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二十九回 臨時号「うさぎとかめの真相」前編

林 弘樹 (映画監督・社会創造家)

みなさんご無沙汰しております。お元気ですか?「会いたい時に会いたい人に会いに行く」ということを意識してきた自分にも、それが出来なくなることがありうるのだと、こうして何気なく書く「お元気ですか?」の言葉にも感じています。

当たり前の日常に、本当の意味で感謝を噛みしめることを忘れずにいきたいですね。

◆連載について

さて、「ヒロキと弘樹はトルナトーレに出会えない」も気づけば二十九回目となりました。ヴェネツィアにいるヒロキと、獨協大学にいる弘樹との時間と空間のクロスオーバーストーリーを書き始めてみましたが、二年半経ってもまだ「全く物語が展開していかないこと」に我ながら驚いております(笑)。多くの方から「読んでるよ、頑張って」「それで、いつから彼らの物語は動き出すんだい?」という叱咤激励の言葉も頂きながら、嬉しくも歯がゆい心持ちで書き進めております。

僕の文章力の未熟さもあるとは思いますが、そもそも「ヒロキと弘樹」という人たちは、しっかり弓を引き、「ギリギリと引っ張る指がちぎれそうになる位までならないと放たれない奴ら」なんだということが、改めてよーく分かりました。ほんとにこれでトルナトーレ様にいつか出会うことが叶うのだろうかと、しっかりしてくれよと筆者も祈っておるところであります。

 

そんな二人もようやくではありますが、時を超えて共に動き出す頃合いが来ているように思います。どう動くかって?それはたぶん、撮り始めるんじゃないですかね、映画を……。彼らのエンジンはフィルムをカタカタと回す以外では動かなそうですから。動かなければこのまま永遠にトルナトーレ様に会えないどころか、近づくこともままなりません。そうなるとこの連載も永遠に続けなければならなくなってしまいます。だから、もうしばらく辛抱強く、優しく応援しながら、見守って頂ければ幸いです。(因みに、トルナトーレに出会えた時が来たならば、その時が最終回になるはずです、たぶん……)

 

◆「うさぎとかめ」の印象

閑話休題。

今回は臨時号ということですので、そろそろ筆者が気づいたある有名な寓話の真相についてお話ししたいと思います。みなさんも良くご存じの「うさぎとかめ」のお話の真相についてです。

個人的には世紀の大発見なのではないかと思っているのですが、もしかしたら「なーんだ、そんなことか」と期待に沿えない可能性もあるかもしれませんが、その場合はご容赦くださいね。

まずは僕自身が子供の頃から「うさぎとかめ」という寓話にどういう解釈をしていたかをお伝えした方が良いかと思います。前提の共有ってやつです。平たく言えばこのお話、良く出来た「子供だましの教訓めいたお話」だと感じていたというのが林少年の正直な感想でした。

 

先に結論からお話すると、実はそういうお話ではなかったのではないか、というのが今回の「林弘樹的・世紀の発見」ということになります。

 

でも、きっと林少年と同じような感覚を持たれてきた方も多いのではないでしょうか。このお話を受けて、「よし!自分もコツコツとかめの様に努力して生きていこうなんて、思う純粋な子なんていない」とまでは言いませんが、なんとなく押しつけがましく感じられて、ずっと嫌だなと思ってたんです。

お話ししてくれた学校の先生がそう感じるように誘導したのか、僕が勝手にそう解釈したのかは今となっては分かりません。でもまあ、目くじら立てて異議を唱える程のものでもないかな、と何となくやり過ごしてきました。

 発見のきっかけは、ヴェネツィアに住み始めた二〇一七年から今に至るこの五年間の間に、みっちりと子育てといいますか、息子くんたちを観察し続けてきたといいますか、そういう歩みの中にありました。

 

 ◆うさぎとかめと、クラとカン

 うさぎは、たまたま昼寝をしてしまったけれど、昼寝さえしなければかめに負けることなどなかったし、今後もそうあり得ることでもない。逆にこの失敗を通じて二度と負けることはないのではないか…。

 この僕の「先入観」によって、真の意味を問うというような機会は四十年余り訪れませんでした。しかし、それがガラガラと音を立ててくずれ、今回の大発見に繋ったのだから面白いものです。

 (中編に続く)


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