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“騎士団長殺し”読書感想文5.

“もし表面が曇っているようであれば

その年の五月から翌年の初めにかけて、私は狭い谷間の入り口近くの山の上に住んでいた。夏には谷の奥の方でひっきりなしに雨が降ったが、谷の外側はだいたい晴れていた。海から南西の風が吹いてくるせいだ。その風が運んできた湿った雲が谷間に入って、山の斜面を上がって行くときに雨を降らせるのだ。家はちょうどその境界線あたりに建っていたので、家の表側は晴れているのに、裏庭では強い雨が降っているということもしばしばあった。最初のうちはずいぶん不思議な気がしたが、やがて慣れてむしろ当たり前のことになってしまった。……”

このように文章をたどって書き写しているだけで、自分の感受性に映るものを言葉にまた感情にしようとしている。豁然とした爽快感、ダイナミックなランドスケープ、そして晴天と雨天の境界線上の家。暗示的だ。人ではない宇宙、自然が登場し、超自然を彷彿とさせる境界線上の家。プロローグの顔の無い男についで、海と山、晴天と雨天、境界線といった対極物?が、世界の二重人格を暗示しているのか?陰と陽が日月のように、これからフラスコの中で混ざるよ。嵐、悲劇、災い、混沌をこれから描くという作者の無意識からの兆候か。狭い谷間の入り口。谷には谷神がいる。

[谷神(こくしん)は死せず。これを玄牝(げんぴん)と謂う。弦牝の門、これを天地の根という。めんめんとして存するごとく、これを用いてつきず。]

{万物を生み出す谷間の神は、とめどなく生み出して死ぬ事はない。これを玄牝、神秘なる母性と呼ぶ。}

【この玄牝は天地万物を生み出す門である。……道の働きを母性に例えている。谷神とは女性を大河の源流としての谷川を神格化した。】以上、ちょんまげ英語日誌より。

女性の登場がここで作者の無意識に影をさしているようだ。谷神、玄牝のようにとらえがたい母性にまつわる旅路。厄介な時期。

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