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神様の山・・・早池峰

こんにちは。只今テスト運用中の「早池峰と賢治の展示館」ファンページ(非公式)です。

このページは、岩手県花巻市大迫地域にある「早池峰と賢治の展示館」を「勝手に」応援するページです。 という訳で、ページの中身は、「早池峰と賢治の展示館」の公式の見解とは無関係ですので、よろしくお願いします。

とりあえずnote初めてみよっ、というテスト運用なので、生温かーい目で見てくださいね。

早速ですが、前回、テーマだけ決めて早々に挫折した「早池峰の信仰」というマニアックなテーマ。前回の記事のリンクも貼っておきますので、ご興味のある方はご覧ください。

https://note.com/hayachinetokenji/n/n69af0807333f


さて、本題の「早池峰と信仰」のお話となりますが、これからのお話は、「どこかで聞いたような気がするお話」や、「勝手に妄想したお話」、「聞いたような気になっているお話」や、「そもそも勘違い」も混じっているかもしれませんので、話半分、もしくは話4分の1くらいで、エンタメみたいに読んでいただければ助かります。


と、大量の言い訳はこのくらいに、さっさと書いてきたいと思います。

早池峰の信仰については実は記録があまり残されておらず、わからなくなってしまった事が多いようですが、きっと、多分、もの凄く古い時代から続いている信仰のようにも見えます。それは、仏教や神道が生まれる前からの古い信仰で、早池峰自体が神様でもあり、もしかすると「太陽信仰」などとの関係があるのかもしれません。

早池峰の周辺に住む方々の中には、それほど遠くない昔まで、自分の家の神棚を拝むより先に、早池峰を拝んでいた人もいたほど、早池峰への信仰が大切にされていたそうです。

また、現在の早池峰登山は、明るくなってから登り始め、暗くなる間には下山するのが一般的ですが、以前は、昼間に早池峰に登る人自体が少なく、まだ暗いうちに登山を開始し、ご来光を拝むために山へ登る人々がほとんどだったと聞きます。

そういった意味では、早池峰への「登山」と言うより、「登拝」という言葉が合っているのかもしれません。

現在の7、80代くらいより上の世代の方々には、「15才になったら早池峰に登る」という習慣があり、その習慣は、早池峰に近い大迫の人達はもちろん、早池峰を見ることができる三陸地方や岩手県内陸地方の人達にも、その習慣があったのではないかとも言われます。

早池峰へ登る事は「お山がけ」と呼ばれ、山を目指す人は、早池峰登山口にある岳集落に泊まり、先達(せんだつ、現在で言うガイドのような存在)の方に案内をお願いし、まだ暗い時間帯に麓を出発し、ご来光を見て帰って来ました。

大迫の人達は「お山に迎えられた」とか「迎えられなかった」という表現を使い、一生に3回は早池峰に登った上で、一度もご来光を見ることができなかった方の中には、「お山に迎えられなかった」と言って亡くなった方もいたそうです。

つまり、早池峰の頂上で素晴らしいご来光に出会うことができれば、その人が早池峰の神様に「迎えられた」、一度もご来光に出会うことがなければ「迎えられなかった」といったイメージでしょうか。

霧の中の早池峰山頂

お山に登る前には何日も身を清めたりして、大変な準備をした上でご来光に3回挑戦しても、結局見ることができなかった人が、「お山に迎えらなかった」と言う感覚を持つ気持ちも想像できます。

天気予報が進んだ現代でも、山のお天気に裏切られることは決して珍しくありませんし、逆に「『晴れ』要素0の予報なのになぜか快晴」といった状況に出くわすこともあります。

ましてや、気象衛星なんかが飛ぶはずもない時代なら、ご来光に出会うと言うことは、早池峰の神様がその人を「迎えているのか」「いないのか」によって決まる、神様の気まぐれだったのかもしれません。


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