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宛名のない手紙

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時々降りてくる言葉集。大抵は自分に向けてだけど、気付きのきっかけになれば幸い。
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風の時代について。人間的なものを否定したまま風の時代を生きるのは苦しいと思う。風は形がなく、それ単体では認識もされず存在もできない。風を動かすのは水の重さと火の熱、そして地形。他のエレメントを蔑ろにしない事。あらゆる制約の中で「自分が」軽やかに生きる術を知るための知性なのだから。

私たちが今取り組むべきなのは、自分の内側の気持ちに寄り添う事。じゃあどうしたら寄り添えるのかと言えば、まず自分を満たせばいい。「人は余裕がないと他人に優しくできない」とよく言うけど、それと同じ事。そして出来た余裕は他人にいい顔する為でなく、まず自分に使っていく。順序を逆にする。

「何事にも動じない」というのは、「何事をも感じない」ということとは違う。むしろ、あらゆるものが「変わる/動く」ことを受け入れている状態を指すのでは。

ねえ、執着を手放すとか断ち切るというのは、自分の中の強い欲求を諦めることではないんだよ。むしろその欲求が満たされない環境にしがみついているのが執着。それを手放して、欲求と真正面から向き合う、それを満たす覚悟をする。欲は悪いものと思われがちだけど違う。欲求は満たす「必要」がある。

「自分は何もして(できて)いない、と思う事こそ傲慢である」

「今こういう変化があなたに起きてるよ」という示唆をオラクルカードやガイドから受け取った時、「そういう風に私は変化しなきゃいけない」って頭で掴んで意気込む事はむしろ妨げになる。既に起きている流れに身を任せれば自ずと扉は開かれる。
選べるのはどの道を通るか。どういう景色を見るか。

「優しい人は同じ分だけ冷たさを持っていて、冷たい人は同じ分だけ優しさを持っている」という言葉が響く。
愛を求める心も、現実を見つめる心も、一人の中に等しくあって、何を表に出しやすいかが違うだけなんだ。だから自分の心さえ、一つの側面を見て、至らない、足りない等と責める必要はないよ。

「どんなに裏切られて、ひどい目に遭って傷付いても、最後には他人の美しさ、尊さを見ようとして、そしてそれに気付ける」というのは、当たり前の事じゃないし、立派な才能だよ。

人からのダメ出しを後生大事に抱え込むのは、失敗が怖いからだ。
でも他人は他人。それはその人の人生訓。
腑に落ちないのなら、手放せばいい。そう出来ない自分を責める必要もない。
結果的に相手の言う通りになったとしても、行動の結果の失敗なら、借り物の言葉よりもずっと貴重な経験になる。

どこで、何を見て、どう生きるかは、選べるんだろうなと思う。それは特権とかではなく、本当の意味でそう。選択権は自分にある事、あるいは既に選んでいる事を忘れているだけ。そこに気付く(思い出す)事が出来れば、少しずつ世界が変わる。

雨が降るから虹が出る。作物が実る。悲しみや苦しみがあるから、喜びや幸せがこんなにも尊い。「失わなければ気付けない」そんな人間は愚かだと言うけど、それは当たり前の事。失うからこそ、良さに気付ける事もある。愚かだと自分を呪うよりも、視点の変化、価値観の変化を楽しんで。

「たられば」をやめる。ないもの、過ぎ去ったものばかりに目を向けて、自分から傷付くのはもうやめにする。たとえ思うように身体が動かなくても、心が折れそうだとしても、「今ここ」にしっかり向き合う事が、自分に出来る最善。

私が(あなたが)素直に楽しむことで喜ぶ人がいる
だから無理に恩を返さなくてもいい
もちろん返したければ返してもいい
恩を返さないことで怒る人がいたら、その人は離れていく人
まずは自分の喜びを求めていい

今が最善で、正しいのだから。わざわざ正しくあろうとか、間違えないようにしようとか、考えなくていいのです。自分が、自分のままでいる事。それだけで、人生は動いていくのです。傷付くのが怖いのは、傷の痛みを無視しているからでしょう。その傷は癒されるために負ったのだと、気付いてください。