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チームを牽引し、そして卒業してゆく後輩たちへ

「後輩たち」とは、僕が選手・コーチとして2013年から2019年まで所属した筑波大学蹴球部の後輩たちのことである。

つい先日この春の卒業生と話すことがあって、「この代がもう卒業か」なんて話をしていたら、

「隼さん、この学年の半分以上は自分のチームで指導してるんじゃないですか?」

と言われた。

ああ、言われてみればたしかに。

ちょうど僕が大学院1年生、つまりコーチ1年目の年に彼らは入学してきて、そのシーズンは僕が一番下のチーム(5軍)の監督をしていたので、まだまだこれからな1年生たちの半分ほどが僕と一緒に最初のシーズンを過ごした。

その後のシーズンで3軍のコーチ、4軍の監督と計3シーズン指導者として携わって、その時間に同じチームで戦った選手も合わせて数えてみると…

半分どころか3分の2以上が一度はチームメイトになっていた。

そりゃ感慨深さが一層あるわけだ。

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昨年の秋から今年の明けにかけて、その代の一人一人が部員ブログを書いていた。
それを僕はずっと追って読んでいて、なかには自分が言った言葉に触れてくれていたり、その苦しい姿を近くで見ていたなあと思い出したりしていた。



一人一人が4年間を振り返る文章を読みながら、

たしかにそうだ、俺めっちゃお前を試合に出したなあ。それは自信あるわ。
ああ、ここに書いている初めて公式戦に出た日、呼んだの俺だなあ。選手続けるんだってね。頑張って。
こいつ、本当にサッカーでもサッカー以外でも手がかかかったなあ笑
悩みに悩んで、成長に賭けて下のチームに行かせたあいつ、あの時ちゃんと刺激を受けてたんだな。よかった。
1年生の時、ずっとベンチに置いてしまったの俺だわ。んー、ごめん。見る目なかったな。でも今もあの頃も、期待はずっとしてるんだぜ。
こいつには「なんでメンバーに入れないんですか」って直談判されてよく映像みせたなあ。もっと良いところを引き出せればよかったなあ。
お前はめっちゃ良い選手なのに5軍なんかに来ちゃったから、上のチームになんとかしてあげようと必死だったんだよ…!笑
君が触れてくれたあの言葉、ほんと1年目からよく言って聞かせてたね。でも実はあれの出どころは俺じゃなくて、俺の同期なんだよ。励みになったなら、受け継いでよかったよ。
あいつと練習中に言い合いしたなあ笑
ああ、久々にこいつの話が聞きたいな。

などと彼らとのあれこれを振り返る。長い時間、グランドで共に過ごした後輩に対しては、びっくりするくらいその頃の記憶が蘇ってくるもんだ。


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そんな君たちが「ついに」と自分への期待を胸に迎えた2020年のシーズンは、誰しもが想像もしなかった1年になったはず。

グランドが使えない。公式戦ができないかもしれない。仲間の応援にも行けず、バスの見送りが精一杯。大切な同期と食事に行くことすら難しい。

大事な大事な「最後の1年」がそんな形になってしまって、その胸の内を当事者でない僕が「想像できる」なんて簡単には言えない。


けれど、何度も劇的な形で勝利を掴んだ天皇杯の躍進から、自分たちの試合ができるかどうかもわからない中でも懸命にトップチームを支える仲間たちの想いと、それを背負って戦う使命感の強さを感じた。その背負った「重さ」がどれくらいのものかは、本当のところはピッチに立った君たちにしかわからないけれど、相当のものだっただろうとは思う。

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一方で、天皇杯や関東リーグを戦う選手に想いを託した「仲間たち」である君たちはどうだっただろうか。組織全体をみるとこちらの方が多数派で、そして僕が深く関わってきた後輩の多くは「そちら側」にいるのだ。僕自身もそうだった。


社会人リーグやインディペンデンスリーグも、形を変えてではあるがなんとか開催できたようで先輩としてホッとはしているけれど、「最後の1年」に選手としての活動が十分にできない中でも、組織のためを思って動き続けたのであろう後輩たちのことが、僕はやっぱり気がかりだった。


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2020年のJリーグが終了したころ、noteを一つ書いた。

クラブ全体を11人のチームに見立てたら、試合に出ている選手は最後の仕上げをするフォワードで、スタッフたちはただの「裏方」じゃなくて、それぞれの持ち場で闘ってフォワードまでパスを繋いでいるチームメイトだと思ったという話。

