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富士山より古い?早池峰の信仰

こんにちは。只今テスト運用中の「早池峰と賢治の展示館」ファンページ(非公式)です。

このページは、岩手県花巻市大迫地域にある「早池峰と賢治の展示館」を「勝手に」応援するページです。 という訳で、ページの内容は「早池峰と賢治の展示館」の公式の見解とは無関係ですので、よろしくお願いします。

とりあえずnote初めるってよ、というテスト運用中なので、色々とお許しを。

今回も、「早池峰の信仰」についての続きです。前回のリンクを下に貼っておきますね。

https://note.com/hayachinetokenji/n/n7a9c0438f1cf


早池峰は岩手の山岳信仰などの面で、とても重要な山だったようだ、ということは、これまでに書いてきたとおりですが、岩手には、早池峰よりも標高が高く、盛岡周辺で圧倒的な存在感を放っている岩手山もあります。しかし、早池峰の存在感も岩手山に劣らず、場合によっては岩手山以上であるようにも見えます。

これは、岩手山が近年でも火山活動の兆候による入山規制が行われるのに比べ、早池峰は非火山性の地層から出来た山で、火山活動とは無縁なことも関係しているのかもしれません。

早池峰は太古の昔から、人々が比較的安定して登拝したり修行ができる信仰の山として存在していたのではないでしょうか。

火山性で度々大噴火し近寄りがたい富士山と比べても、早池峰の方が、実際に山に分け入って修行を行うことができる、より古くからの身近な信仰対象の山だったのかもしれません。富士山の場合は、当然のことですが、噴火活動が沈静化しなければ山に入って修行を行うことができませんでした。

富士山 やはり神々しい・・・

宮沢賢治も早池峰に登り、早池峰の岩石に興味を持つことなどで、そういった早池峰の地質や信仰の古さに気づいていたのかもしれません。そして、宗教や信仰に強い興味があった賢治であるだけに、早池峰の信仰や歴史についても興味を持っていたのかもしれません。

信仰の山であった早池峰ですが、明治維新の「廃仏毀釈」や「神仏分離」によって、江戸時代までの信仰の中心だった岳妙泉寺も廃寺となり、本堂は壊されました。

「廃仏毀釈」や「神仏分離」とは、江戸時代までの、神様や仏様、あるいは山伏達の修験道など、様々な神様が入り混じっていた状態を分離しようとするもので、明治元年に「神仏分離令」が出され、明治の初め頃から日本人の信仰は大きく変化しました。

そういえば、早池峰の山頂には元々ピラミッド型の構築物があった、という話も聞いたことがあります。そのピラミッドは、古代からの太陽信仰と関係していたものの、このピラミッド型の構築物も明治の初めに破壊され、破壊の時には爆発物まで使われた、
・・・などと、色々興味深い言い伝えを聞く機会がありますが、古文書なども焼けてしまい、記録として残るものはほとんど失われ、今となっては、それが事実だったかを確かめる術もなくなっているようです。


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