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落ち着け!みんな落ち着こう。

みんな落ち着くべきだ。落ち着こう、いったん。
パターン化されたエモを皮肉るのは勿体ないよ。純喫茶、名画座、クリームソーダ、たしかに彼らはレンズ越しでしか物事を認識しないのかもしれないけど(そしてカルチャーへの愛もリスペクトも知識も足りないのかもしれないけど)、そんな彼らを嫌味たらしく批判する人たち、いったいどれほど純喫茶や名画座に行ってるのだろう。
純喫茶にしても名画座にしても、その分野で本を出すほど「深い」人の動向を追っていると、「パターン化されたエモ」なんて単語は登場しないことに気がつく。もちろん自分だって、喫茶や名画座で恐らく事情を理解してないであろう人たちの有り得ない言動を体験したことがある。が、しかし、自分にはそれを批判する権利が無いことは明らかなのだ。喫茶には店主と常連がいて、月に1回他県からフラッと寄る人間にはその店の意見を代弁する資格は無いし、ましてやカルチャー全体を代表する覚悟も無い。
つまり簡単に言うと、浅い人間を嫌うのはとてもわかるんだけど、浅い人間を攻撃するエッセンスとして喫茶や名画座を出してこられるのはお門違いであり、攻撃的だし排他的だし、迷惑がかかるしめんどくさいのだ。登場人物全員の中で、喫茶や名画座にリスペクトが無いのは批判している君たちなのでは?と思ってしまうのだ。
もう一度問いたい。君たちはどれほど純喫茶や名画座に足を運んだ?どれほどお金を落とした?インスタグラマーたちの非常識な言動を擁護しているのでは無い。だが考えてみてほしい。彼ら彼女らは実際アップロードした写真の数だけ店に行きメロンソーダを飲み、ウォン・カーウァイとジム・ジャームッシュの映画を観たのだ。自分が何を代弁したいかという訳ではないが、ハッキリ言って君たちに批判してもらったところで喫茶や名画座が潰れなくなる訳でもないし、それなら実際に足を運んで「こんなエモ野郎がいました!」とツイートしてもらった方がよいのでないか。
レトロブームなんてものは一過性かもしれない。次の流行が訪れたらインスタグラマーたちは(その時にはインスタも死語かもしれない)次の被写体を探しに行くだけだ。だけれども、その時が来たとして、名画座や純喫茶を代表するかのように批判していた彼らは、「あぁ良かった」と。「やっと邪魔者は居なくなった。これでカルチャーが守られた」と、呟くのだろうか?自分には甚だ疑問である。
いつか登場人物たちが全員大人になって、怒る気力も写真を撮る意欲もなくなったとして、最初から1歩も動いていない人たちがいるだろう。排他的でありたいわけではない。しかし誰かひとりでも、最初から1歩も動かずに怒り続けている人がいて欲しいのだ。怒るということは、走り回ることでは無い。その場から1歩も動かずに対象を見据えることだ。だから、みんな落ち着いて欲しい。動き回らずに、一度自分の足元を見て、立ち位置を確かめるのだ。そして自分の顔をカメラに納め、インスタグラムにアップしよう。落ち着こう。みんな、落ち着こう。

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