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もう会えることはないと思っても、「またね」と言ってしまう

心の中ではきっともう会えないだろうなとわかっていても、別れ際にはつい、「またね」と言ってしまうのだ。無責任な話だ。


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最近、どこかへ泊まりがけで出かけるとなったら、ホテルよりも先にゲストハウスを調べるようになっている。

だいたい、数人部屋のベッドを予約するドミトリー(相部屋)で素泊まりすることが多くて、共有スペースにバーやカフェがあったり、宿泊客以外も出入りできるような場所だともっと好きだ。

料金が比較的安いということもあるけれど、ゲストハウスの人と人との偶然の出会いがありそうなところに惹かれるのだと思う。

「知らない人と相部屋なんて絶対無理」という人も多くいるとは思う中で、僕がゲストハウスを好むようになったのは、きっとあの旅からだ。

僕がはじめて泊まったゲストハウスは、ドイツのデュッセルドルフにある。


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将来サッカーで仕事をしたいなと思っていた大学院生の頃、「そういえば海外でサッカーを観たことないな。」と唐突に思いたち、ヨーロッパへのひとり旅を敢行した。

パスポートも持ってなかった23歳の僕は、勢いのあるうちに宿や航空券よりも先にサッカーの試合のチケットを準備し、それから1か月と経たないうちに日本を発った。初めての海外、ヨーロッパ。ひとりで遠くへ旅することすら初めてだった。

ドイツで何番目かに訪れた街、デュッセルフドルフ。中央駅から20分ほど歩いたところにある“バックパッカーズ デュッセルドルフ“が、僕が人生で初めて泊まったゲストハウスになる。


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チェックインの時点でドミトリーの8つのベッドのうち、僕を入れて5つが埋まっていた。

朝食を2Lボトルのコーラで流し込む若々しさ(?)が印象的な、イングランドからサッカーを観に来たという20歳の2人組(ブリティッシュハンサムボーイズ)と、まるメガネがおしゃれな中国人のお兄さん、そして恰幅のいいザ・アメリカンな感じのアニキ。

幸いなことにオープンなルームメイトばかりだった。そして2泊目の夕方に宿に戻ると、残りのベッドも埋まった。

オランダから「美術館巡りにきたの」と話す2人組のアートお姉さんズと、ロストバゲッジによって荷物が見つかるまで急遽デュッセルドルフに滞在することになったロシアン美女。

会話をしていた3人に挨拶をすると、2段ベッドの上段からTシャツにジーンズ姿のロシアン美女が声をかけてくれた。

「ねえ、同部屋の男の子たち、近くのスポーツバーに飲みに行ったんだけど、君も一緒に行かない?」

思ってもみなかった、突然の“Why don’t you go?”だった。ひとり旅にはこういうことが起きうるのか。


4人でバーに向かう途中でなにを話したのかはあまり覚えていないのだけど「英語、全然自信ないんだよね」という僕に、「私たちも英語圏じゃないし同じようなものよ」とスキップして話すロシアン美女と、彼女の名前がマリアだということは記憶に残っている。

バーでブリティッシュハンサムボーイズたちと合流し、せっかくデュッセルドルで出会ったのだからと、体格以上に太っ腹なアニキが奢ってくれたアルトビールで乾杯した。


異国の地で異国の人と出会い、一緒にビールを飲むなんて、初めてのひとり旅でこれは出来過ぎだったのかもしれない。

どうしてドイツに来たの?今日は何してたの?なんて話から、それぞれの普段の生活や国のこと、愛してるサッカーチームのこと、自慢の恋人のこと、旅の武勇伝なんかを話していた、のだと思う。

正直、酔いが回っていてあんまり覚えていないのだけど、酒に弱くてちょっと英語もおぼつかないというアジア人2人に、とても丁寧に付き合ってくれる優しいルームメイト達だったのは間違いない。

誰かが言った「"Cheers!"は日本語でなんていうの?」に答えてから、みんなで何度も「カンパイ!」と言い合っていた。

あれは、旅の夜だった。


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翌々日、マリアの荷物が航空会社から届いた。

ゲストハウスのリビングで折り紙を教えているときにキャリーケースが宿に届いて、「これでロシアに帰れる!」とはしゃぎながら中身を確認しているマリアに少し寂しさを覚える。どのみちこの日に僕もチェックアウトするのでお別れは近かったのだけど、急にそれを実感したのかもしれない。マリアは嬉しそうにPCを開いて、ここに来る前にイタリアで撮った写真を見せてくれた。


ロシア行きの航空券を予約できたマリアがチェックアウトをすまし、「じゃあ、行くね。君も一緒に出る?」と言ってくれたが、名残惜しさが増しそうだから「いや、もう少ししてから行くよ。だからここで。」と握手しようと右手を出した。


すると、彼女は不思議そうな表情を浮かべて、両手を広げた。

そうか、ここ、ヨーロッパだもんなと思いながら、ハグをした。中学生くらいの英語で「出会えてよかった」と言えた。「ありがとう。またいつか、どこかで。」と彼女は言った。


人生で初めての、お別れのハグだった。


別れの余韻に浸りながら少し時間をずらして僕が宿を出る時、キッチンではハンサムボーイズがブランチのハムサンドをコーラで流し込んでいた。

「良い旅を!またいつか!」というと

コーラを掲げて「カンパーイ!」と覚えたての日本語が返ってきた。


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旅先での「またね」ほど無責任な言葉があるだろうか。

でも乾杯から始まる楽しい時間を共にした人と、「さようなら」というのは、やはりどこか寂しいと思ってしまう。


次の街のケルンでルームメイトになった「観光?いや酒を飲みにきたんだ!」とイングランドから来ていた、”マンチェスターズ”と勝手に呼んだ彼らとも、

ゲルゼンキルヘンのスタジアムで、隣の席に座った僕を「日本人か!ようこそ!」と歓迎してくれたご夫婦とも、

一緒にビールを飲み、別れ際には「ありがとう。またいつか!」と言った。

もう一度会えることなんて、きっと無いと思う。もちろん世の中に絶対はないかもしれないけれど。

でも、もう会えないだろうなと思っても別れる時には「またね」と言ってしまったし、その出会いのひとつひとつを、きっと僕はこの先も忘れられない。


***


あの旅以降、旅先でゲストハウスに泊まった時には、素敵な偶然に出会えることがある。縁あって出会った人と一緒に食事をしたり、お酒を飲んだこともある。

乾杯して、楽しい時間を過ごして、そして連絡先を交換することもなく、「じゃあ、また」と言ってお別れする。朝起きると、その人はもう発ってしまっていることもある。

そういう出会いはきっと一期一会。つまり、一生に一度の機会だ。旅の思い出に綴じこんで、思い出すものになる。


そんな、もう一生会えないであろう人との奇跡みたいな「カンパイ!」を僕がずっと忘れられないのは、別れ際に無責任な「またね」を言ってしまうからなのかもしれない。


でもこの先も、もう会えないかもしれないと思っても、最後には「またいつか」「またどこかで」と少しの期待があるかのように言ってしまうのだろう。それがかなわなくても、そうやって別れた方が、きっと思い出として綺麗じゃないか。


真冬のデュッセルドルフで出会ったルームメイトと肩を組んだりして帰ったあの夜も、マリアとのお別れのハグも、あの時の誰とももう会えないとしたって、また何度も思い出すのだ。



拝啓、僕がいつまでも忘れられないみなさん

あの時、あの場所で一緒に乾杯したみなさん

もし奇跡みたいにもう一度出会えたら、その時はまた乾杯しましょうね




やっぱりちょっと、無責任な気もする。









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