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【前編】つくばGKスクール対談『過去から現在、そして未来へ。~活動に込められた想いを繋ぐ~』

筑波大学蹴球部・女子サッカー部が展開する地域活動のひとつ、「つくばGKスクール」

2018年の秋、当時のGKスクールの代表と創設者の方の対談を企画しました。

今回はその対談を記事をnoteに転載します。
(元サイトがリニューアルor閉鎖になる可能性があって…)

学生中心の団体にとって不可欠な「想いを繋ぐ」ということ。

当時の僕らはこういった形でも、それを実行しようとしていたんだなあと思います。


それではまずは前編から、どうぞ!

【以下、元記事から転載】

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**【つくばGKスクール対談 前編】

過去から現在、そして未来へ。~活動に込められた想いを繋ぐ~**

2018年9月下旬の某日、茨城県水戸市をはじめとする9市町村を拠点とするJクラブ、水戸ホーリーホック(以下、水戸HH)の練習場「アツマーレ」にて、つくばGKスクールの創設者である、河野高宏氏にお会いすることができました。

つくばGKスクールの現ヘッドである本多コーチとともに、スクールのルーツや当時の想いを尋ね、これからの展望を共に語り合った対談をレポート!

掲げたテーマの通り、「想いを繋ぐ」対談となりました!


【つくばGKスクール】

つくば少年少女サッカー連盟が開催するGK専門のクリニック
つくば市近隣の小中学生を対象に筑波大学蹴球部・女子サッカー部の学生が指導にあたり、「GKの普及」「GK選手のスキルアップ」をめざして年に十数回開催される。
(現在(当時)は年間3期×各5-6回)

【スピーカー紹介】(所属など当時)

**GKコーチとの出会いと憧れ、これまでの歩み

**

板谷:
まずはお二人のこれまでの経歴を簡単に。河野さんからよろしいですか?

河野:
俺がサッカーを始めたのは小学校2年生の終わりくらいかな。少年団に入って。

結構早い段階から身体が大きくて。当時大きい人がキーパーやるみたいな感じだったから、好きとか嫌いとかじゃなくて、初めての試合の時もキーパーやってたんじゃないかな。(笑)

小学校の時は滋賀県でも結構強いところだったんだけど、中学校の時は指導者もいなくてあまりちゃんとサッカーできてなくて。

高校もサッカー強いところを選んだというよりは県内で一番くらいの進学校、滋賀県立膳所高校に進みました。

本多:
蹴球部の現役部員でも膳所高校出身が4人くらいいますね。

河野:
結構、筑波に行くよね。俺は,高校に入って1年生の夏からGKコーチの方が外部から来てくれて、インターハイも出れたし、もっと高いレベルでサッカーしてみたいなと思って筑波大に行きたいってなった。

板谷:
そこで「筑波だ!」となったのは何かきっかけが?

河野:
そのGKコーチが筑波の出身で。ほんとにたくさんのことを教えてもらって、競技者としてもっといろんなものを学んでサッカーしたいって思って。

板谷:
大事な出会いだったんですね。それから大学の4年間は選手活動をされた。

河野:
そうなんだけど、1軍になかなか定着出来なかったのもあって、自分の能力の限界が見えてくるというか。競技者としてサッカー続けるのは難しいのかなーって。


河野:
そこで大学院に進学して筑波大蹴球部のGKコーチをするようになったけど、そこで一緒にコーチやってる同期が力をつけていくのを感じて、「じゃあ俺も何か環境を変えよう」と思って卒業後にメキシコに留学したりして。

それで帰ってきて半年間また筑波でコーチして、そのシーズンが終わってから水戸ホーリーホックに来たって感じかな。

板谷:
それからはずっと水戸HHのトップチームのGKコーチですね。

河野:
長いよね。(笑)

板谷:
ありがとうございました。

では一方でそんなに大したことない本多コーチの経歴を。(笑)

本多:
これ僕からやるべきだったんじゃないですか?(笑)

サッカーを始めたのは小学5年生の頃で、水戸HHのスクールでした。

河野:
水戸の!?そうなんだ。(笑)

何年前くらい??

