のどこに不調があるかという点だけど、それに関しては納得なのと、意外性があるものがあった。後日詳しい検査内容と合わせて改めて記事にまとめようと思うけれど、今ひとつ印象的なことを挙げるとすれば、バイオロジカル検査で問題視されたカンジダ菌が、今回のテストでは反応が出なかったそうだ。代わりに、寄生虫がいるとの反応が出た。しかし、カンジダ菌ももしかしたらいずれ出てくるかもしれない、とのこと。

曰く、ひとつの問題を解決すると、その下層にある問題がまた出てくるのだそう。玉ねぎの皮を剥くように、ひとつずつ解決していかないといけないのだそうだ。つまり今回出た問題がすべてではないということ。

治療院には一年以上通う前提で来て欲しいと書いてあったので、それは覚悟の上だったけど、そもそも環境は移ろいゆくもので、一旦「健康」と言える状態になっても、また何か別の問題が浮上してくる可能性はある。

受ける前はどうしても不安に目が曇って、まるで万能のメソッドのように思えていたけれど、検査を一度受けてみて、なんとなく理解した範囲で言えば、そうではないというか、自分の認知の歪みに気付かされたような感覚だった。

もちろん「今、自分にとって何が必要か」が明確になるのはとても心強い。自分に最適化されていない健康知識に惑わされる事も減る。これはフィシオエナジェティックの強みだと思う。

しかしどんな検査結果が出たとしても、自分が治る事を願って、自分の身体の声を聞いて、原因に適切に対処する事が大事なのは変わらないのだという、至極当たり前の事を自覚した。けれどそれは、以前のように自分を責め追い込むような感覚ではなく、自然に、腑に落ちたという感じだ。

今回の検査で明確な原因がわかったおかげで、視界が晴れたのかもしれない。「健康になる事」は人生の目的なのではなく、通過点なのではないか、と思えたからだ。

自分の使命を果たすためには、ある程度肉体もとい器を整える必要はあるけれど、それは人生の目的そのものではない。健康はチェックポイントであるが、ゴールではないのだ。それは、実は自分のホロスコープにもちゃんと現れている。きっと健康である事が目的達成に必要でない人もいるのだろう。

全体像が見えなかったり、視野が狭くなってしまうと、どうしてもわかりやすい目的地がゴールのように感じるけど、そうではないんだよなぁと。ただ、今は不健康である事で被る不利益や妨げがあまりにも多いと感じるので、やる必要があるというだけで。

そう思えたら、ずっと感じていたプレッシャーが緩んだ。

まだ勧められたサプリメントを飲みはじめて数日しか経っていないので、また考えが変わるかもしれないけれど、少なくとも今回の検査は私にとって、とても大きなきっかけになったし、自分の人生への理解が深まった。

同時に、自分はまだまだ「不安な方」を見ようとしているんだなと気付きもした。

今回、寄生虫がいると聞かされたのは青天の霹靂だった。だから色々気になって調べてみたけれど、既に「パラサイトクレンズ」という言葉があり、たくさんの人が取り組んでいる様子が見受けられた。

先にも書いた通り、ずっと「本当に必要な情報は隠されているから私が発信しなければ」みたいな強迫観念に突き動かされてきたけれど、実際は、人間は見たいものしか見ないので、本当に必要な情報だったら私が発信しようがしまいが見つけるだろう、という事。

もちろん私が溜め込んでいる知識や哲学が必要な人もいるから、「発信が無意味」という訳ではないだろうけど、重荷を背負って執着心からやるような事でもない。それはエゴだし、余計な業を背負う。悪循環だ。

そして「人間は見たいものしか見ない」のは私もそうで、私はきっと「隠された情報に困らされている人」「必要な情報に気付けない人」を選んで見ていたのだと思う。自分の不安を本物だと確かめるために。救済願望を満たすために。

けれど実際はもっと広くて軽い。世の中は色んな人がいる。だから私の知らないことを知っている人もいるし、真実を知って、自分の身体を自分で治療して、どんどん健康になっている人だっている。

冷たい言い方に感じられるかもしれないけど、知らないままで終わる人は、そういう人生を選んでいる。知る必要がある人はきちんと出会うように出来ている。世界はそういうものだ。

だから私は、もっと自分が楽しい、面白いと思ったことを思うままに発信していけばいい。いや、するべきなんだ。だって、もし重責や義務感だけで動いていたら、それがなくなった時何をすればいいかわからなくなるし、それじゃ、仕事をやめたあの頃と同じ。

私がやるべきは、いつの間にか背負ってきた重責をまるで本当の自分のように勘違いしたまま生きるのではなく、その鎧を脱ぎ捨て、不安と恐怖を手懐け、自分の人生を楽しむ事に許可を出す事だから。
強すぎる責任感は、何かもっと自分が好きな事や楽しい事のために使えばいい。それがきっと信頼にもつながっていくはず。

言葉で言うのは簡単だけど、やっぱり難しくて、まだ行ったり来たりするかもしれないけど、気づくたびに軽くなっているはず。少なくとも今回の気付きはとても大きいし、心は軽くなった。

検査後からの数日間、ずっとそんなことを考えていた。

正直、まだまだ先は長いから、不安がないと言えば嘘になる。けれど、暗中模索のこれまでに比べたらずっとマシ。だって、道標があるから。

とりあえず今は、自分の身体が変わっていくのを楽しもうと思う。
きっと内側が綺麗になれば、外側も変わってくるはずだから。

検査概要や検査結果の詳細についてはこちら


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