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みんなと一緒じゃなくていい~友達、親友関係について~

父からこの記事が送られてきて、私も色々考えることがあったので書こうと思います。

この記事を要約すると、

2000年代に入り、周りに合わせて「キャラを演じる」若者が増え、気を遣わずに話せる親友の存在がなくなりつつある。新型コロナウイルスが流行ると、周りが自粛しているのに要請に従わない店をバッシングするなど、同調しない者への非難が激しい。正しさとは、自分で判断するものだから、常に同調することが正しいというのは違う。

という内容でした。

これは私も本当にその通りだと思いました。筆者はこうなった要因として、都市近郊の開発が進み、地域社会の共同体が消えたためだと言っています。共同体が空洞化し、表面的な付き合いが増えたというのはたしかにあると思います。

私は、もう一つ、SNSの多様化が原因ではないかと考えました。昨日友達とzoomで会話していた時に、一人が、「これから遊んでも良いのかもしれないけどそれをInstagramにアップしたりできないから悲しいな。載せたときの周りの目が怖い。」と言っていました。

私はそのときは共感していたけれど、内心は、「SNSにアップするために友達と遊ぶの?載せたいのなら周りの目なんて気にせずに載せればよくないか??」と思ってしまいました。

現代ではSNSの発達が進み、誰とでも簡単につながれる時代になりました。ほとんど話したことがないような人とも友達としてつながれてしまうので、フォロワー500人や1000人という人は友達が多い人という感覚に陥ってしまいます。ですが、その中に本当に腹を割って何でも話せる仲の親友は何人いるのでしょう。多くの人は、その繋がっている500人から1000人に自分の私生活を見てもらって、そのうちの何人かと気軽にやりとりができればそれでいいという感じな気がします。

だから、新型コロナウイルスが流行る前はみんながInstagramをアップしていたから、同じようにインスタ映えするような場所に行って撮った写真をアップする。みんなが自粛するようになったから自粛して家から一歩も出ずにどうぶつの森をやって過ごすというようになるのだと思います。

「みんな」の行動が広く簡単に知れるようになった今、みんなと同じことをするのが普通で、それに反している人をみると、バッシングしたくなるのです。このようにみんなに合わせて行動する人が、真面目で良い子という認識になっている世の中が実は私もあまり好きではないです。

こんな私は社会不適合者みたいで嫌われそうですが、ちゃんと親友もいます。考え方が似ていて、思っていること何でも共有できる人とは深い仲になれます。自粛期間中も、その人がきちんと考えて行動できる人だと信頼していれば会うこともできるし、オンラインで十分楽しむこともできます。

大人数になると、できるだけ私もみんなに合わせようするので嫌われることはあまりないですが、内心思っていることが批判的になってつい口にしてしまうと、周りからあまりよく思われないこともあります。でも、何人か親しい人がいれば私はそれでいいし、その方が幸せな人生だと思います。

何が言いたいかというと、嫌われる勇気を持とうということです。これは、教員になってから子どもに伝えたいことでもあります。常に周囲を気にして過ごすのではなく、自分が何をするべきなのか考えて、意思をもって行動するのです。他人に好かれようと周りに合わせるのではなく、好かれる人になれるように自分の考え方や価値観を持つのです。そうやって生きていれば、たとえ嫌われることがあっても、自分のことを分かってくれる大切な人には必ず出会えるはずです。

まあ、自分の意思というのも前回の記事に書いた「自己肯定感」がないとなかなか持てないものなので、その部分を引き上げることも大事だし、バランスが重要ですね。

コロナウイルスが流行り、親友の存在の大きさを認識しました。それと同時に、何も考えずに好き勝手行動する人と何も考えずに真面目に自粛しすぎている人とは少し合わないな~と色々考えさせられました笑。


それでは今日はこの辺で。。

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