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孤独な人におすすめしたい5冊の名著

 はじめに
 
 豊かな人生を送れるか否かは、人との出会いに拠るところがある。

 (自分にとって)有害な人と出会ってしまった人は言うまでもないが、孤独な人の人生も、同様に豊かとは言い難い。この世に自分一人で生きていける人はいない。自分一人で生きていこうと思えば、舌を嚙み切るくらいの覚悟を以って俗世と決別し、山奥に籠る仙人のような生活をするしかない。
 
 ある研究によれば、孤独はタバコ以上に健康には悪いらしい。だが、人はなんらかの理由で孤独に陥ってしまうことがある。その理由は様々だが、その孤独感をどう処理すれば良いのか。  
 その孤独感を拭ってくれるベストパートナーが、本なのである。
 
 なぜか。
 本は裏切らないのだ。
 人はすぐに裏切る。孤独に苦しむ人は、真っ先に他人に救いを求めて依存しようとする。だが、すぐに裏切られて痛い目を見る。泣きっ面に蜂。お約束のパターンである。
 一方、本は処分しない限り裏切らない。しかも、同じく孤独に苦しんだ先人たちの叡智(知恵)が、ふんだんに盛り込まれている。そうと来れば、読書をするしかないではないか。
 
 この記事では、あくまで私のセレクトではあるが、孤独な人におすすめしたい5冊の名著を、簡略な解説文を添えて紹介している。
 読者の琴線に触れる一文が見つかることを願って。

 はとてゃ
 ※以下、人名は敬称略です。ご容赦願います。


①俗世に揉まれて、何が善で、何が悪か分からなくなった時。人としてのあるべき姿を見失いそうになった時。真っ先におすすめしたい1冊だ。

『ブッダの真理のことば・感興のことば』(岩波文庫)

 「法句経」の名で知られる「真理のことば」(ダンマパダ)も、併収の「感興のことば」(ウダーナヴァルガ)も、ブッダの教えを集めたもので、人間そのものへの深い反省や生活の指針が風格ある簡潔な句に表されている(表紙より一部引用)。

 事前に断っておくと、私は特に宗教的な思想は持っていない。こうして紹介しているくらいなのでブッダの思想は好きだ。だが、仏教徒でもない。
 さて、私情はさておき、

 ブッダの言葉は真理を突いたものばかりだ。

 ブッダは今から約2500年前の人物と言われている。にも関わらず、生きることの基本、原理原則はすべてブッダが語り尽くし、今なお語り継がれている。書店で「○万部突破!」と大々的に宣伝している安っぽい自己啓発本に飛びつくくらいなら、この『ブッダの真理のことば・感興のことば』を一冊、カバンに忍ばせておくのが良いと私は思う。

 ブッダのイメージからして寛大な心持ちで語っているのかと思いきや、ページを開いてみると人を明確に賢者と愚者に大別していて、思った以上に辛辣に語っているので興味深い。

 「愚かな者を見るな。その言葉を聞くな。またかれとともに住むな」

 と残酷に言い切っている句がある。無論、ブッダらしく「先(ま)ず自分を正しくととのえ、次いで他人を教えよ」、つまり「他人のことを言う前にまず自分を律せよ」と、至極真っ当なことを語っている句もある。
 真っ当だが、案外それを実践できていない人は多い。私もそうだ。
 正直に言ってブッダの教えは非常に厳格で、それを実践できている人は現代社会にはほとんど存在しないと思われる。
 だが、その教えが頭の中にあるかないかでも、相当に違いがあるということは断言しておきたい。


②長い人生、人は必ず苦境に立たされることがある。そんな時、どう耐えれば良いのか。6年前、私にその極意を教えてくれた生き方のバイブルである。

『耐える技術』(きこ書房)里中李生

 心臓神経症で高校中退。苦境からベストセラー作家に這い上がった里中李生の自伝的要素が満載の1冊。筆者の実体験から、苦境にある時の人としての在り方や耐え方を教わるには、これ以上ない名著。

