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現在不登校中の小学5年生の息子がいます。 不登校になってから3年と数ヶ月が経った今、ふ…

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現在不登校中の小学5年生の息子がいます。 不登校になってから3年と数ヶ月が経った今、ふと頭に浮かんだ言葉や台詞をその都度ただただ綴っていきたいと思います。 2024.03

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私がnoteに綴ること

現在不登校中の小学5年生の息子がいます。(2024.3現在) 息子が不登校になって3年と数ヶ月になります。 今まで本人はもちろん私もとても苦しみました。 ですが、私はカウンセリングを受けたり、ネット上での不登校に関する色々な知識、考え方に触れたりして、息子と共に1年半ほど経った頃から少しずつ落ち着きを取り戻してきました。 とはいえ、私はまだ何かのきっかけで落ち込む日もあったりします。 そんな中でふと頭に浮かんだり、心に留まった言葉や台詞を、自分の気持ちの整理と、いずれ今までの

    • 「ブレる」

      息子が不登校になった時、とにかく解決する答えが欲しくて不登校関連のネット記事、書籍、YouTube、カウンセリング、心理学、すべてにそれを求めた。 けれど、ハッキリとした答えは私としては得られなかった。 (元々、答えなんてないんだと今は思っている) でもとにかくそれらを参考に、今はこうしていようとか、こうするのが1番とか、とりあえずの自分なりの答えを導き出した。 けれど、一向に何も変化の見られない(様に見える)息子を目の当たりにすると、 まぁ、ブレる、ブレる。 やっぱ

      • 「期待するなと言われても・・・」

        息子は不登校中でも、大きな行事だけには参加してきた。 主に運動会、移動教室など。 不登校になってから、運動会は一度も欠席した事はない。 練習はオンラインで見本を見てやって、みんなと合わせたのは本当に本番が初めてという時もあったし、放課後先生にマンツーマンで教えてもらって当日を迎えた事もある。 近年では練習の体育の時間だけ出席したりもした。 普段学校へ行っていない子がみんなの中に飛び込める。 その勇気があるなら、教室にもこの、勢いで入れるハズ・・・! という期待は何度も外れ

        • 「勇者」

          息子がなかなか起き上がれない。 しばらくそうして横になっているが、何かにつき動かされる様にガバッと起き上がる。 そんな子供の姿を目の当たりにすると、「お、かっこいいぞ」と思う。 ちょっと大袈裟だけど、戦いに挑んでいく「勇者」の様にも思う。 自身の中から湧き上がる見えない力を感じる。 もちろんそれは子供だけに限った事ではないけれど。 不登校だった子が何かに向かって動き出す時、それは自分自身から湧き上がってくる見えない力が原動力でなければならないと思う。 無理矢理、手を引っ張

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        私がnoteに綴ること

          「居場所が多いほど子供の幸福感は高まる」

          ネットでこんな感じの事が書かれている記事を読んだ。 私にとっては大納得だった。 不登校のステップはよく「混乱期」「安定期」「転換期」「回復期」の4段階に分類される事が多いけれど、息子がフリースクールに通い始めた事はまさにステップアップに大きな影響を与えた。 それが「混乱期」→「転換期」か「転換期」→「回復期」なのかはハッキリとはわからないけども、とにかく変化した。 息子が日中、家以外の場所で過ごす事が、それまで家で煮詰まっていた親子の間に、良い風が流れた。 しかもそこは

          「居場所が多いほど子供の幸福感は高まる」

          「ウケる」

          息子が不登校になり、焦りを感じたり不安を感じたり孤独を感じたり・・・とても辛かった頃、子供への受け答えを「ウケる」でしてみようと思った。 子供が何か言ってきても「ウケる」。(もちろんすべてに対してではないです。その言葉でも返せそうな時) 試してみると、割とそれで返せる時も多くて、そう言うと、ふっと力がお互いに抜ける感じがあった。 今まで私は子供から何か相談されると、すぐ悪い事を連想してしまい不安になり、子供を更に不安にさせる事があったと思う。 それがこの言葉のおかげで、子供

          「ウケる」

          「見守るだけ、ができない時もある」

          口出しちゃいけない、ただただ「見守る」、それを心がけているつもりでも、やっぱりどうしても言ってしまう事がある。 私の言葉が子供の背中をそっと押すものになればいいなという想いもあって言ってしまうのだろうとも思う。 ただ、押す方向は子供自身が見ている方向でなければならないとは思ってる。 でも言ってしまったその瞬間には、そこの正しい判断ができていたかはわからないもので。 後悔する事も沢山。 さて今日言ってしまった言葉はどうだったのだろうか・・・。

          「見守るだけ、ができない時もある」

          「きっかけなんてどこに転がってるかわからない」

          まだまだ学校に「戻す」事ばかりを意識していた頃、私は息子が学校に行ける様になるきっかけは、学校にしかないと思っていた。 だから、学校でお友達と楽しく過ごせば・・・!、学校の行事に参加すれば・・・!、きっと行ける様になると思って、あの手この手で学校に気を向かせようとしていた。 でも結果はそうはならなかった。 そんな時に浮かんだ台詞。 「きっかけなんてどこに転がってるかわからない」 そう思った時、ふと心が軽くなったのを覚えている。

          「きっかけなんてどこに転がってるかわからない」

          「どうなるか」より「どうするか」

          これから起こる事にビクビクするのではなく、起こってからのリカバリーに価値を置くと気持ちが楽になる。

          「どうなるか」より「どうするか」

          「伴走」

          「伴に走る」と書いて「ばんそう」。 主にマラソン等の時に使われる言葉だと思いますが、心に留まりました。 不登校の我が子の少し後ろをただ見守りながら「伴に走る」。 そんな親でありたいのです。

          「伴走」

          「やっぱり心がチクッとするよ」

          ランドセルを背負ってる子を見るとやっぱり心が「チクッ」とする。 以前よりはずっと少なくなったけれど。 学校に事務的な用事で私だけが行く時、校庭で遊ぶ子達を見かけるとやっぱり「チク」。 だから、学校に行く時には、なるべく心を無にして「私はロボット」と思って機械的に行動する様に心がけた。 「チクッ」が来る度に、まだまだ私は我が子の不登校を受け入れられてないんだなと思って落ち込んだ。 でもそれ、やっぱり仕方ないよ。 多少「チクッ」とはするよ。 だから「チクッ」ごと受け入れようと思っ

          「やっぱり心がチクッとするよ」

          「誰も悪くない。もしあるとしたら、やり過ぎがあっただけ」

          息子が不登校になって、やはり私は自分をかなり責めました。 自分の子育てが悪かったんだと。 不登校になって間もない頃の混乱期には特にそれがひどく辛い時期でした。 気持ちが落ち着いてきた頃にもやはりその気持ちは消えずにいて、気持ちが塞ぐ事がありました。そんな時に浮かんだ台詞です。 よく子供の不登校の原因として親の過干渉、過保護が言われますが、それも良かれと思ってやっている事。ただそれがやり過ぎだっただけ。 改善すべき点はもちろん改善するけれど、自分を責めるという事がなくなり、だい

          「誰も悪くない。もしあるとしたら、やり過ぎがあっただけ」

          「ならただ好きでいればいいじゃん」

          これは私が学校に行かない我が子をつい責めてしまい、後で反省した時「なんで好きでいたいのに、こうなってしまうんだろう・・・泣」と思った時に頭に浮かんできた台詞です。 「学校へ行けてない我が子は愛せない?」→「そんな事は決してない」 そう思った日でした。

          「ならただ好きでいればいいじゃん」