このnoteでは主に今の所属先について書いたのだけど、書き上げた時に頭に浮かんでいたのは筑波大学蹴球部の後輩たちと、大学生だったあの頃の自分たちのことだった。

これをFacebookに投稿したときの文章をそのまま引用する。

久しぶりにサッカーやクラブの話をnoteに書きました。
記事内では主に現所属先のことを書いていますが、書きながら大学生・大学院生時代を過ごした筑波大学蹴球部のことがずっと浮かんでいました。

先日の天皇杯で惜しくも敗れて、今シーズンも本当に残りあと少し。今年は例年にも増して、部員みんなでトップチームのサポートに奔走したんじゃないかと思います。

僕はトップチームに絡む気配もなかった4年間を過ごした人なので、応援とか映像の作成とか、間接的なサポートしかできなくて、やっぱり試合に出る「彼ら」のことを「主役」と捉えて、それに合わせて自分のことは「裏方」と考えるんですね。

「主役は試合に出る選手だから」というのは間違いないこと。

ありがたいことに僕らはトップチーム以外の選手もそれぞれに公式戦があって、1Gで仲間の声援を受けて「主役」になれる瞬間があるのだけど、今年はこの状況でそれもなかなか難しかっただろうから、「裏方」に徹するような感覚があったのかもしれないなあと勝手に推察しているわけです。

当たり前に「裏方」の方がたくさんいて、自分もそっちの人だったから、学生時代はやっぱりどこか、チームが注目されたりしていても必要以上に控え目になったりもした記憶があって、

「部員みんなで」と何度も確認して、何度も声を掛け合って、ちゃんと自分事にできるように、みんなで頑張ってたな、とちょっと穿った見方かもしれないけど、振り返るとそういう部分もあった気がするんです。

今回のnoteを書いていて、当時の自分にこういう考え方もあるんじゃない?と教えてあげたいと思ったし、そのまま同じように、筑波の後輩たちにも伝わるといいなあと思いました。

試合に出ていない部員がやっていることは、ただの応援じゃなくて、(語弊を理解してあえて書きますが)ただの雑務でもなくて、チームのゴールを守り、パスをつなぎ、試合に出る仲間へ最高のラストパスを送るということなのかもしれないなあと。

今年の筑波は劇的な勝利を何度か経験してきていて、背負っているものを感じられる闘いをしていたんじゃないかと、(試合を観ることはほとんどできてないけど)そんな風に思っていて、

「あとは頼んだぞ!!」といういつも以上に強い想いのこもったラストパスを受け取って、ゴールにねじ込んできた結果のようにも感じました。

自分が大学院1年目の年に入学してきた後輩たちがもう4年生になっています。最近彼らが最後のシーズンの終了を目の前にして書いている部員ブログをよく読んでいて、感慨深く感じています。

ある後輩のブログの一説に、明言されてはないけどおそらく自分のことが書いていて、

『大学生になってから、自分を最も多く試合に使ってくれた方が"下から熱を"という言葉をよく使っていました。』

ああ、そうだ、言ってたなあと思って。(あと、ほんとにたくさん試合に出てもらったなあって笑)

この時は、それぞれのゲームで熱をみせることを言ってたと思うんですが、部員みんなで闘うひとつひとつのゲームで、それぞれの場所で、それぞれの勝負や挑戦をシーズンの最後までやってくれると嬉しいなあと思います。

あと少し。いいシーズンの締めくくりを願います。

(2020年12月22日)


チームを牽引し、卒業してゆく君たちはどんな感情とともに4年間の締めくくりをしたのだろうか。


君たちはきっと歴史の中で記録と記憶に残る1年を必死にもがき進んで、それぞれの立ち位置で、自分ができることで、次の後輩たちに何かを残したんだろうと思う。

本当に尊敬しかないよ。お疲れ様。

1年が過ぎて、また次の1年も過ぎて、どんどん後輩たちは増え、その後輩たちも次々に卒業していく。もちろん、自分自身もそのうちの1人だったわけで。


いつだって多数派は、スタンドの「仲間たち」だろうとは思う。
でも、あの組織ではきっと「裏方」ではないとも思うから。しっかりとピッチまでパスを繋いでいるはずだから。

これからも、それを体現するような組織で、チームであり続けてほしいし、歴史を繋いでくれた後輩たちに感謝している。


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「最後の1年」を走り抜けた君たちへ、卒業おめでとうございます。




チームを牽引し、そして卒業してゆく全ての後輩たちへ。
いつまでも応援しています。
これからも、蹴球部をよろしく頼むよ。


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