 長い人生、人は必ず苦境に立たされることがある。

 男は特に顕著だ。
 男の人生は競争そのもの。アップダウンを繰り返すのが当たり前と思って頂きたい。筆者のようにみずから勝負に出た場合は言うまでもないが、そうでなくとも社会の仕組みが勝手に男を勝負に向かわせる。受験、就職、出世競争・・・。
 そして、勝つ時があれば必ず負ける時がある。どんな人も勝ち続けることはできない。いつか必ず負けて苦境に立たされる。帯にもあるが、

 「耐えること」は男の美学だ。

 苦境に立たされた時、どう耐えれば良いのか。
 筆者は経験豊富だ。
 作中で「私はトラブルメーカー」と、自虐的になっている一文がある。そのくらい様々なトラブルに見舞われる人生を送っている。なかなか治らない心臓神経症。(故意ではない)申告漏れによる重い追徴課税。長年に渡って過激化する誹謗中傷。だが、筆者は(現在も)うつ病にはなっていないし、まして自殺のそぶりなど一切見せない。

 そんな強い男に教わらないとならない。苦境に立たされた時の耐え方を。

 2017年の暮れ。原因不明の体調不良に陥って、不意に激しい動悸と呼吸困難に見舞われるようになった私は「もうダメだ」と音を上げていた。そんな時、偶然この『耐える技術』と出会った。相当に共感したと同時に励まされたのを覚えている。それから6年以上の歳月が経つ今尚処分できず、本棚に大切に保管してある。
 余談だが、私の宣伝(?)に影響されて同書を手に取ったSNSのフォロワーが3人いる。だが、新品で買ったのは1人だったようだ。買うなら新品で買いなさい(苦笑)。

 高価な本ではないので、とりあえず手に取って読んでみて欲しい。


③天才の言葉は理解が難しい。それでも10%でも理解できた時、目の前の世界は一変する。

『三島由紀夫の言葉 人間の性』(新潮新書)佐藤秀明

 戦後を代表する近代日本文学者の一人である三島由紀夫。小説はもちろんのこと、エッセイも優れている。彼は思想家とも言える一面を持っていた。その卓越した頭脳で、物事の核心を鋭く突いた彼の珠玉の名言集。

 三島由紀夫。私が畏敬してやまない人物の一人だ。
 学習院高等科を首席で卒業。現在の東京大学法学部に進み、その後は大蔵省に勤める。エリートでもありながら、彼は本物の天才だった。それは数々の名作を読めば明らかな事実である。

 天才の言葉は理解が難しい。私もこの名言集を読んでも、到底すべてを理解することはできない。それでも10%でも理解できた時、目の前の世界は一変するのである。

「どんなに醜悪であろうと、自分の真実の姿を告白して、それによって真実の姿をみとめてもらい、あわよくば真実の姿のままで愛してもらおうなどと考えるのは、甘い考えで、人生をなめてかかった考えです」

 私はこの言葉に感銘を受けると同時に落胆した。そう、今までの私は、自分のそのままの「真実の姿」を表に押し出して、それを認めてもらおうと躍起になっていた。その結果どうなったか・・・余計な口は慎むが、三島由紀夫の言う通り考えが甘かったと言える。その他にも、

「性や愛に関する事柄は、結局百万巻の書物によるよりも、1人の人間から学ぶことが多い」

「想像力というものは、多くは不満から、あるいは、退屈から生まれるものである」

 など、物事の核心を突いた言葉ばかりだ。
 最初に紹介した『ブッダの真理のことば・感興のことば』も良いが、この『三島由紀夫の言葉 人間の性』は、いくぶん近現代的で実用的であるかもしれない。
 賢いと思われたい人には是非手に取ってみて欲しい1冊である。
 なぜ「賢くなりたい」ではなく、「賢いと思われたい」なのか。
 
 三島由紀夫の言葉すべてを理解することはできないのだ。
 なぜなら彼が歴史的にも稀に見る天才だったからである。


④人間は誰もが利己的な一面を持っているが、そのことに気づいている人は少ない。だが、いつかは気づかないとならない。この老人のように。

『人間とは何か』(岩波文庫)マーク・トウェイン

 人生に幻滅している老人は、青年に向かって、人間の自由意思を否定し、「人間が全く環境に支配されながら自己中心の欲望で動く機会に過ぎない」ことを論証する。人間社会の理想と、現実に存在する利己心とを対置させつつ、マーク・トウェインはそのぺシミスティックな人間観に読者を引き込んでゆく(表紙より一部引用)。