本多:
11年くらい前ですかね。スクールだけじゃ物足りなくなって小学校6年生の頃には少年団も入って。その時からキーパーをやりたかったんですけど、チームもそこそこ強くて、なかなかやらせてもらえませんでしたね。(笑)

河野:
キーパーやらせてもらえないってなかなかやね。(笑)

本多:
中高はどっちも普通の学校の部活だったんですけど、実は水戸HHのジュニアユースもユースもセレクションを受けてました。

でもダメだったので、ほんとに普通の部活で、でもそれに加えて水戸のツインフィールドでされてたGKスクールに行ったり、高校の時にもGKトレセンみたいのなのがあって行ってましたね。

板谷:
そして筑波大に来て。

本多:
今年は選手としてのラストシーズンではあるんですけど、あまり将来は「コーチ」って意識してなかったにもかかわらず、縁あっていくつかの現場でコーチとしても活動して、いろいろと経験させてもらっています。


本多:
高校が茨城高校という水戸にある学校で、ホーリーピッチ(当時の水戸HHの練習場)にも練習をよく見に行ってたので、「水戸のGKコーチっていったら河野さん」って感じです。(笑)

河野:
え、いたんだ!あの河川敷に。(笑)

本多:
はい。(笑)

スタジアムとかも結構行ってて、どんな練習してるんだろうとか。トレーニングを教えてくれる人もいなかったし、試合前のアップとかよく見てましたね。

河野:
でもそうだよね。俺もそうだったけど、トレセン行って、その時やったトレーニングを延々とやるとか。(笑)

トレーニングのノウハウもなかったし、やっぱり他の人を見て学ぶってのは大事だよね。

板谷:
本多コーチのすべてを話したところで(笑)、次に行かせてください。

本多:
すべて(笑)

河野:
いやいや(笑)




**手探りのスクール創設期、「野心があった。」

**

板谷:
つくばGKスクールの「過去」として、河野さんがスクールを立ち上げた頃のお話を聞かせてください。発足に至った背景や河野さん自身の想いなど、記憶を遡っていただければと思います。

河野:
発足の背景と言ったらそれこそさっき言ったけれど、ノウハウがなかったというところかな。GKについて教えてもらいたいけど、教えてくれる人がいないというか。

板谷:
つくばGKスクールの発足が2006年ということで、その当時の子供たちにやはりノウハウがなかったと。

河野:
あとは俺も連盟の少年団でコーチをやってたけど、よく他の少年団の学生コーチに相談されたりして。「GK教えられないんだよね。どうしたらいいかな。」とか。

実際指導してても子供たちには難しい技術もあって、自分のいる少年団の選手ですらそうなのに、GKの学生コーチがいない少年団だとなおさらだし、それなら一堂に会す機会があって一気に伝えられたらいいんじゃないかなと。

板谷:
なるほど。当時は大学4年生でしたっけ。

河野:
そう。自分も指導者を考えはじめた時期で。GKコーチの特殊性とか必要性も感じてきて、自分も出会った「GKコーチ」の方たちにいろんなこと教えてもらったから、そういうのをもっと、下の年代に早いタイミングで教えてあげるのは大事なことなんじゃないかと思って。

自分も指導がしたいし、求められてもいる。じゃあそういう機会を設けてつくばから発信して、というのがスタートだったのかなあって思うね。

本多:
大学4年生というと今の僕なんですよね。そういう風に思いついたとして行動を起こせるかっていうと…。

河野:
でも思いついたらすぐだったよ。当時の総ヘッドコーチの方にそういうのやってみたいんですけどっていうと「いいね。じゃあなんか資料みたいの作ってみてよ。」ってなって。

そこからこういう資料とかをつくったんだよね。

(当時の資料を用意してもらいました。)


河野:
とりあえず運営体制とかは置いといて、スクールの目的とかをばーっと考えて。

最初はやっぱりこの「GKの楽しみや喜びを知ってもらう」っていうところから入ってるね。これはほんとに大事なところだと思うし。そこから「上手くなってもらう」とかも。だから発信もしてたね。当時は連盟のブログもあって「つくばGKスクールだより」みたいなのを作って、練習メニューを掲載したり。

板谷:
地域にむけて発信されてたと。

河野:
そう。でも改めてみるとこれ、キーパーの動きのポイントって細かいものが多いから、こんなんだと全然伝わらないね。(笑)

でも自分たちの指導力もあげたいし、発信してそれを広めても行きたいしっていう感じだったね。それを一番身近なところでスタートしたっていうのがこの連盟だったのかなと。

板谷:
実際の発足までに踏んだプロセスや初期のスクールの様子とか覚えてますか?

