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吉備王国の呪い2 ・シャーマン戦(葉脈盆地7)

ヤマトトトモモソヒメ(大和の蛇霊を崇拝する姫、ドラヴィダ語)の弟が、吉備津彦之命(別名、彦五十狭芹命ヒコイサセリノミコト)だ。姉がツングース系統シャーマンの可能性があり、四道将軍として、吉備の温羅(ウラ又はオンラ)の討伐にあたった。温羅は製鉄技術をもたらし吉備を繁栄させた渡来系(出雲、九州、百済、伽耶、新羅説)で、吉備の冠者(鍛冶屋?)と呼ばれ、もともとの吉備津神社の祭神という説もある。高句麗・ツングース系統シャーマンの弟と、他系統シャーマンの対戦でもあったわけだ。アニメ顔負けのシャーマン戦を繰り広げる。ヒコイサセリノミコトが矢を放ち、温羅が石礫で矢を落とす。(巨岩多い矢喰宮遺跡)ヒコイサセリノミコトが2矢を放ち温羅の左眼を射抜く。(血吸川、赤浜) 温羅が雉になって逃げ、ヒコイサセリノミコトが鷹になって追う。温羅が鯉になって逃げ、ヒコイサセリノミコトが鵜になって温羅を捕獲。(鯉喰神社)  温羅は通常の武人では歯がたたず、ヒコイサセリノミコトが派遣された。すなわちシャーマン戦だった。ヒコイサセリノミコトの背後にはヤマトトトモモソヒメの呪術パワーがあり、温羅本人もシャーマンだった可能性があり、阿曽媛という妻も間違いなくシャーマンだった。降参した温羅は斬首された首がまだ生きていた。首部(こうべ)という地名。温羅がヒコイサセリノミコトの夢に現れ、妻の阿曽媛の神事を継承させるようにと要求。首が白山神社、胴体が艮御崎神社、部下の二人の鬼が青陵神社に祀られた。そもそもこのような物語?又は鎮魂神話そのものが、シャーマン視点でしか観測できはしない。このまま、シベリアのシャーマン伝説と言っても全然違和感は無い。戦闘後の敗者部族を呪術的に統治しやすくする、当時の常識だったのだろう。●相手を倒し、徹底的に祀り(呪術で怨霊を封印。さらに神格を与え、悪く言えば使役する。)神名・神格、部族信仰からまるごと部族国家を乗っ取る?!この連続が、大和朝廷成立プロセスならば、かなり業が深いやり方と思わざるをえない。何千年もの呪いが発生しても、納得だ。

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