 マーク・トウェイン(以下、トウェイン)といえば、「トム・ソーヤの冒険」で有名な著作家で、私は少年時代からTDL(東京ディズニーランド)が好きだが、そんな名前のアトラクションがあったことを記憶している。

 トウェインといえば、私はこの言葉を思い出す。
 
「人生で重要な日は2つある。1つは自分が生まれてきた日。もう1つは自分が生まれてきた意味が分かった日」

 この『人間とは何か』は、昨年映画化された『君たちはどう生きるか』のように(老人と青年の)対話体で書かれた作品である。この老人とはトウェイン自身であるが、当初は匿名で発表された作品であることから「知られたくも知られたくない」トウェインの葛藤が垣間見える。
 というのも、晩年のトウェインは相当なペシミスト(厭世主義者)だったのだ。そのことを自分でもいぶかしく思う節があったのかもしれない。

 私は「自己犠牲の精神を愛している」と長らく言ってきたが、作中で老人(トウェイン)は自己犠牲の精神を「そんなものは最初から存在しない。みんなウソだな」と否定する場面があって、ハッとさせられた。曰く人間のあらゆる行為は、自分の良心を満たすためのもので、あとから理由付けしているに過ぎない、と(意訳しています)。

 あなたにとっての良心とは何ですか。
 それを満たすための行為は何ですか。

 いま一度考え直してみると、そこには極めて利己的な人間(自分)が存在することに気づかされて、忸怩たる思いをするかもしれない。
 それが孤独と向き合うということなのである。


⑤生まれ来ること。そして死ぬこと。まったく別物のように思えて、両者は密接に繋がっている。そのことに皆、目を背けて生きている。

『夏物語』(文春文庫)川上未映子

 貧しい家庭で育った小説家志望の夏子は大阪から上京。最初は出版社に門前払いを食らうが、偶然にも短編集がTVで紹介、絶賛されて夢を掴む。そんな折、夏子は精子提供(AID)で生まれた逢沢という男と出会い、惹かれてゆく。彼の子供を産みたいと望む夏子と、様々な人間の生き様が交錯する命の物語。

 エッセイ好きの私にしては珍しく、小説(純文学)の紹介だ。
 
 主人公の夏子は逢沢という男と出会い、惹かれてゆくが、心の中に「子供を持つこと」への不安と葛藤を抱いていた。だが、心の片隅では確かに彼の子供が欲しいと願っていた。仕事の夢は掴んだ。気づけば38歳。猶予は、もうない。

 ネタバレだが、夏子は成瀬という元カレとのセックスが理由で逢沢とは別れ、ラストは逢沢にもらった精子で人工授精によって出産するという選択を取った。このラストについては、意見が分かれると思う。

 「反出生主義」という思想がネット上で、いや現実世界でも広まっているのをご存知だろうか。
 2019年、実際にインドでは同意なしに自分を産んだことを巡って裁判を起こそうとした人もいる。

 子供を作るのはエゴか。罪か・・・。

 夏子も同様の葛藤を抱いていたが、ラストは元気な赤ちゃんを出産した。あくまで私の感想だが、ハッピーエンドと思う。なにせ(セックスによる自然妊娠ではないとはいえ)愛する人の子供を産めたのだから。
 
 この作品は命のみならず、女性の生き方、在り方を問うている。
 
 人(男)を愛するということ。
 愛する人の子供を産み、育てるということ。
 そこには理屈を超越した、母親としての愛がある。

 「生きることは苦しい。したがって子供を作るのは罪だ」と主張する反出生主義の人たちは、恐らくだが夏子のように傷ついているのだ。あるいは愛を知らないのかもしれない。

 そんな傷ついていて愛を知らない人もまた、孤独になっているものだ。

 決して押しつけやしないが、そんな孤独な人には、この『夏物語』をおすすめしたい。ひょっとすると考え方が変わって、人生に希望が持てるようになるかもしれない。

 本当は、皆がそうなることを願っている。

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