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2021/07/12 忘れられない散歩道

私は、生まれついての運動音痴だ。跳び箱が跳べなかった。2段だけにして、前後に丸めたマットを敷いてもなお。跳躍に失敗して、首の骨を折る映像が脳裏に浮かんで、どうしても思い切った踏み切りができなかった。バスケットも苦手。三角パスをしていて、ボールが顔面を直撃したこともある。

中学時代、身長を伸ばしたくて、バドミントン部に入った。羽根つきのイメージで入部したのに、練習はハードだった。補欠の補欠にもなれなかった。3年生なのに下級生と同じ練習メニューをやらされた。卒業アルバムには、試合用のユニフォーム姿の同級生たちの中に、ジャージ姿で写っている。

スポーツにまつわる思い出は、すべて「黒歴史」である。努力してうまくなろうとか、そういう意欲もなかった。同じく運動音痴の両親を見ていたら、やっても無駄というか、やる前から戦意喪失をしていた。スポーツにかける時間があるなら、好きな新聞を読んでいたかった中学生時代だった。

体を動かす意味は、健康維持以外ない。それも必要最低限で。ヨガや筋肉トレーニングは毎日日課にしているが、仕方なくやっている。そんな運動嫌いな私が、唯一好きなのが散歩である。

ゆうべも、雨上がりの街を歩いた。ルートを決めず、行き当たりばったりで行く。壁に葉っぱの絵が描かれているアパート、一軒家に見えるのにベランダが仕切られていて下宿のような家、狭い小路にひっそりと立つおしゃれな美容院…。思わぬ小さな発見が楽しい。夕闇が迫る中、暮らしの佇まいを感じると、ホッとする。

住宅街の散歩ルートもいいけれど、やはり自然を感じるルートは格別だ。以前、住んでいた街には、忘れられない散歩道があった。

小さな川の両側には、川面をせり出すようにソメイヨシノの木が植えられており、毎年春になると、薄紅色のトンネルができる。散策路が整備されており、途中には木の橋も架かっている。

その街には10数年、暮らした。さまざまなことがあった。父の急死や会社でのつらかった日々、親しい人との別れ…。折りにふれて、その散歩道に通った。

一番覚えているのは、不思議なことに見頃の春ではなくて、真冬の散歩道だ。厚手のダウンに身を包み、白い息を吐きながら、黙々と道を進む。寒風に耐える桜の木を見上げると、出始めたばかりの小さな蕾が目に入った。

つらい冬が過ぎれば、春はやってくるのかな

葉っぱの落ちた桜並木から、無言の励ましをもらったような気がした。

あの散歩道には、青春の苦い思い出が埋まっている。

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