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「幸せになりたい」と思ったことがない

思春期から青年期にかけて、私は恋愛を拗らせていた。
昔の私は「私のことを好きになる異性なんていない。いる訳がない。いたらその人は頭がおかしい」と思っていた。

そういう風に思うようになったきっかけを掘り下げていけば色んな要因があるのだとは思うけれど、探っていくと傷口に塩をぬるような作業になりそうなのと、今そんなことがしたい訳ではないので一旦置いておく。

ただ、不思議なことに、他の人間関係に関してはいたって良好だった。
友人に対しては「好きな人と一緒に居ていい」「相手もたぶん、私のことを好きになってくれる」そんな感覚を当たり前のように持っていた。

だから友人との付き合いで深く悩んだことはあまりない。
振り返ってみれば多少何かに悩んだ時期もあったとは思うが、あくまでもささいなことだった。合わない人とは自然に離れ、気の合う人と付き合った。自分自身がちゃんと「好きだな」と思う人と一緒に居ることが出来ていたように思う。

しかし、恋愛となると急に上手くいかなくなった。
「私」のままではダメだと思い込んでいた。
ありのままの私ではいけない。
こんな低い声じゃなく、もっと高い声で。
こんな落ち着き払った態度じゃなく、もっとキャピキャピした喜び方で。
もっと、もっと、違う何か…

そんなことを考え、実際に行動にも移していたもんだから、たまに好意を持ってくれる人が居ると、すごく嫌な気持ちになった。

「私の何がわかるの?」
「本当の私はこんなんじゃないのに」
「黙ってニコニコ話を聞くようなおとなしい女の子じゃないのに」

…今思えばバカである。
自分で勝手に「自分ではない誰か」を演じておきながら、その「自分ではない誰か」に好意を持ってくれた人に「何を見てるの?」と嫌悪感を抱く。
当時の私は『ブリジット・ジョーンズの日記』に登場するマーク・ダーシーの「ありのままの君が好きだ」という言葉に心底憧れていた。

「ありのままを好きになってくれるなんて、なんて素敵なんだろう…。そんな人、この世に居るだろうか」
考えれば考えるほど、希望が持てなくなった。そんな人は居るはずがないと思っていたからだ。
そしてまた「こうすれば好かれるかもしれない…」という「好かれそうな私」を演じる。そんなことを繰り返していた。
でも演じるのは疲れる。だから1人で居る時間が1番好きだった。

振り返るとあまりにも滑稽で「私は何をやっていたのだろう…」と情けない気持ちになる。

別に、沢山の人に良く思われる必要などなかったのだ。
「私が私で居られる人」を探すべきだった。
その為には、いつも自然体でいることが大切だった。あの頃、私が一方的に憧れていた、好きだった人に好かれなかったとしても。
そこは自分を曲げるべきではなかったのだ。

私がありのままの私でいられる、自然体で好きになり、相手も好きになってくれる、そんな相手に出会えたのは26歳の時だった。
恋愛のアレコレが段々とどうでもよくなり、もっと自由に生きてみよう!やりたいことをやっていこう!と日々を楽しんでいた時期だった。

不思議なようだが、欲しい欲しいと嘆いていた時には手に入らなかったものが、違うことに目を向け始めた途端にスルッと手に入る、というようなことは時々起こるものである。

そしてその26歳で出会った人と28歳で結婚し、私は恋愛のアレコレから卒業した。

恋愛のことでは随分と拗らせ、滑稽で情けない時期を過ごし、色んなことに悩み苦しんで来たけれど、振り返ってみると「幸せになりたい」と思ったことは一度もなかった。もちろん口にしたこともない。

何故だろうか。

恐らくそれは、私が昔から「ほんのささいな瞬間に幸せを感じられる人間」だからだろう。

小学生の頃、よく家の屋根で空を眺めていた。母から「落ちないでよ!」と心配されたけれど、屋根で干しているふかふかの布団に寝転がり、青い空と白い雲が流れる様子を見るのが好きだった。

中学校の時の体育祭の朝、勢いよく家を出たら真っ青な空が広がっていて、思わず深呼吸をした。澄んだ朝の空気を吸い込んだら、なんだかいいことが起こりそうな気がして、とてもわくわくした。あの時の匂いと空気感、高揚感を、今も鮮明に覚えている。

学校からの帰り道には大きめの川があり、時々堤防に座って水面を眺めた。あの夕暮れのオレンジ、移ろう山の色、きらきら輝く川の景色、いつまでも眺めていられるくらい綺麗だった。あまりにも長い時間眺めていたもんだから帰宅が遅くなり、母に心配されて怒られることもあった。

大学では、初めて一人暮らしをした。最初の2日くらいこそ少し寂しさを覚えたものの、それ以降は毎日楽しくて仕方なかった。誰もいない部屋。でも私の好きなものしかない部屋。優しい光が差し込んで、いつも大好きな音楽を流していた。自由しかない、尊い時間だった。

社会人1年目で体調を崩してから、お弁当作りを始めた。休みの日におかずを作り置きして、毎日少しずつ詰めて持って行った。自分で作ったものを詰めて持参し、自分で食べる。そんな小さな営みが、私にささやかな自信をくれた。何が入っているか既にわかっているお弁当箱でも、開ける瞬間はいつも幸福感があった。

日々の中には幸せな瞬間が溢れていた。
恋愛のようなドキドキやドラマチックな何かは起こらなくても、ふと気づけばそこに綺麗な空気があって、爽やかな風が吹いていて、青い空があって、優しい日差しが差し込んでいた。
私はそれで十分、幸せを感じられた。
好きな人が私を好きになってくれない…くらいでは、私の幸せは脅かされなかったのだ。

いつも幸せは私の居るこの場所にある。
昔も今も、ささいな瞬間をひとつひとつ味わえる人間でいられることを嬉しく、それもまた幸せに思う。

自分の幸せに集中し始めたら、人生のパートナーにも出会えた。

今日だって、お米が美味しい。
お気に入りのコーヒーがいい香りだ。
今も好きな音楽を聴いている。
雨上がりの空に太陽が眩しい。
観葉植物も元気だ。

私は今日も、最高に幸せである。

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