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東京に関する偏愛レポート


 東京という街を思い浮かべる時、どんな印象があるだろうか。
 地方出身のわたしが東京に住む前に持っていたイメージは「新しい・便利・冷たい・なんでもある」だった。
 昔のドラマや漫画で「東京は冷たい街だ」なんてセリフをよく耳にしていたから、そんなイメージを持っていたのかもしれない。

 しかしこのイメージはわたしが東京で暮らした3年間の中で大きく覆ることとなった。
 今回はその話を、思い出を交えて掘り下げていきたい。

 わたしが暮らした街は東京の中でも下町だった。
 マンションよりも、小さな古い一軒家がたくさん並び、時折どこからともなく金木犀が香る。
 東京といえばすべてが自動化されていて、テレビのニュースなんかでもよく見る新しい施設や大きな建物がたくさんあるものだと身構えていたから、わたしはこの街の安心感に包まれ、救われたような心地になったのを覚えている。

 小さな商店街や銭湯がちゃんと機能しているのも、古い家がしっかりとそこに根付いているのも、東京という街だから。
 東京に昔から暮らす人が東京を愛し、きちんと文化を支えて来たからなのかもしれない。
 わたしは東京が「新しい」だけじゃないことを知った。「新しい」と「古い」が混在するこの街が、とても魅力的だと思った。

 東京に来てから、何故か知らない人とよく話すようになった。
 道案内をはじめ、ただの世間話、さすがに突然絆創膏を貼ろうとしてきた人からは逃げたけれど。

 近所の麩饅頭屋のおじさんは初対面で「笑顔がすてきだね」と褒めてくれた。
 会ったばかりの人にそんなことを言われたのははじめてだったから、なんだか嬉しくって今でも覚えている。

 誰もわたしを知らない。知らない人と、なんでもない言葉を交わす。
 そこから先へ進むことはなく、それが冷たいと言われるのかもしれないけれど、わたしにはそのくらいの距離がかえってあたたかく優しくて大好きだった。

 それに、東京へ来て驚いたことの一つに「ご自由にどうぞ」をよく目にする、ということがあった。
 暮らしていたのが下町だったからだろうか。
 色々なお店の前に「ご自由にどうぞ」という札がたてられ、カゴの中に入った様々な品物をよく目にした。
 わたしの地元では全く見られない光景だったので、思わずお店の中の人に「これ、本当にもらってもいいんですか?」と質問したくらいだ。
 わたしは元々アンティークや古着が好きだったので、こういったユーズドに抵抗はなく、ありがたく頂戴した。

 誰かがいらないと思った物に、また別の誰かが価値を見出す。なんだかそれは長い旅みたいで素敵だ。
 花屋さんでもらったドライフラワーも、小洒落たバーでもらった寸胴鍋も、ケーキ屋さんでもらったガラスのお皿も今でもわたしの家で活躍している。



 東京に暮らしてはじめて迎えた夏に、はじめて東京タワーに登った。今の恋人が友達だった頃に二人で。
 東京タワーの足元に着いた時、スカイツリーより重心の低そうなどっしりとした構えになんとなくかわいらしさを覚えた。

 しかしながら誠に拍子抜けだったのは、その日の東京タワーはよく思い浮かべられるあの真っ赤な色ではなく、何故か真っ青だった。
 デートで向かった東京タワーが真っ青だというのは予想だにしていなかった。
 正直二人の間に期待はずれのムードが漂ったが、とりあえず中に入って登ってみようということになった。
 そんなわたし達二人にとどめを刺すかのように、東京タワーの内装はこれまた真っ青な電飾をそこかしこに貼り付けて迎え入れてくれた。今でもあの時の衝撃は忘れられない。
 大体にして、東京タワーに登る醍醐味は夜景を楽しむことだと思うのだが、施設内がすでに大量の電飾で真っ青にギラギラ光って、夜景にあまり目がいかなかった。

 多分、いつもはこうじゃないのだろう。きっと、東京タワーも長年東京の街を見下ろしているから時々こうして一風変わったことをしてみるのかもしれない。
 けれどよりにもよって地方から出て来た二人が初めて東京タワーに登った日がこれだなんて。
 あまりに間抜けで滑稽で、自分たちのある意味の引きの強さを目のあたりにして終始けらけらと笑っていた。
 東京という街は案外、不完全なのかもしれない。わたしはこの日、東京という街が一層好きになった。

 東京と言う街はなんでもあって大層便利だと思っていたけれど、実はそうでもなかった。
 確かに、なんでもあることにはあるのだけれど、便利かと言われると首をひねってしまう。
 東京には色んな街があって、それぞれの街でそれなりに文化が発展しているから「色んな場所に色んなものがある」のだ。
 それはつまり、この街にはこれがあって、この街にはこれがあって…という感じ。
 便利さだけで言うと、一箇所に全てのものが集まっているので、地方都市の方がかえって優れているかもしれない。(車ですいすい移動できて駐車場が必ず併設されていることも含めて)
 ただ、こういった街のあり方に関しては、総合的に見るとどちらも利点と欠点がある。
 一言でわたしがどちらが優れていると判断することほど野暮なものはない。地方出身の想像する便利さと、東京の持つ便利は少し違ったという話だ。

 ふと、大学時代に履修していたフランス語の先生の言葉を思い出した。
 「日本は便利さを求める国。それは素晴らしいこと。でも、フランスは美しさを求める。だから、建築物も古いまま残す。多少苦しくても、階段を登る。その方が美しいから」
 なんだか今となっては考えさせられる言葉だ。

 新幹線の車窓から、東京の街を眺めるのが好きだった。そこがどこの街だか当てるのが好きだったのだ。
 けれど、大抵は分からぬままにものすごいスピードで過ぎてしまうのだが、それも含めて、わたしはまだ東京という街をまったく知らないのだと思わせられて、何故だか安心して嬉しかった。




 1月末、東京のマンションを退去した。東京ではない、新しい街で暮らすからだ。
 新居はとても綺麗で、東京の部屋よりも広くて快適でなんだか健やかな気分になれる。
 だけど、何故だか少し虚しかった。わたしはそんな自分に戸惑いを感じた。

 何故ならわたしはよく、実家の母との電話で「東京なんて、人がいっぱいいるしあんまり良くないよ。地元に帰りたいくらい」と言っていたから。

 東京では色々なことがあった。楽しいこともあったけれど、同じくらい辛くて悲しく、もう決して取り返すことのできないものも失った。
 自分の不自由さを東京のせいにすることで、自分を保てていたのかもしれない。

 こうなってみてはじめて、わたしは東京での暮らしを結構気に入っていたのだと自覚した。
 そしてわたしのこの感情はほとんど愛憎に近いそれだということも。

 東京のマンションの退去日、恋人とレンタカーで残りの荷物を運び出した。
 少なくない荷物を乗せて重くなった車で首都高を走っていると、突然目の前に東京タワーが現れた。
 その東京タワーは、誰もが想像するあの百点満点のオレンジみたいな赤色に身を包み、優しくわたし達を照らした。

 「お見送りしてくれているのかな」

 ハンドルを握りながら恋人がぼそりと言う。

 わたしはその言葉に自分のなかで何かが煮えたぎるのを感じた。嬉しくなかったのだ。
 やめてくれ。
 なんで今日の今日にこんな綺麗な姿で現れるんだ。

 これでは、わたしの中の「東京」が完全になってしまう。
 完全になって、美化されてしまったら、わたしはもう東京を思い出にしてしまう。

 心残りくらい欲しかった。

 それさえもくれなかった東京はやっぱり冷たくて、そして何よりあたたかい街なのかもしれない。

 




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