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日本人が少ないところで生きる責務

以前、いまの家は、多国籍に溢れていることを紹介した。

そして、それは今も更新している。


例えば、今はボツワナやザンビア、ロシア出身の人が住んでいたり、その人たちの友人が週末にこの家で、BBQを開催するとなると、さらに多くの南アフリカ以外の出身者と出会う。


そのため、常に彼らとの挨拶の時には、

・どこ出身だい?
・何しに来ているんだい?
・どのくらい滞在予定なんだい?
・仕事はどんなことをしているんだい?
・日本はどう思う?

という会話が生まれる。

日本では、生まれない会話のスタートが心地よい。

Uberに乗っても、多くの運転手が、近隣のアフリカ国から出稼ぎに来ている。

驚くことに、ちゃんと英語を幼少期から学んでいるので、多少のアクセントのクセはあるものの勿論僕より上手で、コミュニケーションに難が無い。


つくづく、英語が話せるそれだけで楽しくなる未来を感じる。


今も僕がnoteを書いてる傍で、ロシアとオランダとザンビアの3人組が、母国語のように英語を話して談笑している。

先日は、家の仮オーナーであるPatrickの誕生日会をパブでした。

全員と話したわけではないが、
そこには南アフリカから最も遠い都市の一つであるロサンゼルス(約17,000km )で生まれ育った方や、ドイツやメキシコなどの出身の方が居た。

僕は、そんな彼らからの、

「日本は本当に素晴らしい文化だ」

「私が最も行ってみたい国だ」

を欲しているのかもしれない。

今まで、旅行はあるものの、滞在童貞だったのにあわせて言葉が全く理解できていなかったことから、このように日本の良さを伝えてもらえる機会はあまりなかった。

しかし、これほど多くの人種や価値観を持った人たちから何度も日本の素晴らしさを語られると、非常に気持ちが良い。

日本人として、大して日本に貢献していないにも関わらず、"日本で生まれ育った"という一種の運命で、これほどにハンデを得られることに感謝をする。


ただ、そこは会話の導入に過ぎない。


もしかするとその人にとっての"日本人代表"は僕であり、
僕の一挙手一投足や会話の印象が

「これが、日本人か」

という括りで
見られてしまう可能性があるのだ。


ここには、日本人が少ない分、彼らの印象を左右する役目が多少なりとも僕はある。

おそらく僕に出会う人の多くは、

「日本人って、全然英語話せないやん」

となっているだろう。(笑)

だから、日本人代表として、出会った人たちに好感を持ってもらえるように振る舞わなくてはならない。


僕は、この家で1番早く起きて、仕事を始めている。(時差の関係もあり)
そのため、勤勉と思われている。

そして、最も話さないので(いや、話せない)、寡黙とも思われている。

こうして、昔から海外の人から持たれている日本人の印象である、「日本人は物静かで勤勉」が形成されている。

ということで、多くの国に日本の良さを伝えるためにも、海外にいる我々は学び続ける必要があるという、謎の責務を背負っている。という話でした。

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