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嘘をつかないと 言葉に力が出る?

こんにちは


今日はエイプリルフールですか?

わたしは幼少の頃、ピアノに行ってないのに行った

とはじめて嘘をついて、

当時、親と頻繁に会っているわけでもないのに、

しつけという名の虐待じみた体罰を受けました。

その当時、私の地元ではそのしつけが普通だったのです。

それから私はうそがつけなくなったのです。

今思い出しても腹が立ちますね。

親子の信頼関係もできてないのに。


嘘をつくということは、私の中でタブーになっていたのです。

ささいなことでもです。

嘘をつく人に腹がたっていましたね。異常に。

自分がそれを禁止していたから


あれから何十年、

嘘をつく人を嫌っていたら、

なななんと、とんでもない大ウソつきと対峙することになったのです。

あることないこと、したて上げて嘘をつくのです。

同じぐらいの年だったので、信じられなくて、

この人は、こうやって今まで生きてきたんや。

何もかも、のらりくらりと嘘を日常的についてきたんやな

と思いました。

それと同時に、私があまりにも嘘をつくことを自分に禁止しているから

こんなことになったんや

とも思いました。

少しの嘘も許せなかったのです。ささいなことでもです。


今は、セラピーでもその嘘をつくことに対して

扱ったことがあるので、

まあ、ついてもつかなくてもどっちでもいいなとは思いますが、

他人はですよ。

なるべく私はどっちでもいいというスタンスで

嘘はこれからもつかない、とは思っていますけど。

これは同じようですが、大きな違いがあるとは思っています。


人間だから、記憶違いとかありますしね。


でも嘘をつかなかったことで、

いいこともあると思うのです。

友達に言ったなにげない一言が

ズドーンと相手に響いたり、

なんか知らんけど説得力が出たり。

これは何度もあって、

私なりに

嘘をつかなければ、言葉に力がでるのかな

と思っています。

ですから、

子どもにも、なるべく嘘をつかないように言っています。

嘘をつく、つかないは日々のことで

何年後、何十年後には大きな差が出てくると思うので


私はささいなことでも、嘘をつかないように

いまだに気をつけているのです。

気をつけているというか、普通に、言葉をだいじにしているのです。

できるかどうかわからないことは、言わない。

とか。



これ自体が嘘だったらびっくりしますよね。

今日書くことじゃなかったのかなあ








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