"リズム感"について③

 身体の拡張。
 大学在学中に読んだ脳科学の本に書かれていた言葉である。今回はそれについて具体例を挙げながら、その時の衝撃を受けた記憶を頼りに解説したいと思う。

 例えばプロテニスプレイヤーが、相手に向かってサーブを打つ時、彼の頭の中にはただ「相手の陣地のあの辺りにボールを入れる」ということのみが意識としてあるはずなのである。これはつまり、そうではなく「およそどれくらいの力で真上にボールを放り投げ、○秒後にラケットをこの角度でこのくらいの力で後ろから前に向かって振り下ろす」というような意識をしていない、ということである。自分の体が主体として、ラケットやボールが客体として存在しているのではなく、ラケット、またボールまでもが自分の体の一部であるかのように自意識の中に取り込まれているのである。

 車の運転にも同じようなことが言える。「およそどれくらいの力でアクセルペダルを踏み込む」というようなことを意識しながら我々は車を運転するのではない。「○km/hの速度で運転する」という意識を持っているはずである。その時、アクセルやブレーキを通り越して、車までもが、自分の意識に取り込まれている。

 しかし、それらは最初からそうだったのではなく、鍛錬によって手に入れた感覚のはずである。すなわち我々は、元々持っている自身の体を基盤として、鍛錬によってその境界-身体と外界との境目-を外に向けて拡大、拡張していくことが可能なのである。

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