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ぎもんをつくるひと、つっこむひと。

日常を過ごしていても、特に何も感じない、考えない、ような当たり前のことや物に対して、何を感じられるか。
この感じ方や考え方、そして答えを導こうとする力。

つまり、好奇心というものを常々持って生きていたい。

で、それを何もせずに如実に高められる方法の一つに、環境を変える、日本を出るということがある。

そして、そんな日常への疑問をピックアップしてタラタラと書いていくことをnoteでしていきたいことの一つ。

それを絵や写真で表現する人もいれば、小説や映画で物語として表現できる人もいる。

彼らの鋭敏で、幽玄かつ深遠な感性には非常に羨ましいなぁと思う。
どうやったら、そんなものの考え方をできるのか。ってね。

子供だって、すごいよね。
子供はいつだって、感性がびんびんだ。
なんでなんでなんでと、常に物事に疑問と関心を抱く。

だから、ぼくはいつまでもそんな童心をもっていたい。

海外にいると、自然とこのアンテナが動きやすい。
だから、こうして、道路の話やお酒の話、日本の繊細さと海外の大胆さなどの発見を感じることができる。


世の中には、まだまだ発見で溢れている。

AIのおかげで、たくさんの情報の中から簡単に早く"答え"見つけられるようになった。

特に、英語学習において、ぼくはかなり使っている。
むしろ、これがなければどうやって今までの人は英語を勉強していたのだろうと思う。

和訳して、英訳して。はもちろん、〇〇と〇〇でネイティブはどっちの方がどのように感じるの?や、教科書にでてこないスラングでさえ教えてくれる。

でもね、聞くのはいつだって当たり前に人間だ。


だから、どれだけ疑問に感じられるか、つまり発見を見つけられるのか。というのが大事な世の中だ。


TwitterやInstagramなどを見ていると、みんながみんなして答えをぶつける。答えというか大ツッコミをする。

でも答えは、ある程度もう見つけられるのよ。

その発信と発見ができることが素晴らしいことなのに、みんなが大先生となっているこのツッコミ大喜利SNSが、当たり前になっちゃうのはいやだなぁ。と思っている。

今日は、74日目の連続投稿において、最も意味わからないことを書いている。(笑)

つまり、
感性をびんびんにして、童心をもって、毎日発見をしていきたいなぁという感想回です。

最近の疑問は、猫たちです。
この子達の感情は、どこにあるんだろうかと思うのよ。

にゃんにゃん泣いて、ドアを開けてくれよと訴えかけて、外に行かせたと思えば、数分後に戻ってきて開けてくれ、戻りたいよ。と言ってくる。

人のベットで、散々日向ぼっこや昼寝をしていると思いきや、ぼくがベットに横たわるとどっかに行ってしまう。
彼らと接することで、これまた疑問がいろいろと浮かんでくるのは楽しい活動だ。

あともうひとつ、ヘアゴムってのはどうしてこんなにもなくなるのだろう。

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