食事は一日3回だよね?
忘れられない人っていますよね。
本質をついた意見を言ってくれた人。
思いもかけないことを指摘した人。
自分とは違うけれど、とても魅力的だなと思った人。
言われてみれば当たり前かもしれないけれど、その時の私が完全に納得できる真理をメッセージとして届けてくれた人。
今日は、私の世界を開いてくれた人の話を書きます。
出会いは私が大学2年生の終わり、タイのバンコクでした。
私の通っていた大学がバンコクにある大学と姉妹提携をしていて、短期留学生として2か月間勉強する機会を得ました。学内選考試験があったはずなんですが、試験前にタイでクーデターが起こって、私ともう一人の男子学生以外みんな申請を取り消したとのこと、無試験で行けたのは本当にラッキーでした。
住まいは大学近くのゲストハウスで、歩いて10分くらいのところにありました。観光客も宿泊するそのゲストハウスにはカフェががあって、そこで働いていた少年が私の忘れられない人です。当時は高校3年生、18歳だったかな。
大学までの道のりには、青いパパイヤのサラダを売る屋台が出ていました。クレープのようなものに白砂糖とコンデンスミルクをかけたものをくるくる巻いて提供する、リヤカーで移動可能な小さな店も毎朝来ていました。背の高いマングローブの街路樹が日陰を作り、鳥が鳴き、ブーゲンビリアの濃いピンクの花が珍しくて、毎朝嬉々として登校しました。気分が良かったのは、他にも、一階の受付、出入り口を出て左手にあったカフェ、通り過ぎる屋台、門番、いつでもどこでも誰にでも、目があえば必ずニッコリされたからです。
タイの人にとって恥ずかしいことは、怒ることなんだと聞きました。怒るという感情は、その事象を受け入れるだけの余裕が自分にないということの証になるからだそうです。そういう美意識がタイを「微笑みの国」にした、というワケ。
ゲストハウスのカフェでアルバイトをしていた少年と、毎日何回かニッコリを交わしていくうちに仲良くなって、ご飯を食べたり遊びに行ったりするようになりました。彼らの楽しみ方というのは本当にリラックスしています。当時の私は、どこかに遊びに行くなら何か目的がありました。今度の山行に必要な用具を買いに行くとか花火を見るとか、何時にどこに行って何をして何時くらいに帰る、くらいの計画が常にありました。でも、彼らにはそういうものがありそうに見えませんでした。なんとなく川辺に行って風に吹かれてのんびりするとか、人が集まっていそうなところに行って歩いたり座ったりをくり返すとか、そこで偶然起こる面白いことに顔を見合わせて笑うとか、そんな感じでした。小さな頃から計画を立て、実行し、反省することを教育され、小学校の頃は「けじめ」、中学校になると「粉骨砕身」高校になると「切磋琢磨」なんて言葉が教室の目立つところに貼られて、「向上」とか「前進」「自律」は良いことと信じて生きてきた私の日常からすると、なんとも緩い感じでした。
食事もそうです。
彼らは、おなかがすいたら食べる、という感じでした。
朝昼夕食とかいう概念もなさそうで、こまめに何度も食べます。
タイ特有の気候が食欲をそそらないからなのか、暑くて量をあまり多く食べられないからなのか分かりませんが、確かに人々のそういう食生活に合わせ、外食でも一人前は少なめです。「もうお昼だけど食事はどうしようか」「夕飯前だから今は食べないでがまんしておこう」などとつい考えてしまう私は、自分で作ったルーティーンに縛られて生きているんだと気づかされました。
郊外に遊びに行ったとき、「なんでいつも靴を履いているの?」と訊かれました。靴を履くのは当たり前のことで、疑問に思ったことのない私には驚きの問いでした。彼らのように靴を脱いで歩いてみたら、本当に気持ちがよかったのでまた驚きました。
上記のような学年目標を掲げられて、一心不乱に学び、働いてきたことで、日本の経済成長がかなったものと思います。自分の不得意なことを平均にまで引き上げる努力をして、今の私があると思います。でも、人生の要所要所で自分の常識を問い直す機会はあるほうが絶対に良いと思います。その手段として海外に行くことは大変有効だと思います。
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