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【映画の話】「アンダー・ザ・シルバーレイク」―僕たちの感情や考えは何者かに操作されているのか??―

崩壊した。
アイデンティティが。
絶対に安全だと思っていた壁は巨人の腕の一振りで粉々に砕け散り、赤信号で止まっていたら僕以外の全員がさっさと先に進み始め、太陽は西から昇り東に沈み、鳥は地を這い猫は宙に浮く。心の中にお椀があるとしたら、それを一番下から思いっきり混ぜ返し、中の味噌汁やらカレーやら常識やらがごちゃ混ぜになって外にはじけ飛んでいく。
そして考えなければならなくなる。僕を支えてきたものは一体何だったのかと。


“大物”になる夢を抱いて、L.A.の<シルバーレイク>へ出てきたはずが、気がつけば職もなく、家賃まで滞納しているサム。ある日、向かいに越してきた美女サラにひと目惚れし、何とかデートの約束を取り付けるが、彼女は忽然と消えてしまう。もぬけの殻になった部屋を訪ねたサムは、壁に書かれた奇妙な記号を見つけ、陰謀の匂いをかぎ取る。折しも、大富豪や映画プロデューサーらの失踪や謎の死が続き、真夜中になると犬殺しが出没し、街を操る謎の裏組織の存在が噂されていた。暗号にサブリミナルメッセージ、都市伝説や陰謀論をこよなく愛するサムは、無敵のオタク知識を総動員して、シルバーレイクの下にうごめく闇へと迫るのだが――。

https://gaga.ne.jp/underthesilverlake/


狐に化かされたような映画だった。
怪物が街を跋扈するようなホラー映画になると思いきや、そんなものは出てこないし、でもどこか不気味で、現実世界を描いているはずなのに、その世界がまるごと夢に飲み込まれてしまったかのような・・・。
かと思えば今度は意味深な暗号が登場し始め、最後は謎が解かれてすっきり解決するのかといえば、そんなこともない。
雑誌や広告に潜むサブリミナル効果のような話もでてきて、社会派な要素もあるような、ないような。
海賊の格好をした謎の男や、ホームレスの王、正体不明の作曲家など、本当に存在するのかしないのかよくわからない登場人物がドラマを織りなしていく。
スーパーマリオやゼルダの伝説が登場した時にはニヤッとした。


映画やロックを愛する主人公サム。
僕も彼と同じようなものだ。
小さいころから、映画や漫画や小説が好きだった。
ワンピースで海賊にあこがれて、ブリーチで中二病を爆発させ、スター・ウォーズで宇宙の広大さに夢をみて、ロード・オブ・ザ・リングでエルフやドワーフが心の中に住み始めた。
映画や漫画や小説は僕のまわりに当たり前のように存在していた。
小学校、中学校、高校、大学、社会人。
どのような立場になっても僕はこれらのフィクションを観ることをやめなかった。
フィクションは、僕にとって先生のような立ち位置なのだ。
現実の先生に対して心を開くことはあまりなかったけれど、フィクションの先生に対しては、心を全開にして臨むことができた。
たくさんの作品が僕に影響を与えて、もはや自分の精神はこれらの作品によってできているといっても過言ではない。
作品たちは僕の精神的支えとなり、アイデンティティとなっている。


映画の中で、謎の作曲家の男が登場する。
彼はロックを愛したサムにこのようなことを言い放つ。

「この曲も、この曲も、すべて私が作曲したのだ」

サムの愛した曲は、尊敬するロッカーが作ったものではなく、この作曲家がすべて作曲したというのだ。
サムは混乱する。
自分の支えとなっていた曲はすべて嘘であった。虚構であった。
このよくわからない、街の陰謀に加担している可能性もある、おかしな老人が作り出した嘘であったのだ。
この瞬間、サムは心の大切な支柱を一本粉々に砕かれた。
信じていたものを失った。絶対に裏切らないはずの心の支えは幻であり、霧のように実態を失って、どこかへ消えてしまったのだった。
そしてサムは激情に駆られて、近くに並べられていたギターで老人を殴ってしまった。

ここで僕も混乱する。
僕の好きな映画は、漫画は、いったい何だったのか。
スターウォーズは、ワンピースは。誰が作ったものなのか。
(もちろん実際にはジョージルーカス監督がいて、尾田栄一郎先生がいることは頭ではわかっているけれど)
僕もサムと一緒に、この作曲家をぶん殴ってやりたくなった。


そもそも、映画や漫画に限らず、世の中の様々な常識や文化は誰が作ったものなのだろう。
僕は当たり前のように、こういったものを自分のアイデンティティの中心に近いところに置いてきた。
でも、常識や文化がどのような意味を持って作られてきたのかを深く考えることはしなかった。

世の中には多くの情報が溢れすぎている。テレビであったり、youtubeであったり、SNSであったり。
そういった情報が束になって文化を形作っているのだと思うのだけれど、実態がいまいちピンとこないのだ。テレビのタレントや、CMや、SNSの書き込みは、それこそ幻の人物が作り出しているのではないかと感じる。
その裏に、自分と同じ人間がいるということがあまり実感できない。
そしてなんだかそういう情報の塊が意思を持って、世の中に出す情報をコントロールしているみたいなイメージを持つことがある。
そこには真実も混じっているかもしれないし、嘘も混じっているかもしれない。本当も嘘もなくて、それはただの情報でしかないのかもしれない。
現在も過去も未来も嘘も真実も親切心も利己心もすべてがごちゃごちゃになって、ぐるぐるぐるぐる頭を駆け巡り、意味不明のカオスを形成している。
そこには真実と虚構の境界線もない。
そこら中に実体と幻がまじりあっている。
リボーンという漫画に登場する、六道骸という幻術使いが、幻術と実物を混ぜて攻撃し、相手を混乱させる場面があったけれど、そんな感じだ。

やがてそんな情報の塊は人の形をもって僕の前に現れるかもしれない。
その姿は、作曲家の姿をしている。
そして僕に向かって言う。
「この映画も、この小説も、この漫画も、テレビ番組も、流行の服も、人気の化粧品も、youtubeも、話題の発言も、スキャンダルも、有名レストランの料理も、すべて私が作ったのだ」


いったい、僕の意思はどこからやってくるんだろう。
アイデンティティとはなんだろう。






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