河野:
最初はコーチが4人くらいでスタートして。プロモーションビデオみたいなのも作ったんだよね。プレ体験会みたいなのを2回無料でやって、その映像を編集して広報に使おうって。その時は選手が6人だったなあ。

(映像を観ながら)


板谷:貴重な映像ですね。

河野:
ローリングダウンとかやってるけど、今見ると「ちょっとこれは」というのもあるね。(笑)
今ならこんなに肩ねじりこんだらダメって言っちゃう。(笑)


板谷:
そこからスクール初年度が始まったんですね。

河野:
小学5・6年生で30人弱くらい来たんじゃないかな。それにコーチが4、5人で1人当たり選手を5人くらい見られれば回る感じで。この人数って大事だと思うんだよね。1人が見る人数が多すぎると質が上がらないし。

板谷:
スタートの人数としてはコーチの数もちょうどよかったって感じですね。

本多:
この時って蹴球部のGKの選手みんなが関わってるって感じではないんですね。

河野:
これはね、GKの選手の中で「指導者になれそうな人」をチョイスしたね。

実際ここに関わってくれてる人は今もほぼどこかしらで指導者してたりサッカーに携わってる。たとえばこの「渡辺大」も…

本多:
この方ってスクールのメール担当だったりしましたか?いまのスクールのメールアカウントのパスワードが「dai1981」で。

河野:
それ今すぐパスワード変えた方がいいよ(笑)

絶対(笑)

(一同:(笑))

板谷:
スクール開始当初、地域の反応などは感じましたか?

河野:
5、6年生対象にはしてたけど、電話とかメールで「4年生なんですけど…」みたいな連絡は来てたね。

板谷:
それぐらいモチベーションもって参加しようとしてくれたり。

河野:
初年度は連盟内の少年団ベースでやってたけど、2年目はつくば市近隣に対象を広げて、連盟の会員に限らず呼びかけもして。こういうビラを作ってスポーツ店に置きに行ったり。

本多:
実は今もこのフォーマット変わってないんです。(笑)

さっき見てびっくりしました。(笑)

河野:
これ手探りでパワーポイントで作ったのをPDFにしたりしてたんだろうね。桐の葉(筑波大のシンボル)が透かしで入ってるのも、こういうところにもプライドもってたんだね。

2008年のビラにも「後援 茨城県サッカー協会」って書いたり。特になんかしてもらったわけじゃないんだけど、そういうところでよく見せようとか大きくしていきたいとか、野心が見えてるよね(笑)


河野:
あと「活動実績」とか書いてさ、2年間スクールに来てくれた後にJクラブの下部組織に入団した子にメッセージもらって掲載したりとか。

細かいところに活動への自負とか野心とか見え隠れしてるね、今見返していると。(笑)

今でこそこんなのはただの結果だって思うけどさ、当時はそういうとこにすごく胸を張りたかったんだろうなあって。


板谷:
本質ではないけど、ちょっとよく見せたいとか、大きくしたいとか。

河野:
そうそう。(笑)

自分たちの活動が「いかに良いことか」「すごいことか」みたいな、スクールの価値を出していこうという感じがこのビラだけですごい伝わってくる(笑)


河野:
でも、実際にいまでも繋がりのある子たちは「あの時スクール行っててよかったです」なんて言ってくれるし、すごくありがたいことだなあって思うね。

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つくばGKスクールのルーツをひも解いた前編はここまで!

後編では、本多コーチから見た「現在」のGKスクール、そしてこれからどうやって継承されていくのかというスクールの「未来」について語り合います!

どうぞご期待ください!

2020/3/28追記

後編アップしました

https://note.com/hayabusa_itaya/n/n45f98f570a10


↓筑波大学蹴球部・女子サッカー部の地域活動についてはこちら↓





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